14:山、そして崖

「紫苑、何の話なの? 復讐ってどういうこと……」

「姉さん、コイツは――」


 説明しかけた紫苑が途中でやめる。

 楽しげにしゃべる観光客グループが、足を止めてしまっていた私達を追い越していった。


「道を外れてみない? ここじゃ落ち着かない」


 言うなり、紫苑は舗装された道から外れ、林の中へと進んでいく。

 よく見れば地面が踏み固められていて、人の通る道になっている場所がある。周りも人の手が入っているようで、地元の人達が使う道なのかもしれない。

 黙って紫苑の後に続く。蘇芳は何も言わないけど、素直についてきた。


 道をそれて傾斜を降りたら、少し広めの場所に出た。さっきまでいた神社への道からは、木々が邪魔して見えない場所。小さな川の近くだ。

 不安になったのは、川に面した部分がちょっとした崖になっていること。

 迂回して川に続いていそうな道ができているから、そこを進んで川べりに行けば、釣りとかできたりするのかもしれない。

 紫苑はまさに、崖の手前で立ち止まった。私や蘇芳にも、もっと自分のほうに来るよう誘う。


「内緒話するのに、距離置いてどうすんの?」


 挑発しているようにも聞こえた。私も蘇芳も黙って紫苑の傍へ行く。


 青々とした緑に囲まれ、柔らかな日差しが差し込み、川の水面は太陽の光を反射してきらきらして――とても良い場所だった。沢の音と鳥のさえずりをバックミュージックに、ヒーリング効果がすごく高そうな穴場スポット。

 ただの観光としてきていたなら、こんな場所を見つけてラッキーって思えただろう。


 だが『きらめき三人組』シリーズに出てくる崖って、だいたい犯行現場か犯人が追い詰められる場所である。

 不安が増す。けど「崖は縁起悪いから、場所変えようよ」とか言う雰囲気ではない。


「この人の父親ってさ、綾小路家の姉妹のどっちかと結婚しようとしてたんだよ」


 紫苑の説明は唐突に始まった。


「姉妹? うちの母親と蒼子叔母さんのこと?」

「そうそう」


 ちらっと蘇芳を見るけど、彼は涼しい顔で紫苑の話を聞いている。


「紅子さんか蒼子さんと結婚できてたら、もしかしたらあんたの父親が伊集院家の跡取りだったかもしれないんだろ?」

「よく調べたね」

「あんたの叔母さん、口が軽すぎ」

「ああ、茜さんか……」

「茜さん?」

「俺の父親の妹。祖母からお小遣いもらって、遊んで暮らしてる人。寂しい人だから、綺麗な顔の子にちやほやされたら、なんでもぺらぺら喋るだろうね。特にうちの親とは仲が悪いし」

「相当な仲の悪さだろ。あんたの婚約者の弟ですって名乗ったら、喜んでいろいろ教えてくれたよ。いちいちタバコの煙をこっちに吹きかけてくるのには参ったけど」


 タバコ? もしかして、紫苑が髪を染めた日に服についていたあの匂いはそのせいか!


「伊集院家の跡取りは別に決まってたけど、あんたの父親はもしかしたらって欲を出した。しかも姉妹のどっちかとなら結婚できるはずって、勝手に思い込んでたらしいな」

「馬鹿だよね」


 自分の父親のことだけど、蘇芳はあっさり言ってのける。


「で、上手くいかなかった。しかもそのストレスを結婚したあとに自分の子供にぶつけはじめた」

「暴力は振るわれてないし、衣食住も恵まれてたけど?」

「ただ存在がないものとして扱われてたんだって? あんたも、あんたの兄貴達も。あんたの叔母さん、カワイソ~って何度も言ってた」


 からかうような言い方をされても、蘇芳は薄く笑っていた。貼り付けたような不自然な笑顔。

 むしろ私のほうが胸が痛くなってきて、紫苑に止めようって言いたくなる。でも聞いておかないと、たぶん私の生死に関わる。


「綾小路家の娘と自分から婚約を望むなんて、絶対に復讐のためだろうって断言してたよ。俺の姉さんには気をつけるよう忠告してあげて、だって。楽しそうに言ってたな」

「自分から望む? 蘇芳くんが?」

「そう。コイツが姉さんとの婚約にやたらこだわってたのは別に家のためじゃない。むしろ、コイツの父親は、苦い思い出のある綾小路家にはもう関わりたくないって感じだったらしい。それをコイツが説得したんだってさ」

「茜さんは本当に困った人だな。適当にやってるクセに、妙に情報通なんだ」


 てことは、紫苑の言っていることは事実なんだ……。

 蘇芳の父親は、かつて紅子と蒼子のどちらかと結婚しようと思って失敗し、伊集院家の後継者争いで戦えなかった。

 そのせいで――蘇芳の父親の詳しい心情はわからないけど――自分が家庭を持っても、家族を大事にできなかった。どころか、紫苑の言う通りなら、子供達は存在のないものとして扱われていた。


 そんな扱いを受けた子供が、自分の家がそうなる原因を作った女性の娘とお見合いして婚約を望む。たしかに何か理由があるって疑うのが普通だ。


「復讐のためって、本当?」


 その復讐には、もしかして「綾小路吉乃の殺害」なんかも含まれているのか。


「違うって言っても怪しいね」


 蘇芳は困ったなとため息をつく。


「ここまでバラされたんだから、結婚なんて潔く諦めたら。姉さんも乗り気じゃないしさ」

「人のことばっかり責めるのはずるいな」


 蘇芳は余裕な態度を崩さない。さすがに紫苑が怪訝な顔になった。


「ずるいってなにが」

「そっちだって綾小路家を恨んでるだろ? 君こそ吉乃ちゃんに取り入って復讐を――って疑われてもいいはずだよね」

「恨むって、俺の父親のこと言ってんの? 別に……今さら言っても仕方ないことだと思ってるよ」

「本当に、仕方ないで済む?」


 紫苑が綾小路家を恨む理由は……。

 父の浮気相手の子として生まれて、十五歳になる前に突然、本妻の元に引き取られて不遇な扱いを受ける。確かに恨まれても仕方ない。

 でも今の生活は、少しくらいは私の努力でいいものにできている……と思いたいんだけど……。


「あんた、何が言いたいわけ」

「君を育ててくれた人達は、君の存在が原因で喧嘩して、刃物持ちだして殺人未遂。なかなか仕方ないで済む話じゃないよね」

「えっ……」


 思わず声を上げてしまったら、二人の視線が一気に私に向いた。

 紫苑は「しまった」って顔をしていて、蘇芳は「へえ」と興味深そうに呟いた。


「吉乃ちゃんは知らなかったんだ。仲良さそうだったけど、大事なことは聞いてないんだね」

「わざわざ言うことじゃないだろ」


 紫苑は「いずれ言うつもりだったし」と不機嫌そうに付け足す。それを見た蘇芳は、どこか満足そうだ。一方的にやられっぱなしに終わらなかったからか。

 私は、一気に告げられた事実を、どう処理すべきかわからない。


「俺達どっちも、綾小路家に恨みを持ってておかしくない。――吉乃ちゃん、俺を疑うなら、紫苑くんも疑いなよ」

「俺は復讐なんて考えない」

「そうなんだ。じゃあ俺も考えてないって言ったら信じる? 無理だろ」


 私……どっちにも「殺したい」と恨まれる下地はあったんだ。特に何もしなくても、元から!

 記憶が戻って心を入れ替える前の私のままだったら、絶対にやばかった。きっと二人の前で無神経全開の行動をとって、より恨まれたと思う。

 むしろ今だって、まだ安全とは言えないのかも。


 蘇芳からも紫苑からも、私は少し距離を取る。なかば無意識のうちの行動だった。

 紫苑はそんな私に気付いて、笑ってずいっと近づいてきた。


「姉さん、俺のことを信じるなら、コイツを消したほうがいいよって俺のアドバイス、聞いてもらえないかな?」


 弟が、急に物騒なこと言い出した。無理、これ以上は私の脳がパンクする。


「け、消す?」

「うん」


 はい、これで、ってぽんと渡されたのは、持ち手に綺麗な細工のされた小型のナイフだった。

 お土産屋で見ていたハサミじゃないのね。そこは伏線じゃなかったんだ。

 てかこれ、小説で紫苑がたまに持ってる描写があるやつじゃない!? 何かの事件でどこかに閉じ込められたとき、これを持ってたおかげで活路が開かれたんだよね!


 混乱してるときって、どうしてどうでもいいことにはすぐ気付くんだろうな。


「見てみたいんだ。また俺が原因で、誰かが誰かに刃物を向ける姿をさ」


 なんだろう。あっけらかんと言って見せる紫苑は、状況だけみれば意味不明なサイコパスみたいだ。なんだけど、前世で小説を読んだ私が感じた「こいつサイコパス」って感想は当たってたなとか思うんだけど……。

 でも目の前にいる彼はそれだけじゃないってどこかで感じてる私もいた。


「吉乃ちゃん、どうする?」


 蘇芳も、どうして落ち着いてるの? なんなの、その「夕飯どうする?」みたいなノリは。でもめちゃくちゃ冷たい目をしてる!


 私は、右手に握らされた小ぶりのナイフをじっと見つめた。


 もうなにがなんだか本当にわからない……!

 でもここで私が踏ん張れるか否かが、私だけじゃなくて彼らの将来も左右するのではないかと思った。

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