16:戦いの場は食卓でした

 観光地の山中で、大自然のヒーリング効果もまったく意味なしな深刻なやりとりをしたあと、私は両親に連絡した。

 善は急げ。今の家族との関係をどうにかする……少なくとも、どうにかしようという私の姿勢を紫苑や両親達に早く示したかったのだ。


 どうしてもみんなで夕飯をしたいと久しぶりのわがままを言って、約束をとりつけた。外食でもよかったけれど、いろいろあって母が夕飯を用意すると言ってくれた。

 鍋の材料を買って帰るし、私が食事の準備をするとも言ったのだが、うちには食卓用のガスコンロがないと言われた。思えば、うちの家で鍋をみんなでつつくという行為なんてしたことがない。


 そうして家に帰ってきて早めの夕飯である。

 記憶が戻ってから、いや戻る前を合わせても、こんなに緊張した食事はないと思う。

 テーブルの真ん中にはラザニアがでーんと置かれ、周りにはサラダや名前不明のおしゃれな副菜が並ぶ。食器も特別なとき用のものだ。

 急な提案だったのに母は頑張ってくれたらしい。


「蘇芳くんの口に合うかしら」

「とても美味しいです」


 母が夕飯を用意することになった「いろいろ」と言うのが彼である。

 父も母も揃っての夕飯にするため、ダメ押しの理由として蘇芳の名前を使わせてもらったのだ。婚約者も巻き込んだ私のわがままは、簡単に突っぱねることができないだろうという予想は当たった。

 ちなみに鍋がだめならピザでもとろうって言ったら、母に「私が作ります」と言われてしまった。紅子としては、婚約者が来るのに食事がピザなんて、という感じらしい。


 蘇芳については、直前に家の用事ができて来れなくなったことにして、私の家に来る前に解散するつもりだった。本人にもあらかじめそう言ってあった。

 しかし「なんか心配だし」と最寄駅までついてきて、「ついでだから」と家まで送ってくれて、最終的に出迎えた母に「今日はご馳走になります」って笑顔でお礼を言ってしまって、なぜか一緒に食事となっている。

 その際の私と紫苑のすごく物言いたげな視線は、かんぺきに無視された。


「今日行った場所、神社まで山を少し上るんだけど、緑が綺麗だったよ」


 とりあえず今は父と母に会話を振ることを考えよう。


「そう、よかったわね」

「よかったな」

「うん……」


 もう少し盛り上げたかったのが、失敗だ。

 早く次の話題を探さないと……。

 緊張しすぎて、取り分けられたラザニアの味がわからない。


 そもそも、あの山の崖の上で「よしやってやるぞ」って気持ちになったものの、具体的には何の策も持ってなかった。

 今日はみんなでご飯食べるよ、って勢いのまま調整したまではよかった。

 しかし崖から普通の道に戻り、一応ここまで来たからと上の空で神社にお参りしたあと、駅へと向かっているうちに私の勢いは落ち着いていった。

 そして気付いた。

 紫苑から――ついでに蘇芳からも、私がこれから何をしようとしているのか、どうやら期待しているらしき空気が漂ってきていることを。これがプレッシャーとなって私にのしかかった。


 蘇芳の復讐がどうとかってことも、紫苑がナイフを渡してきたことも、私が突然夕飯を家族で食べると言い出したことも、私達三人はまるで何もなかったかのように話題に出さなかった。それが逆に、全員が心の中では意識していることの証だった。

 蘇芳の事情の件はひとまず置いておくとして、私と紫苑の問題は今日の夕食で大きく動くに違いない――と予想されているんじゃないかと責任の重さを感じる。


 電車の中でだんだんと口数が少なくなって、おそらく顔色も悪くなっていた私を見て、最寄駅につくころには二人に割と本気で体調を心配された。

 今も実は胃がキリキリしている。


 とりあえず、現在の綾小路家に漂う重い空気への不満と改善を訴えよう。

 そういう大まかな方針しか立てられないまま臨んだ夕食。できれば会話を盛り上げつつ、スムーズに問題提起に持っていければ理想的だ。


 話題、話題……と探して、ふと私は今日交わした会話のことを思い出す。


「そういえば、今日蘇芳くんと話してたんだけどね。私、結婚しても仕事を続けると思うんだ」

「何をいきなり言い出すの……」

「吉乃、そういうことは今決めなくていい」


 父と母が食事の手を止め、ぎょっとしたように私を見る。

 ここで出すにはふさわしい話題じゃなかったかもと気付いたけど、もう遅い。緊張しまくった私は、思いつくままに続けてしまう。


「えーと、お母さんもさ、仕事を始めたりしてみたら? 今からでも遅くないよ」

「なんなの、突拍子もなく」

「翻訳の仕事をしたかったって聞いたことがあるよ。やればいいのに。それとも、もう興味ない?」


 たしか去年の秋くらいに、昼間に家にいると考えすぎるって言ってた。紫苑のことで悩んでいる様子を私に見せたときだ。

 なら強制的に外に出てしまったらどうだろう。彼女はたぶん、外で働いたほうがうまく息抜きできるタイプ……と思うから。


「興味は、ないわけじゃ……」


 迷うところを見ると、もしかして脈アリかな?


「その必要はないだろう」

「は? なんで?」


 母じゃなくて父が返事をするから、反射的に聞き返していた。思ったより反抗的な口調になっていて父がたじろぐ。

 わがままを言う以外で、私がこんな態度を取ったことはなかったもんね。


「いや、お金は十分あるし、家にいたほうが……」

「いたほうが?」

「紅子も家のことに専念できたほうがいいだろうし……」

「お母さんにそれ確かめた?」

「お前達だって母さんがいたほうがいいだろう」

「私が働いたらって言ってるんですけど」

「父さんだって、家にいてもらった方が助かる」

「ほとんど家にいないじゃん」

「吉乃、いい加減にしなさい。わがままを言うんじゃない」

「別にわがままじゃない」


 これでも家のことを考えて言ってみてるんだよ。そりゃ、二人の事情とかすべてを汲めてはいないけど、単なるわがままと切り捨てるのは待ってほしい……。


「吉乃、何か不満でもあるのか? 変なわがままを言わないで、欲しい物とかそういうものがあるのなら、はっきり言いなさい」

「吉乃さん、嫌なことでもあったの?」


 全然伝わってない。しかも母までそういうこと言うわけか。

 急速に私のなかでイライラが募る。


「嫌なことならあるよ。それをどうにかしたいって話をしたいの! 二人とね!」


 穏便に問題提起に持っていくとか無理だった。


「ちなみに私がわがままなのはね、きっとあなた達二人に似たからじゃない?」


 乱暴に置いたフォークが皿にあたって甲高い音を立てた。

 私の突然の癇癪に二人とも呆気にとられている。蘇芳と紫苑のほうは恥ずかしくて見れない。


 とても久しぶりの感覚だった。前世の記憶が戻って、恥ずかしい過去として封印した十五歳までのわがまま自己中な自分を思い出す。

 自分の思い通りに行かなくてイライラしたときに、思うがままに癇癪を起こしていた私だ。


「何か気に食わないことでもあるのか……」

「はっきり言うとね、この家の暗い空気が気に食わないんだよね! 特に食事どきの会話のなさ!」


 父と母は目をまんまるにして私を見ていた。


「どうしろって言うの」


 そこを突かれると弱い。


「ええっと……週に一回、全員で必ず夕飯を食べる日を決めるのは!? その日は、お父さんもお母さんも、私も紫苑も揃って夕飯を食べるの!」

「なんのために」


 突っ込んだのは紫苑だった。

 彼が両親のいる場で発言するのは本当に珍しい。父と母は、怒った私相手に平然と口ごたえした紫苑にもまた驚いていた。

 でも私にはわかる。紫苑は、私に単に会話のパスをしてくれただけ。


「私達には、会話がなさすぎるの。だから会話をする。でも、たぶんお茶とか飲みながらなんて静かすぎて気まずいだけでしょ。ご飯食べながらなら、なんとかなるはず。どう!?」

「俺は姉さんが言うなら付き合うけど」

「いいかもね」


 蘇芳も控えめに肯定してくれた。

 二人が間髪入れずに同意を示してくれたおかげか、明らかに反論しようとしていた父と母が止まる。婚約者の前で家庭の問題をさらけ出していることを今さら自覚したらしく、落ち着きなくそわそわしはじめた。

 私はむしろ、蘇芳を証人にさせてもらう勢いだ。


「ご飯は私が作るから、お母さんは作らなくていい。お父さん、絶対にその日は帰ってきてよ。じゃないと会社に電話するからね!?」


 高校二年生になってやるダダのこね方じゃないな、なんて冷静に内心突っ込む。そうしていないと恥ずかしくて、テンションを保ちきれない。


「みんなで夕飯を食べて、それだけでうまくいくと思うの?」


 母、鋭いな。


「そんなの……わかんないよ」


 そう、私にだってわかんない。こんな最初からうまくいってない家族関係が急に好転する策なんて、いくら考えても思いつかなくて、胃が痛くなるだけだよ。


「ま、まあ、やることには意味があるかもしれない……な?」


 急に元気のなくなった私に、父がフォローを入れてくれた。弱みを見せると、途端に強気に出られなくなって慌てだす人なんだよね……。


「その言葉、忘れないからね。約束だから」


 つけこむ形で言質をとった。あとは母……。


「吉乃ちゃん、顔が赤いよ。大丈夫?」

「平気……」


 きっと興奮しすぎたんだと思う。頭に血が上ってしまって、さっきからちょっとクラクラしている。


 てかフラフラする?

 周りが揺れているような……。


「ちょっと、姉さん!」

「吉乃さん!?」


 ああ、これまずいわ。

 視界の端が黒くなって、ぐるんぐるんしだした。これはまずい。さすがにわかる。

 私はバランスを崩して、椅子から転げ落ちてしまった。貧血かな、これは。本当、カッコよく決められないなあ。さすがに悔しい。

 だって、まだ言いたいことを全部言っていないのに!


「みんなでドラマの話とかしよう……」

「はあ? 何言い出してんの」

「ご飯食べながら、どうでもいいこと話して笑うわけよ。ほら、この小説がドラマ化したらどうかなとか」

「ほ、本当に大丈夫か、吉乃」

「意地でもやるから。みんな、小説読んどいてよ」

「小説って、あなた、どの本のことを言っているの?」

「そんなの……」


 ええと、何の本がいいかな。

 『きらめき三人組』シリーズはこの世界に存在しないし……。


 黙り込んだら余計に心配させたのか、「病院は?」「救急車?」とか焦る父と母の声が聞こえる。


 てか、前世の記憶の中の家族のことは忘れて、目の前の家族に向き合おうとしてるのに、お手本が前世頼りってのはよくないかも……。


 床に座り込んだ私は、かろうじて少し機能している視界の端に、紫苑の服を見つけて掴む。


「いい? 私が楽しいって思いたいのは、この家族でってことだから! ドラマ化の話で盛り上がりたいのは、あんたとお母さんとお父さんとだから!」


 って言ったところで蘇芳が隣にいることに気付いた。


「あ、蘇芳くんもご飯、食べにくる? 婚約者だし……」


 こんな空気の中、一人アウェイな感じにするのは申し訳ない。社交辞令として言っておいただけだったんだけど、


「わかった。本、読んでおくよ」


 真面目に返された。あなた、本当に変なとこで落ち着き払ってるよね。今日の崖の上でもそうだったけど。

 その落ち着きは、私のまだ知らない過去のせいなのかな、やっぱり。

 あと、小説どうこうはただの一例なので、そこまで真面目に受け取らなくていいです……。


 だめだ。寒気もしはじめた……。あと胃の調子も悪すぎる。

 目を瞑って気分が悪いのをやりすごそうとしていたら、誰かの手が頬に当たった。


「おい、アンタ」

「吉乃ちゃん、熱が出てるみたいです」

「頭いたい……気持ちわるい」


 結論から言うと――私は、ストレス過多による発熱で倒れました。

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