25:『???』・後編
私の家に押し入った人物が、新品の包丁に気付いて使おうとする流れは小説と変わらないのか。
彼女の手が包丁へ向かうのを、私は息を止めて見ていた。
元から仕込んであった催涙スプレーしか排除しなかった彼女相手にならきっと、きっと、うまくいく。
黒田が包丁の柄をぎゅっと握り、引き抜こうとした瞬間だった――。
「え!?」
包丁は抜けず、さらに包丁立て自体も棚に固定されていて動かず、驚いた黒田がそちらに引っ張られるようにして体勢を崩す。
同時に私は動いた。
右手で彼女がナイフを持つ腕を思いきり掴んで動かせないようにしつつ、左手で並んだ調味料の瓶のなかの一つを素早く掴みとる。そのまま勢いよく肘をまげて背後の黒田に中身がかかるよう思いきり振った。蓋はあらかじめ外し上にゆるくのせているだけの状態だったので、一緒に飛んで行った。
中身は唐辛子の粉だ。去年のゴールデンウィーク、紫苑や蘇芳と行った観光地で売ってたやつを取り寄せたやつ!
黒田も、普段使いする調味料入れが、この短時間で武器に変わっているとは予想していなかったようだ。
上手くかかったか私からは見えなかったけど、叫び声をあげた彼女の腕の力が緩む。そのまま振り払って、私はカウンター向こうのダイニングへよろけながら駆けた。
う、上手くいった……!
自分にもこんなフィクションみたいな動きができるとは、感動ものだ!
私の対策なんて全部お見通しだと思ってる黒田にだって、見通せなかったことがある。
凶器の包丁と、犯行が「今日の夕飯どき」だってことに、私が気付いていたこと!
気付いてからの短い間にも、できる対策はあるんだよ!
少し前、包丁が凶器だと気付いた私は、なりふり構わなかった。包丁立ての中には瞬間接着剤を流し込んで、取り出せないようにした。念のためすべての包丁をそうやって固定した。ついでに包丁立ても固定しておいた。
思いついてすぐ実行できたのは、衝動的に買い込んでいた大量の工作道具のおかげだ。
あと近くに置いてある調味料の蓋も外して、他の瓶の後ろに目立たないよう置いておいた。
驚いた顔の両親が、駆け寄る私を受け止めようとテーブルの向こうから腕を広げて近づいてくる! 紫苑と蘇芳も泣きそうな顔になって二人に続く――。
一瞬だったけどその光景が目に入り、そして次の瞬間には、私は彼らを無視してテーブル近くの壁に立てかけておいたモップを掴み、振り返っていた。
片目を抑えつつ、果物ナイフを手にした黒田がそこには立っている。
後ろから両親が私の名を呼ぶ声や「はあ!?」とか「何やってんの!?」って紫苑と蘇芳の素っ頓狂な声が聞こえたが、私は目の前の敵に向かって両手で握りしめたモップを構える。
唐辛子攻撃を成功させた私は、今なら戦えると無駄な自信があった。
「て……手を出したら、承知しないから!」
後ろの四人を絶対守ってみせる!
――と思ってたのに、なんかいきなり肩を掴まれて後ろに勢いよく引っ張られる。
「お前は下がるんだ!」
「二人とも、吉乃さんを!」
「あれ?」って混乱している間に、手からモップがもぎ取られ、ぐいっと後ろにやられて、さらに別の手に後ろへ突き飛ばされ、気付いたら蘇芳と紫苑が倒れかけた私の体を支えていた。
「は?」
目の前には、父と母が立ちふさがっている。
私の手にあったはずのモップは父が握っていて、その横ではなぜか、おたまを持った母が腰を低くしてかっこよく構えていた。
「この子達には手を出すな!」
「こんなことをしてタダじゃ済みませんから!」
「ちょ、ちょっと待って!」
ダメなの、二人が前に出たら!
慌てて身を乗り出そうとするけど、蘇芳と紫苑にがっちりガードされて動けない。
「姉さんはダメ!」
「大人しくして」
違うの、私なら、今ならきっと最悪でも腕だか足だかの怪我で済むからいいんだよ!
ど、どうしよう、他に武器……飛び道具とか準備しておくんだった! そういえば室内の飛び道具は、下手するとこちらが危険だって黒田に強く語られて、取りやめたんだった!
ここで彼女が後先考えずに暴れ出したら、無事で済むはずない……。
隙を見せたら負けだというように、私達と黒田はにらみ合った。
「謝らせてやる……謝らせてやるから!」
彼女の私達に向ける憎悪が、最高潮に高まったとき――
「……どうして!?」
こちらに全神経を向けていた彼女の集中力が、おそらく途切れた。
外からはパトカーのサイレンの音が響いてきている。それはすぐに近づき、明らかに私達の家のすぐ近くで止まった。
「紫苑! 庭から出て警察呼んできて! お父さん、お母さん、黒田さんから目を離さないで!」
弾かれたように紫苑が庭に面した窓へ向かい、外へ飛び出していった。
そして拘束する手が減った私は、蘇芳の腕を振り払って離れた壁際へ駆け寄り、よろけて体勢を崩しながらも置いておいた箱を彼のほうに滑らせる。
「蘇芳くん、コレ、二人の前に撒いて!」
たぶん「撒いて」で通じたんだと思う。まきびしの件は、さすがに両親が驚いて紫苑と蘇芳にも相談していたようだったから。
私が言い終わった瞬間には、箱を掴んだ蘇芳が滑り込むように両親の前に飛び出して中身を盛大にぶちまけた。
中からは、色とりどりの透明なでこぼこした石みたいなおもちゃが、大量にこぼれ出てくる。
驚いた黒田が後ずさる。
「これって……」
思わず、って感じで蘇芳も驚きの声をあげた。
まきびしを捨てられた私が、次に目をつけたのはアクリルアイスと呼ばれるこのおもちゃだった。
要はでこぼこしたものが散らばっていれば、多少の足止めになるのだ。大理石のピカピカな床の上にこんなものがたくさん散らばっていれば、下手に踏むと転ぶかもしれないし、痛いし、むやみやたらに特攻なんてできなくなる……はず!
買ったあとで外に撒いてもあまり効果が薄いかもとお蔵入りしていたのだが、屋内では効果を発揮するかもしれないと、ダイニングに持ちこんでおいたのだ。お蔵入りの品なので、黒田には話していない。
「踏んだら、中から接着剤が出てくるから!」
ダメ押しに、大嘘ついておいた。
バレバレだったのか蘇芳は困惑したようにこっちをちらっと見たけど、私の尋常じゃない警戒心を間近で見てきた黒田には効いたみたいだ。カラフルな石達をつま先で蹴ってどかそうとしていた彼女は、びくっとして足を引っ込めた。
他に攻撃に使えるものは……。
必死で部屋を見渡したとき、庭に面した窓と、それからさっき私と黒田が入ってきた台所の扉からも警察が踏み込んできた。
そういえば、玄関の鍵を閉めてなかった。
「武器を捨てろ!」
後ろから腕をひねりあげられるように黒田が拘束される。警察の人の動きはすごいな。一瞬で決着がつく。
さすがに諦めたのか彼女は全身の力を抜いた。果物ナイフが、その手からすべり落ちていく――。
「吉乃ちゃん、無事!?」
「無事……」
駆け寄ってきた蘇芳が、痛ましそうな表情でナイフを当てられていた首を確認してきた。そういえば、ナイフを当てられていた箇所が痛い。もしかして少し切られたのかも。
「吉乃!」
「吉乃さん!」
父と母もすぐにやってくる。私は疲れてその場にしゃがみこんだ。
「け、警察、間に合った……」
「吉乃ちゃんが呼んだの?」
私と一緒にしゃがんで、まるで守るように肩に手を回してくれた蘇芳に、首を振る。ちゃんと説明したいけど、緊張が解けたせいか上手く言葉が出てこないし、無理そうだった。
通報したのは私じゃない、ゆかりだ。
玄関を開ける直前、彼女に電話した私は「不審者が玄関の外にいるかもしれない。もし『異常なし、これからお鍋します』以外の言葉を言って通話を切ったら、警察に通報してほしい」と頼んでおいたのだ。
いきなりそんなことを言われても戸惑うだけだろうし、私の不安を十分に伝えて納得させるような時間はなかったから、賭けではあった。
でも、ゆかりはいきなり電話をかけて突拍子もないお願いをした私を、信じてくれたらしい。
ありがとう。今度なんでも奢るからね……。
「姉さん!」
蘇芳を押しのけて抱きついてきたのは紫苑だった。
抱きつくというか、両手を肩に置いて怪我がないか確認される。彼も首元を辛そうな顔でみるから、やっぱりちょっと切られているんだろう。興奮状態のせいか、私はそのあたりがなんか痛いなあくらいしか感覚がないのだが。
雨の中飛び出してくれた彼は、全身が濡れている。二月の寒い中にこれはまずい。早く拭いて、着替えさせないと……。
「紫苑さん」
次は自分が、みたいな感じで母が声をかけると紫苑がどいた。
母は私を見ると、無言でぎゅっと抱きしめた。そうしたら、父が母の肩を叩いて交代し、今度は父も同じように私を抱きしめてくる。
……蘇芳も紫苑も父も母も、みんなちょっと体が震えていた。
怖い経験をしたからかなあとか、窓全開で寒いしなあなんて、のん気に受け取ってたんだけど、みんなの顔を見たら私を心配したんだって気付いた。
私自身は小説の内容から、父と母が殺され、私は死なないくらいの怪我、紫苑や蘇芳は無事って感覚でいた。でも四人から見れば、私こそ殺されかかった一番の被害者だ。
しかもその本人が、首に怪我したままモップ持って最前線に立とうとすれば、心配とかいうレベルじゃない。
「む、無茶してごめん……」
「無事でよかったわ」
母の言葉に、みんなが頷く。
父が離れると、私もまた、みんなの無事を確認するように四人を見回す。
よかった。私は一つ、小説内で起きた出来事を回避したのだ。両親は生きてるし、蘇芳も紫苑も、私も無事だ。
「なんか……お腹空いたね」
ほっとしたら、空腹を感じた。
食卓のほうに目をやれば、警察の人が止めてくれたのか、いつの間にかコンロの火が消えている。
鍋を見る私に、四人がため息をついた。
「姉さんって、たまに妙な強さがあるっていうか、なんというか……」
「でも俺も、お腹空いてきたよ」
「お鍋、今から食べちゃだめかしら?」
「さすがに無理だろう……」
五人で、困ったねって感じで笑いあった。
そうできることが、とても嬉しかった。
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