3章

18:焦りたくはないけど

 ――読みかけの推理小説に戻ろうとした私に、従姉が話しかけてくる。


『それでね、これから出すキャラで相談があるんだけど』


 仕方ないな。気に入りのシリーズの新刊のためにも私は彼女の話を聞くのだ。


『で、なに?』

『あのね――これどう思う?』


 言うなり、従姉は手を奇妙な模様でも描くように小さく動かした。

 そして私を見る。沈黙がおちた。


『……どう?』

『どう、とは』

『今の! キャラの特徴的なクセなんだ』

『ごめん、よくわかんなかった』


 従姉はもう一度、手を動かして見せる。


『コーヒーや紅茶に砂糖を入れたときなんかにね、スプーンで混ぜるでしょ? そういうとき、こういう花みたいな模様を描くように動かしちゃうの』

『なるほど……? どういうキャラクターのクセなの』


 ふふん、と従姉は思わせぶりに笑う。


『シリーズの黒幕』

『すごいネタバレされた! 私、あなたの本の読者なんですけど!』


 酷い。これから読む楽しみが一気に減ってしまった。

 だが従姉は平然とした顔で首を振った。


『大丈夫だよ。そのキャラが表舞台に出てくるときは最後のほうだし、そのときにはクセのことを知らなくても黒幕だって大体予想できるから問題ないと思うの、うん』


 そういう話かなあ。


『大体、まずその黒幕ってのは何をした人?』

『これまであったいくつかの事件に、実は裏で絡んでたんだよね』


 へえ、『きらめき三人組』にも、探偵役のライバルにあたる犯罪者キャラがいたんだ。

 あのめちゃくちゃポジティブな三人組が、根っからの悪人をどんなふうに追い詰めるんだろう。


『最後にぽっと出ただけのキャラが黒幕でしたってのは、読者が置いてけぼりにならない?』

『そ、それはそうだけど、自分で手を下さないキャラだから話に絡む機会がなくて……。最後のほうでようやく自分から動こうとするんだよ。誰かを動かすことでしか楽しみを得られないヤバイ人だったけど、主人公達の活躍を見て変化が起こったってわけ』

『そんな設定があるなら、早めに登場させて盛り上げておいたほうが――』

『人を犯罪者に仕立てたりなんかしなくてもね、「一緒に星を見ましょう」って誰かに誘ってもらえるだけで十分満足できるって気付いた――ってのをクライマックスにしようかと』

『またネタバレ! あと、そこまで決まってるなら、さっさと登場させたほうがいいって!』


 それが難しくてうまくいかない、と従姉が頭を抱えた。

 そしてもう一度、あの変な手を動きをしてみせる。


『ねえねえ、それよりさっきのクセ、どう思う? 印象的?』

『黒幕の詳細を聞いたあとじゃ、地味に見える。もう少しかっこいいクセのほうがいいと思う』

『えー……』




 ――えーって言いたいのは私だ。


 前世の夢をまた見てしまった。

 『きらめき三人組』シリーズの複数の作品に絡む、黒幕キャラか。そういえばいるんだった、そんな人物が。

 たしか、あのクセについては、従姉は結局別の案を受け入れてくれなかったんだっけ……。


 黒幕という言葉で、一瞬、紫苑と蘇芳が頭に浮かぶ。

 あの二人は、小説内では裏で手を組んで綾小路家になにかしでかそうと考えていた――と、予想している。

 だがあくまで小説内の話であって、私にとっての現実の二人ではない。今はもう脅威ではないはず……。

 それに変なクセもない。二人は違う。


 シリーズの黒幕キャラって、探しておかないと私の生死にも関わるのだろうか。

 それとも、下手に手を出さないほうが安全か?


 私の前の人生と思われる記憶は、とても断片的であいまいなものが多い。その中で『きらめき三人組』シリーズに関してははっきりしているほうだけど、すべてを詳細に思い出すことはできない。


 『迷いの城殺人事件』だって、私が婚約者ヅテで古城ホテルに招待されて、一人目の被害者になって、殺害理由が「犯行の邪魔だったから」だったことはすぐに思い出したのだが、他はあまり思い出していない。

 犯人なんかも、おぼろげにこんなこと言ってたような、とかくらいしか浮かんでこなくて、名前とか関係性とかは不明だ。


 過去二回の経験から推測するに、おそらく、関連する物やシチュエーションを見たり聞いたりすると小説についての記憶が鮮明になるんだと思う。

 『迷いの城殺人事件』の詳細を思い出したい場合には、実際に古城ホテルに行くしかないのかな。遠慮したい。


 とりあえず、私が生きるためにはホテルに出向かないことが第一。黒幕キャラの存在については……一応、頭の隅には置いておこう。




 ゴールデンウィークがあけてから、母は私のすすめに従い本当に仕事を始めた。父の実家のコネを使って、簡単な翻訳の仕事を見つけてきたらしい。

 まずは週三日から。上手くいけば日数を増やすかもしれないとも言われている。


「吉乃さん、なにかお手伝いすることはあります?」

「いえ、特には大丈夫です、黒田さん」

「じゃあ今日はもうこれでお暇させていただきますね」

「はい。ありがとうございます」


 そして、週に二回ほどうちには家政婦が来るようになった。

 こちらは伊集院家の縁のあるところからの紹介だ。蘇芳の伯父の知り合いの知り合いの、とにかく遠い関係だけど身元は確かな人、らしい。

 掃除や洗濯、おかずの作り置きなんかを用意したりしてくれている。


「待って。黒田さん!」

「はい?」

「コーヒーを入れるので、飲んでいきませんか」

「ありがとうございます。でも、お気遣いなく」

「私も飲むついでだから」

「じゃあ、お言葉に甘えましょうかね」


 ついでとか言ったけど、別に豆から淹れるわけでもコーヒーメーカーを使うでもなく、一人分のドリップタイプのコーヒーバッグを使って淹れるだけだ。

 私の強引さに押し負けた感じで、黒田はもう一度「すみませんねえ」と言ってテーブルについた。

 黒田は四十過ぎの女性で、独身。「独り身で気楽な生活なんですよ」となにかの世間話のときに言っていた。


「……砂糖は、自分でお願いします」

「わかりました」


 砂糖を入れた黒田は、円を描くようにスプーンを数回まわした。

 その様子を私は真剣な目で見つめる。普通だ。変なクセなんてない。


「どうかしました?」

「いいえ、なんでも。……あの、このクッキーどうぞ」


 さすがにありえないか。

 だいたい、小説内ではおそらく吉乃は母親に仕事を始めればなんて言ってないだろうし、そうすると私の家に家政婦が雇われることもない。

 いわゆるメタ的な推理をすれば、黒田は完全にシロだと断言できる人だ。だって小説に出てくる可能性がないのだから。

 疑心暗鬼になりすぎだよね。よくない。


「姉さん、今日の夕飯なに?」


 言いながら、紫苑がダイニングに入ってきた。

 彼はコーヒーを飲む黒田を見て、一瞬眉をひそめたものの、すぐに表情を取り繕って「どうも」と短い挨拶をした。黒田は気にしたふうもなく「吉乃さんにコーヒーをいただいているんです」と愛想よく返している。

 紫苑はこの家に他人が出入りするのが落ち着かないらしい。なので、彼女が来る日は帰る時刻になるまで自室にこもっていることが多かった。


 紫苑の夕飯の問題は、家政婦の彼女が十分なおかずの作り置きを用意することで、うやむやになった。

 夕飯時に母がいない日は、いまだに多い。あえて用事を入れているんだと思う。でも最近の様子を見るに、今さら急に切り替えられないだけみたいな気もしている。

 おかずの件がなあなあな感じで終わったのは、すっきりはしない。けど、こじれるよりはよかったと前向きにとらえることにした。

 困るのは、おかずが充実していようが、紫苑が私の作る料理を食べたがること。なので最近は、紫苑も巻き込んで一緒に台所に立つようになっていた。


 黒田が帰ってしまってから、台所にいた私の隣にようやく紫苑がやってくる。


「手伝うけど」

「なら、そっちの野菜でサラダを作っといて」


 しばらくすれば母が帰ってくる。父も夕飯にはちゃんと間に合うと連絡が来た。

 私が胃をキリキリさせながら提案した食事会は、苦しい思いをした甲斐あって実現したのだ。もう何度目だっけ。一番予定が不安定な父に合わせて、曜日なんかは決まってないけれど、今のところ週一ペースは保たれてもうすぐ二ヶ月。

 約束通りこの日は私が夕飯を作る。紫苑も手伝ってくれるし、大したメニューは出さないのでなんとかなる。


「なにその高そうな肉」


 冷蔵庫から出した肉の包みを見て紫苑が驚いた。


「お父さんがお取り寄せしたんだって」

「あの人も、やることが極端だよな」


 初めてみんなで食事をした日は、チャーハンとスープだった。そうしたら父が悪気なく「これだけなのか?」と不思議そうに訊いてきた。

 やや完ぺき主義気味の母が作る夕食は、品数が多く手の込んだものも多かったから、違いに驚いたのだろう。

 どういい返すべきか迷っている間に、なぜか慌てたような紫苑と蘇芳が「めちゃくちゃ美味しい」「この組み合わせがいいんだよね」と怒涛のように褒め、母までも「五人分の食事を用意するなんて初めてなのに、すごいわね。初めてなのにすごいわ」と明らかなフォローに入ったので、父も察したらしい。さらには反省したのか、今度はなにを出しても毎回ベタ褒めするようになった。


 最近は、こうしていきなり材料を提供したりしてくる。気を遣っているつもりらしくてありがたいんだけど、唐突すぎて戸惑ったりする。

 母の方は、仕事のない日であれば、あとは仕上げるだけの副菜を準備してくれたりして、さすがわかっていると言いたい。というか実際に言った。母は苦笑していた。


「その肉、アイツの分も入ってんの?」

「うん。五人分だね」

「すっかり来る前提かよ。毎回、律儀に来なくてもいいのに」

「そういう割りに、嫌がってないでしょ」


 アイツっていうのは蘇芳のことだ。

 社交辞令だったお誘いだったのに、彼はこれまで毎回参加、皆勤だ。彼がいるほうが私と紫苑、両親だけのときよりなぜか緊張しなくて済むので、誰も文句は言わない。

 紫苑だって、本人に向かって来なくてもいいとは言わないのだ。


「……アイツには、夕飯に参加することを許してほしいって最初に頭を下げられたんだよね」

「えっ、蘇芳くんが?」

「アイツなら演技で頭の一つや二つ下げられるだろうけど、一応、俺も受け入れて頷いたからさ。文句は言わないでやってる」

「知らなかった……」


 二人の間にそんなことがあったとは。

 そういえば、蘇芳との婚約がそのままなことに関して、紫苑は何も追及してこない。そちらについても蘇芳が何か言ったりしたのかも?

 婚約続行となった蘇芳と私の関係は、普通、だ。普通の友人関係を築くみたいに、ちょっとずつやりとりが増えてきていて、でも彼の家に関することの相談なんかはまだ受けたことはない。休みの日に、「遊ばない?」って誘われることが増えたかな。


 私と紫苑と両親と蘇芳、五人の食事は大して会話は弾まない。互いのここ一週間の近況報告を当たり障りなくすることが大半だ。でもやらないよりはマシだと思っている。

 焦ることはない。ゆっくりと変化が訪れればいい。

 本心からそう思っている。いるのだけれど。


 最近、なぜか妙な胸騒ぎが消えなかった。

 『迷いの城殺人事件』まではあと二年弱。その前になにか、思い出さなくてはならないことがある気がする。不思議なことに、この妙な胸騒ぎは、みんなで食卓を囲むごとに強くなっていた。


「紫苑のその髪色、本当に似合ってるね」

「根本が結構黒くなってきてるんだ。週末に染め直してくる」

「別の色にしたりは?」

「はあ? するわけないだろ。姉さんが似合ってるって言ってんのに」


 照れた様子に、ふふっと嬉しくなるけど。

 実は、紫苑の髪を見ても同じように胸がざわつく。


 小説内でなにか絡んだ事件があったのか考えているんだけど、わからない。

 何かあと一押しあれば、思い出せるかもしれない。


 両親と囲む食事に紫苑の髪――これらと関係する事件なんて、なかった気もするんだけどな……。

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