09:お見合い相手、伊集院蘇芳
「破棄って、この話を断るつもりなんだ……?」
思いのほか蘇芳は本気で動揺している。そのおかげか、私が言葉を選び間違ったことは気にしていないようだ。
「断るよ。だって私達、合わないと思うんだよね」
「無理でしょ。家同士の関係が絡んでるし、ご両親も許さないと思うよ」
「そう? お断りするのもありだって言ってたよ」
「……嘘だろ」
正確には、大学を卒業するあたりまでに蘇芳に非が見つかったときは断ろうか、だけど。
「そろそろ戻ろうよ。暑いし、喉渇いたし、冷たいものが飲みたくなってきた」
日傘をさしていても、もう限界だ。
謎解きシーンを見て、従妹の言葉にイライラして、さらにここで婚約者……じゃなかった、お見合い相手と揉めるなんて勘弁だ。
腕時計を確認したら十五時を回っている。旅館を出て一時間弱。さすがに親達も心配し始めているかもしれない。
ほら、と促して私は来た道を戻りはじめる。すぐに蘇芳が慌てたように隣に並んだ。
「待てって、話は終わってない」
「なら歩きながら話してよ。旅館に戻らないと熱中症になりそう」
「伊集院サン、そんなに婚約成立させたいの? この人――姉さんのことそんなに気に入ったんだ?」
「そういうわけじゃ……」
「気に入ってないのに婚約したいの? すげえ失礼」
「紫苑くんは少し黙っててくれる?」
逆隣りに並んだ紫苑は完全にからかいモードだ。さっきの仕返しとばかりに。
私としてはやってやれという気持ち。しかし、あまりやりすぎるのも問題かもしれない。下手すると私の命が危なくなる。
……ようやく冷静な私が戻ってきた。
お見合いを断るにしても、もう少し丁寧にいくべきだった。
崖から離れて木々に囲まれた遊歩道に戻ると、日差しが遮られて少し楽になる。流れる汗は不快で早く室内に戻りたいけど、ちょっと歩くペースを落とした。旅館につくまでに、彼と話をつけられたらいいんだけれど。
「吉乃ちゃんと俺との婚約は、ほぼ決まったようなものって聞いてるよ」
「でも絶対じゃないんでしょ。それに、紫苑にあんな失礼なこと言う人は遠慮したいの」
「失礼なこと? あの程度で?」
「私達、本当に気が合わないね」
間髪入れずについ言ってしまう。だめだ。もっと穏便にお見合いを断るほうに誘導しないと。
「あのさ。家同士のことはよくわからないけど、私の親は婚約が絶対って感じじゃなかったよ。蘇芳くんだって、できるなら好きな相手と結婚したいでしょ」
「俺は割り切ってるから」
「今すぐに断れない話なら……いったん婚約して、周りが解消するのも納得するよう仲の悪いフリをしていくのはどう? いずれお互いに好きな人ができたときのためにも」
「俺に他の好きな相手なんて、できないと思うよ」
蘇芳にとっても悪くない話だと思ったのに、彼は乗ってこない。
「西園寺さんのことを気に入ってるんだろ。あっちとお見合いしてみれば。お似合いだよ。……そう思わない?」
「まあ……私よりは」
もともと面識があって、さくらは蘇芳のことが好き。少なくとも私よりはアリかもしれない。家同士のなんちゃらについてはわからないが、西園寺も結構大きな家だ。
その程度の考えで頷いたけど――。
「お似合い? 俺があの子と? あはははは! 本気でそれ言ってんの? あはは!」
突然、蘇芳が声をあげて笑い出した。我慢できません、みたいに芝居がかった動きで体までまげて。
自然と立ち止まって、私と紫苑は急に様子が変わった蘇芳に注目した。今の、そんなに笑うほどの内容じゃなかったと思うんだけど。
「吉乃ちゃん、もしかしてさくらちゃんに妬いた? それでお見合いを断るなんて言い出したの?」
「ち、違うよ! 私と蘇芳くんじゃ、単に気が合わないと思ってるの!」
「まあどうでもいいや。それより、俺がさくらちゃんとお似合いなんて、信じたくないな。最悪だよ。二度と言わないでくれる?」
笑いながらそんなことを言う蘇芳に少し引く。気持ちでも引いたけど、物理的にも一歩引いた。
ちょうど落ちていた小枝を踏んだみたいで、ぱきんと音がする。
「俺、あの子のこと、嫌いだよ。大嫌い」
蘇芳は何の感情もない昏い瞳をしていた。口元だけが笑っていて、その対比にぞっとする。怖い。
「……ごめん」
つい謝ってしまう。言ったのは俺なんだけどって紫苑が小さく突っ込むけど、さっきからかっていたときのような勢いはない。
蘇芳はさくらのことを嫌っている? どうして?
理由は思い浮かばない。小説では蘇芳がさくらのことを嫌っている描写はなかった。それどころかご都合担当お助けキャラ枠で、仲がよさそうだったのに。
――嫌いっていうのは「殺したい」ほどだったりするのだろうか?
すぐに疑問が浮かぶ。だって自分が彼に憎まれて殺される未来のことをずっと考えていたのだ。こんな様子の彼を見たら当然気になってくる。
「蘇芳くん、あの……」
「理由を聞かれても、嫌いなものは嫌いとしか言えないから」
「そうではなくて」
「大嫌いは言い過ぎだとか、あの子みたいなきれいごと言わないよね?」
「言わないよ。それより……」
「それより何?」
だめだ。今の蘇芳相手に「嫌いってどのくらい? 殺したいレベル?」なんて聞けるほど、私の心臓は強くない。
「さくらちゃんが嫌いなら、どうしてあんなに庇ったりしたの」
「庇う?」
「さくらちゃんが私達に言ったことを、あれでも励ましてるんだとか、きれいごとだって感謝する人はいるんだとか、庇ったでしょ」
「そうとられてたのか……」
はは、と自嘲気味に蘇芳が笑う。紫苑がむっとしたように口を開いた。
「わざわざ俺に説教までしただろ。大人になれって」
「本当のことだろ。あの程度……」
はあ、と大きなため息をついてから蘇芳が続ける。
「受け流さないと。世の中、やっていけないよ」
直前まで怖くて引くって感じていたほどの相手なのに、事情も知らないのに、私は胸が苦しくなった。それくらい、やっていけないよって言う彼が急に弱々しく見えたから。
彼の言葉は私達に言ったようでもあり、蘇芳自身に言ったようでもあった。
「それ、あんたの実体験からくる言葉?」
紫苑の問いかけに蘇芳は答えない。沈黙が答えだ。
彼がさくらの言葉なんて適当に受け流せって言えるのは、もっと無神経な言葉をぶつけられたことがあるからなのか。
蘇芳に何があったのかはわからない。でも彼がさくらを嫌いなのは、さっき私達が経験したように、彼女の言葉に傷ついたことがあるせいかもしれない。
彼に何があったの?
小説じゃあ、こんな設定は出ていなかった。少なくとも私が読んだところまででは。将来的に明かされる予定だったのかもしれないが、私には予想する材料さえない。
三人とも黙り込んでしまって、蝉の声ばっかり聞こえてくる。
うるさいなあなんて逃避気味に考えたら、突然何かが日傘にぶつかった。
「きゃあっ!?」
ぶつかった瞬間にジジ、と鳴くような音がしたので鳥肌が立つ。虫だと判断した次の瞬間には傘を振り回して飛びのいた。
「どうしたの!?」
「なんだよ!」
「む、虫が……ひ、日傘に……ぶつかって……」
蝉かも!? わからないけど、とにかく大きめの何かだった。虫は苦手だ。大きいのも小さいのも、とにかくダメ!
「話の途中で悪いんだけど旅館に戻ろう!? クーラー効いてる涼しいところに戻りたい!」
やけ気味に叫ぶと、ふんと蘇芳が笑った。さっきみたいな怖い笑い方じゃない。毒気の抜けた、楽しそうな笑い方だ。
「そうだね、行こうか」
「突然何かと思ったら、虫かよ」
張りつめていた空気が緩んだ。ちょっとほっとする。虫には感謝しないけど。
私達は誰からともなく、旅館への道を歩き出す。
とりあえず、これからの方針をまとめておこう。
私は気分を切り替えた。今の私には最低限、なあなあで終わらせてはおけないことがあるのだ。
「今回のお見合いについて、私からも親に確認してみるよ。家同士の関係に問題ないってわかったら、そのときは断っても蘇芳くんは困らないよね」
家のために、今の時点では彼と婚約者になるしかないかもしれない。だけど、いつか婚約は破棄しようって思いを彼と共有する。
そこそこ友好的な関係を築きながら、古城ホテルプレオープンの招待状を断ったり、彼に今後「殺したい」と思われるような要素を探って回避する、というプランでいこう。
彼の過去に何があったかは……今は探らないでおく。
私と紫苑の関係について、よく知らない相手に触れられたくないように、彼にとって触れられたくない部分かもしれないから。
私が生き延びるために甘いことを言っている場合じゃないかもしれないけど、でも今はまだいい。殺人事件まであと三年近くもあるんだし、彼とは知り合ったばかりだし、焦る時期じゃない――たぶん。
「そこまでして断りたいんだ」
「嫌なの? 蘇芳くんだって私のことなんとも思ってないでしょ」
「吉乃ちゃんに一目ぼれしたんだけどって言っても、嘘くさいよな」
「明らかな嘘だね」
「ここで好きだって言っても信じてもらえないのはわかるけどさ。じゃあ逆に、さくらちゃんも嫌いだけど、吉乃ちゃんのことも嫌いなんだよね、なんて言ったらどうする?」
「なに、その質問……」
「いいから。……どうする?」
自分でその話題を蒸し返す? しかもさらっと怖いことを言う。
急にそんなことを聞かれたら私の答えは一つ。悩む間もなく口から出てくる。
「殺さないでくださいってお願いする」
「あんた、それは飛躍しすぎだろ」
紫苑の突っ込みが容赦ない。
あなた達には突拍子もないように聞こえるかもしれませんが、私にとっては、本当に心の底からお願いしたいことですから。
特に面白い答えでもなかったのか、蘇芳は軽く笑っただけだった。
「はは。あー……なんか冷たいものが食べたくなってきたな。暑いね」
「ラウンジのメニューにアイスがあったよ」
「じゃあ吉乃ちゃんも一緒に食べる? 奢るよ」
「結構です」
「紫苑くんは?」
「いらない」
「つれないね、二人とも。……三人でお茶しながら、婚約を断る方法を考えようって言ったら乗る?」
それなら、乗ろうかな……?
暑くて疲れて思考が鈍くなってきている。旅館に戻ってから決めよう。
ひとまず彼と友好的な関係を築けそうな気配がして、私は安心した。
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