21:婚約者、伊集院蘇芳

「蘇芳くん!?」


 どうしてこんなところに?

 偶然ってわけはない。彼の家はここから遠いし、学校だって全然違う場所にある。


「捜したよ。たぶんここかなって思ってきたんだけど、正解」

「何かあったの」

「それはこっちのセリフだよ」


 蘇芳は苛立たっているように見えた。でもなんとかそれを抑えようとしているような。

 私、何か怒らせるようなことをしましたっけ。心当たりがない。大事な用事があって外出して遅くなることは、母に伝えてある。病欠で寝ているはずの人間が、勝手に家を抜け出したとかじゃない。


「よかった、いた。吉乃ちゃん、もう少し話を――」


 店の前で突っ立ったまま、蘇芳の傍に行くことをためらっていたら、後ろで扉がひらいた。

 さくらが私を追いかけてきたらしい。


「蘇芳くん! どうしたの?」

「これから、吉乃ちゃんと約束があるんだ」


 まるで牽制するように、蘇芳が言った。


「じゃあね、さくらちゃん。吉乃ちゃん、行こう」


 さくらが私に話をしようとしていたのに、わざと気付かなかったフリをしているのか、有無を言わさない感じで私を促した。

 笑顔なのに、機嫌が悪いのがびしびし伝わってくる。


「約束!? ごめんね、吉乃ちゃん。また今度だね」

「そ、そうだね。今度があればだけど」


 つい漏れてしまった私の本音に、さくらが戸惑うのがわかったけど、今は構う余裕がなかった。

 じゃあね、と適当に言って、蘇芳が歩き出すのに合わせてついていく。

 すぐに最寄駅についた。


「嫌なこと言われなかった?」

「どうして?」

「あの子と関わると、すごく傷つくことがあるから」


 さくらとの会話を思い返す。傷つくというよりムカっときたって感じだったな。

 言い返して涙目にさせてしまったから、おあいこかもしれない。


「一駅、歩いて帰らない?」


 蘇芳は改札の前で立ち止まると、そう提案してきた。

 私の家も蘇芳の家も、ここからだと途中まで同じ路線を使うことになる。隣の駅から乗っても、それは変わらない。

 私は素直にうなずいた。きっと何か話したいことがあるんだと思ったから。

 駅前の地図を簡単に確認してから、私達は隣の駅に向かった。線路沿いにずっとまっすぐ進むことはできないらしく、ときどきスマートフォンで場所を確認しながら住宅地の中を歩く。


 比較的新しくて大きい家の多い、閑静な住宅街だ。でも人気がないわけじゃなくて、自転車に乗った小学生らしきグループが「今日の夕飯は肉だから!」とか言いながら通り過ぎていって、ちょっと笑った。


「さくらちゃんの連絡先を急に聞いてきたから、何かあったんじゃないかって不安になったんだ。すごく慌ててるみたいだったから」

「少し気になったことがあって」

「なに?」


 誤魔化そうかとも思ったけど、どうせさくらに訊いたら何を話したかわかる。


「去年もゴールデンウィークも、さくらちゃん達、事件みたいなのに巻き込まれてたでしょ。私達もちょっと関わったし、今度はもっと酷いことに巻き込まれたら怖いなあと思って、話を聞いてもらったの」

「ふうん……」


 蘇芳はなんだか面白くなさそうに頷いた。


「吉乃ちゃんさ、今日はみんなで夕飯食べる日だって忘れてるよね」

「あ!」


 そうだった! 今日は夕飯の予定がある日だったんだ!

 本当なら、そろそろ夕飯の準備を始めておかなくちゃいけない。すっかり頭から抜けていた……。


 あれだけ私がこだわって始めたことなのに、忘れるなんて。外出を告げたときの母が不思議そうだったのはこれか。何も言わなかったのは、さすがに夕飯の準備には間に合うよう帰ると思ったんだろう。


「だから、余計に心配したんだよ。忘れるほどの何かがあったのかなって。それに……会いに行ったのがあの子だしね」

「さくらちゃん相手だと、心配なの?」

「昔のことが浮かんで……俺の嫌な思い出だよ」


 それってもしかして、さくらのことを嫌いになった原因とかだろうか。


「何があったか、聞いてもいい?」


 前は聞けなかった。

 でも今は、こうやって尋ねるくらいはできる。すんなりと尋ねる言葉が出てくるくらいには、彼との関係は近くなった。それになんとなく、彼も話したいと思っているように感じた。


「……初めて間近で見たんだよね。仲がいい家族ってやつ」


 ちょうど、小さい子を連れた親子連れとすれ違う。無意識なのか蘇芳が視線をやるから、私は勝手に切なくなった。

 彼の家では、息子達をいないものとして扱っていたって言っていた。衣食住には困らなかったって言ってたから、必要な面倒はちゃんと見ていたんだろう。でも普段の生活で、存在がないものとして親に振る舞われ続けるのって、想像したらきつい。


「あの子と俺の母親が、習いごとが同じって言っただろ? そこの集まりでさ、家族同士の交流もしましょうみたいなのがあって、俺や兄達が駆り出されることもあったんだ。父は来ないし、母だって俺達のことは特に興味ないんだろうけど、世間体ってやつだね。

 それであの子の家の人達の様子を見て、びっくりしたんだ。あんな家もあるのか……って。ショックで……」


 ショックだという割に、蘇芳は辛そうではなかった。ただ懐かしむように語る。


「でもあんな、まったく違う世界に住んでる子なら、何か俺の知らない言葉をくれるんじゃないかと思った」

「家のこと、相談したんだね」

「軽くね」


 そこだけ悔やむような響きが混じった。

 だからさくらは、彼が両親と上手くいってないって知ってたんだ。


「俺の父は祖父に可愛がられててさ。親戚とかも簡単にいさめにくい立ち位置なんだ。だから、子供をいないものとして扱う変な家庭だって知ってても、誰も何も言わない。

 でもなぜか、俺とか兄には父のことを言うんだよね。『あれで家族のことは大事にしている』とか『ちょっと不器用なだけ』とか『お前達も理解してやれ』とかいろいろ。言葉は優しいけど、嬉しくないんだ、あれ」


 それはきっと、私も嬉しくない……。


「そういうのを少しだけ、彼女に話した」


 蘇芳は結果はわかるだろ、って言いたげに私を見る。


「『子供を嫌いな親はいないんだよ』って慰められてさ」

「……悪気は、なかったんだと思う」


 いつぞや、蘇芳が私や紫苑に言ったのと同じ言葉だ。だって、そう言うしかない。


「うん。知ってる。でもそのことがあって、もういいやって……。あんなすごい世界にいる子でさえ、そういうこと言うなら、きっと誰も俺に欲しい言葉はくれないんだなって、何にも期待できなくなったんだ」


 「逆恨みだ、子どもっぽい」と付け加えるから、私は一生懸命首を振った。

 何にも期待できなくなった、って言葉だとそれだけだけど、ものすごく絶望することじゃないか? これからどんなに頑張っても、報われたりとか今の辛い状況が変わることなんかないって諦めるしかないってことだ。


 ただ……さくらを擁護したいわけじゃないけど、きっとそこで他の人と違うことを言うのも難しいだろうなと思う。だって私だったらなんて声をかけるか考えたら、やっぱり簡単に答えは出ない。むしろ黙り込んで何も言えなくなってしまいそうだ。

 今だって、何も言えない。

 蘇芳も、そのことはわかっているらしかった。


「あのとき、何て言われたかったのかって訊かれたら、答えられない。俺もたいがい、わがまま野郎だな」


 そして、苦しそうにぽつりとこぼした。


「せめてあんな世界があることを、見せつけないでくれればよかったのに」


 ……厄介だよね。さくらのほうに、そんなつもりはないだろうから。

 私達が勝手に悔しくなったり、傷ついたりしているだけって言われればそうかもしれなくて、でもそう思うのが悪いって言われたら苦しい。


 私達は、しばらく黙って歩いた。

 もうすぐ駅かなってところで、深刻な空気を振り払うかのように、途端に明るくなって蘇芳が言う。


「でも吉乃ちゃんと一緒にいたら、答えが見つかるかもって思ってるんだ」


 一瞬、何の話題だったっけって思いました。


「は? 私?」

「そう。だから、これからもよろしく」

「なんで私?」

「見てるとそんな気がしてくるんだ」

「意味がわからない……」

「もうちょっと自信持ったら」


 それは社交辞令ではなく本気で言ってますか?

 なんだか、またゴールデンウィークのときみたいな胃痛がきそうな気配がする。もうあんなに胃が痛くなるのは嫌だ。私にできることなんて、大したことない。両親を交えた夕飯を開催できるようになったのだって、勢いで突っ走ってたまたまいい方向に転んだだけというか、妙な期待をしないでほしい。家のことで相談に乗るよとは言ったけど、私が解決できるとか言ってないからね!

 さらに当面は、両親が死ぬ未来を回避することに全力になると思うので――。


「あんまり期待しないほうがいいと思う。もし上手くいかなくても自己責任だからね」


 あらかじめ、断っておくことにした。そうしておかないと、私の胃が耐えられない。何かが違えば「殺したい」ほど恨まれそうだった相手に、過剰な期待を持たれるのは、考えただけですでに胃にきそう。


「わかった。ほどほどの期待にしておく」


 嘘くさい笑みでそういったあと、蘇芳はおもむろに鞄を漁り始めた。

 そして「コレ、もらって」と、小さなストラップを取り出した。銀色の小さなウサギの飾りがついたものだ。


「その飾り、実は笛になってるんだ。防犯グッズとして使って。怖いことに巻き込まれたときの、お守りとして」

「悪いよ。防犯グッズなら自分で買うし――」

「さくらちゃんに相談して、俺は何も頼られないって悲しいんだよね」


 そ、そこで張り合うのか。


「高価なものじゃないの?」


 小さいけど細かい細工も綺麗だし、ワンポイントでついている赤色の石は本物の宝石っぽく見える。


「そうかも。昔、何かのお土産で父が貰ったやつでさ、たまたま気が向いたらしくて俺にくれたんだ」

「大事なものなんじゃ……」

「いつ捨ててもいいって思ってたものだから、役に立ったほうが嬉しいよ。気に入らなかったら今度違うやつを買ってくるから、吉乃ちゃんが捨てて」

「ええ……」


 思い出したけど、これはあれだ。小説で蘇芳のスマートフォンにつけてる描写があったやつだ。

 可愛い物好きなのかってさくらに訊かれてた。

 意外な趣味だなくらいに思った程度だったけど、父親から渡されてからずっと持ち歩いてたストラップだったのか。捨ててもいいよって、そんな重いことを私に託すのやめてください。


「いらない?」

「いらないわけじゃなくて、軽々しくもらっていいものだと思えないだけ」

「じゃあ、俺のために受け取ってくれない? さくらちゃんにさえ負けてるとか、考えただけで嫌だ」


 攻撃的な言い方とは裏腹に、自信なさ気な、不安そうな顔をされると……、


「……わかった。ありがとう」


 断れなかった。


「どういたしまして」


 なぜ彼はこんなに嬉しそうなんだ。

 わからないけど、とにかく蘇芳の機嫌は普通に戻ったようだった。その後の私達は、家とはまったく関係のない話を始め、学校で流行っていることとか友達との笑い話なんかを披露しあった。


 その日の夕飯は、みんなで宅配ピザを頼んだ。母は難色を示したけど、食べ始めてしまえば、案外楽しそうにしていた。

 冬になったら、卓上コンロを買ってみんなで鍋をしようと思う。

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