15:異母弟、綾小路紫苑
「け、消すってどういうこと?」
安直だが、私は時間稼ぎの質問を始めることにした。
相手の考えを喋らせることで、そこから解決の糸口が見えてくるかもしれない。
でも私の口から出た言葉は震えまくっていて、解決の糸口とか推測する心の余裕はないかも。
「そうだな。その崖から飛び降りるよう、伊集院サンのこと脅してみてくれればいいよ」
簡単に言ってくれる……。
こういうとき、もし私が、さくらや紫苑や蘇芳達のように物語の主要人物だったなら。
かっこよくシチュエーションにあった台詞を吐いて、上手くこの場を収めるだけの力量があったのかもしれない。
例えばさくらには、人がつい聞き入ってしまう喋り方をする才能がある。
紫苑や蘇芳も高い情報収集能力や分析力なんかを持っていたり、相手に堂々とはったりかまして会話の主導権を握る力なんかがあると思う。
しかし私にそんなすごい力はない。
「この崖の高さじゃ、怪我で済むと思う。消すってことにはならないんじゃないかな……」
小説に出てきそうなかっこいいことをずばっと言って決めようとしたら、おそらくすべる。
なら、それを逆手にとった手法で攻めてやる。時間稼ぎしつつ、私との間の抜けた会話で気分をそがせられればいいな作戦だ。
とにかく物騒な展開だけは止めなくてはならない。
「でもナイフで刺すってのは、姉さんには難しいよね?」
「そ、そうね……」
早速、めげそう。
「紫苑は私を犯罪者にしたいの?」
「……違う」
横目で確認するが、蘇芳は私達の様子を黙って見ている。
立ち位置的に私と紫苑で崖側に追い詰めているような形になっているから、下手に動けないだけかもしれない。
蘇芳と紫苑が両方とも何かしはじめたら、おそらく私には打つ手がなくなる。なので彼が静かなうちになんとかしたい。
「姉さんは、俺と伊集院サン、どっちの味方?」
「紫苑の味方だったら、ナイフを構えなくちゃいけないの?」
質問返しで返事をごまかす私に、紫苑は表情を険しくした。
こ、怖くないから。ここにいるのは、小説に出てきた怖い裏設定持ちの綾小路紫苑じゃなくて、一年以上一緒に暮らしてきた弟だって自分に言い聞かせる。
「伊集院サンは、姉さんを復讐の道具にするつもりだったんだ。俺がそれを突き止めた。俺の言葉を信じるなら、その証拠にコイツを消してみてほしい」
「だ、だからなんでそうなるの」
「俺の言葉が引き金になって誰かが命のやりとりをするの、見たいんだ」
「『誰かが』? 誰でもでもいいの……?」
紫苑の言葉が引き金になって凶器を手にするのは、私じゃなくて誰でもいいのか?
小説に出てくる探偵みたいにはいかないけど、細かいところをついて、どうにかして彼の思考を読み解きたい。
私の質問に紫苑は少し考える様子を見せた。
「誰でもいいと思ってたんだよね。ついさっきまでは。でも、だめみたいだ。カワタさんをうまく誘導できたけど、楽しくなかった」
あれは、やっぱり意図的に煽っていたのか。
「前の家で、殺人未遂があったって、この人が言っただろ。あれって、俺の本当の母親とその結婚相手が揉めたんだよ。俺がいると、どうしてもうまくいかないんだって」
「紫苑……」
「あ、悲しそうにしなくていいんだ。だってそのとき、なんか嬉しかったんだよね。わくわくした。俺が原因になって、誰かが命のやりとりを始めるのがさ。それまでずっと、そこらへんの石ころみたいな存在だったのに、急に俺も人間として誰かに影響を与えられるんだなってわかってさ」
とうとうと語る紫苑は、どこか酔ったようなふわふわした感じだった。気分が高揚して、喋るのを止められないって感じ。
「でもおかしいんだ。さっきの店であのカワタさんを上手く誘導して騒がせたのに、全然わくわくしなかった」
「わくわくしたいから、私にナイフを渡すの」
そう言うと紫苑は途端に慌てた様子になった。
「違う。俺はただ……」
「ただ?」
「安心したいんだ」
焦った顔になった紫苑は、ちょっと泣きそうにも見える。
「最近の姉さんはさ、どこか別の、上手くいってる家族のことを想像してる気がする。現実がうまくいってないから」
「紫苑、それは」
「俺や父さん達がいない、別の幸せな家族の夢でも見てる気がするんだ」
あ、とか、う、とかの声は出たと思う。
ここで口ごもっちゃったら、紫苑の言葉を肯定していることになって、時間稼ぎとかそんなこと言ってる場合じゃなくなるって本能的に感じ取ることはできたのに。
なのに私は返事ができなかった。
彼の言う通りだったからだ。
前世での私は家族と仲が良かった。叱られたり喧嘩したりもするけど、基本的に相手の愛情を疑わずにいれたって、感覚的に覚えてる。
そんな家もあるって知ってしまったせいで、私、紫苑、紅子、藤孝の四人の家族の仲が余計に虚しく感じるようになっていた。
そして前世の自分とどこにもいない家族のことを考えて、虚しさを紛らわしていた。
それが紫苑を傷つけていた。
一気に体が冷えていく気がした。
あの家で私だけは彼の味方になるって決めたはずだったのに。私が原因で彼は傷ついていたんだ。
「いいんじゃない? 別に現実逃避な夢を見ていても」
言葉をなくした私の代わりに答えたのは蘇芳だった。
「そうしないと吉乃ちゃんが苦しいなら、いいと思うけど。紫苑くんの安心のために、彼女に我慢しろっていう権利はないだろ」
さっきまでめちゃくちゃ冷たい目で見てたくせに、なぜか急に私の肩を持つような言葉をかけてくれる。
「だけど俺はもう、そこらへんの石ころに戻るのは嫌だ」
そう言って紫苑が俯く。
つられて俯いた私の足元にも小石が転がっていた。こういうときじゃなければ、たぶん意識することもなかった石ころ。
私は右手に持ったナイフをぎゅっと握りしめた。
「吉乃ちゃん、どうする?」
さっきと同じ質問を蘇芳が投げてくる。
しかしさっきと違って気遣うような響きが混じっていた。この人、自分がナイフ向けられそうになってるって自覚あるのかな。
こんな時に優しい声を出されると、いろいろ気持ちが高ぶって泣きそうになる。
……泣かないけど。
『きらめき三人組』の事件解決シーンじゃあるまいし、私が泣く程度じゃこの問題は解決できないだろう。
「紫苑、家に帰ろう」
「俺の望みは聞けない? 伊集院サンの味方ってこと?」
「違う。私は紫苑の――」
味方、と言いかけて言葉を切った。
探偵でもなんでもない私が今わかるのは、ナイフを向けるべきは蘇芳じゃないってことだ。
さらには、二人に対してどちらかの味方か敵かとか、そういう話にもしたくないってこと。
強いて言うなら――。
「私は両方の味方をするよ。無駄に敵とか作る気はないから」
……あれ? もしかして、ちょっとかっこいいこと言えたかもしれない?
本当にちょこっとだけ、そんな考えが頭をよぎったのだが。
返ってきたのは、「は?」とか「ええ」とかいう呆れたような呟きだった。
「何よ。文句あるの」
「そこは俺の味方って言うとこじゃないわけ……」
「吉乃ちゃん……まあ、いいけど」
そ、そこまで戸惑わせる内容じゃなかったよね? 言い方の問題? 間の取り方か?
やはり、私が物語のヒーローのようにかっこよく決めるのは厳しいらしい。
急に二人とも拍子抜けしましたみたいな雰囲気になって、私がまるで空気読めてないみたいな感じもするけど、気にしない。……気にしない!
かっこ悪かろうが、私なりにやるしかないから。
そうだ。間の抜けた会話で気分をそぐ作戦は成功しました! ってことにしてほしい。
「でもまあ、今はそれでいいよ。少なくとも俺の味方であることには違いないだろうし、それで」
紫苑が大きく息を吐く。
「俺は崖から落ちなくてよさそう?」
「そういう気分じゃなくなった」
もう大丈夫だと判断したのか、蘇芳がこちらがひやっとするような冗談を言う。紫苑は憮然としてそれに返しながら、私に手を差し出した。
「ごめん。姉さん」
ナイフを渡せってことだろう。
だが私は首を振って、もう一度それを強く握りしめる。
まだ、問題解決ってわけじゃない。
「謝らないで。謝りたいのは私だから」
「でも……」
「ごめん。ちゃんと向き合ってるつもりで、できてなかった。だから……家に帰ろう」
向き合わなきゃいけない相手は、そこにいると思うんだ。
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