2章

11:嫌な予感

『ねえ、最初に死ぬの、この子じゃなくてもいいんじゃないの?』


 紙の束を持った私が、誰かに言っている。


『だめだよ。この事件の1人目の被害者は、悪役ご令嬢さまなんだから』

『悪役令嬢? なんじゃそりゃ……』

『ふふ。これはね、決まってるの』


 ちょっと、そういう変なこだわりは怖いからやめてよね。

 私、まだ死にたくないんだから……!



 ――そう、死にたくない!


 ぱち、と目を開けたらいつもの天井だった。

 綾小路吉乃の部屋の天井だ。起き上がって確認するけど、ここは紛れもなく私、吉乃の自室である。


 変な夢を見た。というかあれ、前世の記憶か。

 話していた相手は、たぶん前世の従姉だと思う。直前まで見ていた夢だというのに、顔も声もどんな場所にいたのかも曖昧だ。でも会話内容だけは覚えている。

 あれってたしか前世の私が、従姉の原稿を読んで感想を述べたときのことだ。

 シリーズ一作目『迷いの城殺人事件』の1人目の被害者が、犯行の邪魔というだけで殺されたのが気の毒だなと思って意見を述べたときの話。

 つまり「綾小路吉乃が被害者じゃなくてよくない?」って私が言って、従姉が「決まってるの」ってはっきり答えたって記憶だ。


 「この事件の1人目の被害者は悪役令嬢」か……。

 朝から縁起の悪い記憶を思い出したものだ。私は確かに小説で悪役令嬢ポジションキャラだけど、絶対にあの殺人事件は回避してみせるから!

 私の死亡に繋がる原因は着々となくなりつつあるはずだし、大丈夫、大丈夫。

 こうやって調子に乗りすぎてるから、あんな夢を見たのだろうか? でも本当に最近は順調な気がするのだ。

 むしろ最近は家族の――両親達のことのほうが悩ましい。



 四月の半ばの日曜日、今日は父が家にいて、久しぶりに四人で夕飯をとるらしい。

 数日前に紫苑は誕生日を迎えていたのと関係するかもしれない。

 去年は何もできなかったから、今年はささやかだけど私がケーキを買ってきて当日にお祝いした。母はその日は用事があって外出すると前から言っていた。そして特に理由もなく数日前に臨時のお小遣いをくれた。そのお金でお高めのケーキを買ったのだ。

 彼が私と同じ高校に入ったお祝いも兼ねていっぱい買ったら、食べるのが大変だった。


 父は紫苑の誕生日について触れるのかな。そろそろ夕飯どきになり、そんなことを考えながら部屋を出た時だった。見慣れない薄茶色の髪が目の前にあった。


「どうしたの、その髪!?」


 外出から戻ってきたばかりらしい紫苑の髪が、黒からまったく別の色になっていたのだ。


「染めてきた。ヘン?」

「変じゃないよ。むしろ似合ってる。けど!」


 知らない人が廊下に立っているかと思って、めちゃくちゃ驚いたよ。


「思いきった明るさだね」

「あんたが似合うって言ったんだろ」


 たしかに言った! そういや言った!

 小説の紫苑は薄茶色の髪した薄幸イケメンという描写だったので、高校生になった彼にふと「こういう色、似合うと思うよ」って気楽な感じで言っちゃってたのだ。

 でもたしか彼が髪を染めるのは、もっと後のこと……。何かきっかけがあるんじゃなかったっけ。

 うーん、よく思い出せない。何かがあったのは確かだった気がするけど。


「高校に入った直後にそれって、目をつけられない? 平気?」

「うちの高校の生徒って穏やかなやつばっかりじゃん。平気」

「まあそうか」


 進学校のくくりに入るうちの学校は全体的におっとりした子が多い。そのせいか校則を派手に破る子もいなくて、先生方も成績やその他の素行が悪くなければ、髪の色は目こぼししてくれやすい。

 でも一番の問題はそこではなく。


「お父さんとお母さん、何か言ってくるかも……」


 こういうことに口うるさいタイプじゃないけど、この明るさはさすがに……。


「あの人達が、言うと思う? 興味ないでしょ」

「そうかなあ」

「問題ないよ」


 それはそれで、なんかダメだって気がしてしまう。


「あのさ、姉さんってどこの家の親のこと言ってんの?」

「うちの親でしょ」

「髪の色にうるさいとか、どこからそんな発想くるんだよ。たまに全然違う家の話をしてるんじゃないかって思うときあるんだよね」

「……まさか」


 どきっとした。否定したけどちょっと自信がなかった。

 たしかに最近、私の頭には顔も名前も声も思い出せない、前世の家族達のことが浮かぶことが多い。

 でも仕方ないじゃない。

 ここ半年くらい、うちの家の状況はほぼ停滞している。去年の夏の終わりにはちょっとずつ前進するかなって思ったけど、気付けば半年。その間、あんまり変化がない。そのことに気付いて少し悲しくなったんだ。

 心の隅にはどうにかしたいって気持ちはあるのに、何もできず半年だ。

 前世の家族はあんなに和気あいあいできてたのになって、思い出して切なるくらい許して。


「まあいいや。俺、着替えてくるから」


 そう言って紫苑が通り過ぎたとき、ふとこの家では嗅がないはずの匂いがした。


「ちょっと待って」


 慌てて紫苑の腕をつかむ。そのまま私は彼の服に鼻を近づけた。


「な、何してんの」

「タバコくさい……!」


 紫苑の服から煙草の臭いがする。父はだいぶ前に禁煙して、この家では久しく嗅ぐことのなかった匂いだ。

 髪を染めた上に煙草? 月並みだけど非行の始まりとかそういうこと!? 紫苑って喫煙者の設定あったっけ!?

 頑張って記憶を辿るけど、そんな描写を読んだ覚えがない!


「コーヒーショップ入ったら喫煙席しか空いてなかったんだよね。きっとそこで付いたんだと思う」


 紫苑はやんわりと掴んだ腕をふりほどく。後ろめたいことなんてない証のように、私を正面から見据えた。


「紫苑は吸ってないのね?」

「吸わないよ。姉さん、煙草の匂いは苦手だって言ってたし」


 いまいちずれた答えのような気もするけど、吸ってないならいいか。

 堂々としすぎていてどこか怪しい気もするけど、それ以上は追及できなかった。




「だいぶ明るくしたんだな」


 夕食時、父がさすがに紫苑の髪色に突っ込んだ。

 怒る? 認める? どちらにしろ、ちゃんと触れてくれたのにほっとして、すぐに私も乗っかった。


「似合うよね、この色」


 父は、ああ、まあ、みたいな返事をする。……それで終わり?

 母を横目で見たら、眉間に小さく皺を寄せて二人を見ている。

 紫苑はどうだと見たら、しらっとした顔で食事を続けてる。

 はあ、と小さくため息が出た。前世の家族だったら「似合う~」とか「そもそも髪を染めてもいいものか」とか何かしら会話が続いたんだろう。


 私は虚しい気分になって前世に思いを馳せながら食事を再開した。

 ふと視線を感じて顔を向けたら、紫苑が鋭い目をしてこちらを見ていた……気がする。なんだろう。一瞬だったし気のせいだったかな。


 そんな感じで、二年後あたりに迫った殺人事件よりも家のことで気分が落ちたまま、ゴールデンウィークに突入した。


「紫苑くん、髪染めたんだ。似合ってるね」

「それはどうも」


 なぜか私はいま、紫苑と蘇芳とともに観光地へ日帰り旅行に来ている。

 なんでこうなったんだ?

 今日のお出かけは、あれよあれよと話がまとまってしまって、こうして当日になっても実感が湧いていない。


 少し前に蘇芳から一緒に出掛けないかと誘いがあった。すぐに返事できずに迷っていて、それをぽろっと紫苑にこぼしたら、紫苑が三人で出掛けたいと言い出したのだ。

 二人きりは緊張するし、三人ならありかと思って蘇芳に訊いてみたらあっけなく承諾された。紫苑が一緒なら断るかもと思っていたのだが、気にならないらしい。

 さらに紫苑の方から出かける場所を調べて提案してきたのも意外だった。


 特に旅好きでもアウトドア派でもなさそうな紫苑が提案したのは、主要駅から特急に乗って一時間半程度の観光地だ。

 ちょっと田舎な雰囲気で、駅周辺には観光客向けの土産屋や食事処が並んでいる。

 見どころは通りを抜けて歩いた先の山の中腹にある神社だ。山といっても大した高さはなく、神社まで歩いて登るための道もあって、自然を楽しみながら歩くのがおすすめらしい。

 すごく混むほどでもなく、かといって人がいなさすぎて気まずくなるほどもない。ゴールデンウィークだというのに過ごしやすくて助かる。

 ただ高校生がわざわざ来たがる場所かというと、違う気がする。


 私は首をかしげていた。

 どこか朝から違和感がある。嫌な予感と言い換えてもいいかもしれない。

 駅前に並んだ土産屋をのぞいていたとき、紫苑が持ち手に綺麗な細工のされた小型のハサミをじっと見つめていたのも不安を煽った。

 いやいや、今の彼を疑うのはよくない。私が彼に「殺したい」と思われる未来はほぼ回避したはず……。


 そして神社のある山の入り口近く、古民家カフェに入ってしばらくしたときのことだ。


「あれ? 吉乃ちゃん! 蘇芳くんに紫苑くんも!」

「さくらちゃん!」


 さくらの横には、ゆりとつばき。この三人組とこんな場所で会うなんて、ただで済む気がしない。

 嫌な予感ってこれだったの……?

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