08:主人公、西園寺さくら

「ありがとう。事件を解決してくれて。これで、サキとちゃんと向き合えるよ」

「いいえ。お二人とも、これからも仲良くしてくださいね」


 充血した眼でナギサがさくら達に頭を下げる。顔を上げたナギサはもう一度ありがとうと告げ、サキや他の友人達と帰って行った。

 崖の上には、私、紫苑、蘇芳、さくらと幼馴染二人が残される。


 これからどうしよう。どんな顔して話せばいいのかな。

 先ほど意図せず、シリーズ裏設定の一つみたいなものの答えにたどり着いてしまった。さくらは蘇芳に告白して、振られたばかりである。


 しかし意外な答えだった。私もさくらの失恋相手は気になっていたのだが、蘇芳だったとは。

 いずれ失恋相手が被害者とか容疑者になる事件が起こって、さくらは切なくほろ苦い思い出とともに謎を解く……なんて回のための伏線だと思っていたのに。全然違った。従姉はこの設定をどう回収するつもりだったんだろう?


 幼馴染の二人はどこまで知っているのかな。目の前にいるのが、さくらの失恋相手って気付いてるんだろうか。


「あの、すみません、巻き込んで」


 幼馴染の男の子のほう、佐々木つばきが私達に謝った。ちょっと前髪の長い、ひょろっとして大人しそうな男の子だが、これで案外スポーツ万能タイプである。

 幼馴染二人は蘇芳に特に反応している様子はない。さくらが告白した相手だとは知らないようだ。


「いえ、こちらこそ、なんだかすごいものを見せてもらったんで……」

「なんであんなに泣いたのか、謎だったね」


 横で冷めきった感想を漏らす紫苑の腕を軽く叩いた。そんな私に、さくらがおずおずと話しかけてくる。


「ねえ、吉乃ちゃん、だよね?」

「久しぶり、さくらちゃん」


 ようやく主人公さくらと挨拶だ。

 これだけのことで私の緊張はマックスである。変な裏設定も知っちゃったし、勝手に身構えてしまう。


 もしや蘇芳が私のことを憎むのって、本当はさくらのことが好きだったからとかない?

 以前の私のままなら、さくらに対して酷い態度を取っただろう。望まぬ結婚の相手が、自分が心の中で本当に想っている人をいじめていれば、そりゃ殺したいほど憎く思うことも……あるかもしれない?

 可能性はなくもない、か。

 もしそれが理由で恨まれるのなら、今の私は全力で駄々をこねて婚約破棄に向けて頑張るので、許していただきたい。そしてさくらと付き合ってください。


「さくらの知り合いだったの!?」


 眼鏡の女の子、佐藤ゆりが驚く。ぱっと見で私とさくらが従姉妹同士とはわからないだろうな。あんまり似てないし。


「へへ、実は親戚なの。彼女は綾小路吉乃ちゃん」


 そう言ったあと、さくらは連れの二人を紹介してくれた。幼馴染の二人から改めて「佐藤ゆりです」「佐々木つばきです」と言われると、「あなたた達が、あの!」とある種の感動を覚える。


「こちらは伊集院蘇芳くんで……私や吉乃ちゃんの遠縁にあたる人なんだけど、私は何度か会ったことがあって」

「伊集院蘇芳です、よろしく」

「あのね、伊集院くんのお母さんと私のお母さんが、同じお稽古事をしていてね。それで遠縁なのとは関係なく知り合いなんだ。ほとんど喋ったことなかったけど、かっこいいから私のほうは知っていて……ええっと、はは」


 言い訳のようにさくらが説明するのは、私に対してだ。彼女は私が蘇芳の見合い相手だと知っているのだろう。誤解しないように気を遣ってくれている。

 私は「そうなんだー」と当たり障りのない返事をした。


「それで、こちらが……弟さん、かな?」


 尋ねるようにさくらが私を見る。

 紫苑の存在について、さくらは知っていたらしい。

 彼を自分の弟として自分の口から第三者に紹介するのは初めてだ。ちょっと緊張する。


「弟の紫苑だよ。紫苑、彼女は私の……私達の従妹の西園寺さくらちゃん」


 私「達」の従妹。

 ただそれだけの言葉だけど、妙に意識してしまった。私と紫苑は単なる同居人ではなく、家族というくくりなんだって。

 紫苑も落ち着かない顔をした。たぶん同じことを思ったんだろう。私もどんな表情をすればいいか迷った。

 たぶん、私の紹介の仕方がちょっとぎこちなくなったの、さくらにも伝わったと思う。大人な対応でスルーしてくれるとありがたい。


「どうも、綾小路紫苑です」

「あなたが……そっか。初めまして! お母さんから聞いてたけど、こんなかっこいい弟ができたんだ。羨ましいな、吉乃ちゃん!」

「え……」

「私ってお姉ちゃんしかいないでしょ? 弟か妹が欲しかったから憧れちゃう」


 へへ、と照れられても。……今の、本気で言った?


「口元とか似てる! やっぱり姉弟きょうだい、だね!」


 ね、と同意を求めるように見られても。

 私と紫苑が腹違いだと知ってるからこその言葉……なんだよね?


 明るく言われたって、なんと返せばいいのか思い浮かばない。「でしょ~?」って乗っかればいの? 無理。

 紫苑のほうも驚いたのか眉を寄せている。

 そんな私達の様子をどう誤解したのか、さくらが明らかに気遣う声を出した


「春から一緒なんだよね。きょうだいっていいものだよ、うん。二人とも、仲良くね?」

「はは……」


 引き笑いしかできなかったら、さらに追撃がきた。


「そうだ、美味しいものを一緒に食べるのとかおすすめ! 複雑なことは考えずにさ、ただ美味しいね~って食べるの! もうやった!?」

「それ、さくらが部活でやったやつじゃん。仲の悪い先輩と後輩を仲良くさせたんでしょ」

「あっ、別に吉乃ちゃんと紫苑くんが仲悪いって言いたいわけじゃないんだよ!? ゆり、誤解しないで!? 吉乃ちゃんも!」

「わかってるよ。すみません、この子、悪気ないんです」

「はあ……」


 すみませんと謝りながらフォローするゆりも、隣で笑顔のつばきも、さくらの言葉がどれだけ無神経か想像していない感じがした。

 それはきっと、さくらが悪意ゼロパーセントなのは見ていて十分に伝わってくるから。多少の失言も、彼女の明るさと悪意のなさの前では失言と感じないんだ。


「おい、そろそろ行かないと限定パフェが終わるぞ。絶対食べるって言ってただろ」

「ほんとだ! じゃあね、吉乃ちゃん、紫苑くん……それに伊集院くんも」

「ああ、またね」


 ちゃんと頷いたのは蘇芳だけ。

 引き笑い続行中の私と眉をひそめたままの紫苑に、さくらは最後にもう一度言葉をかけてくれる。


「何かあれば私、力になるから。できること少ないかもだけど、頼ってほしいな」


 じゃあね、と言ってさくら達が今度こそ去って行く。

 私のなかに言いようのない苛立ちと悲しさが湧き上がったのは、彼女達の姿が見えなくなってからだった。

 見えなくなるまで、私も紫苑も言葉を出せなかった。私達のおかしな空気を読んだのか、蘇芳も黙っていた。


「仲良くね、だって」


 ぼそりと言った紫苑の声は、明らかに皮肉げだった。


「あれで、彼女なりに励ましてるんじゃないかな?」


 面白がるような蘇芳の言い方が癪に障る。


「励ましてるのは伝わってるけど……」


 私の声はこれ以上なく不満げだ。

 紫苑とはこれから仲良く、本当の家族になっていきたいって思っているよ。かっこいい弟だなあって私も思うし、きょうだいがいいものだと前世の記憶から知ってる。

 でも……でもさ!


「よく知らない相手に、あんなに軽々しく言われたくない」


 吐き出すように言った紫苑の言葉に、私は全面同意した。


「余計なお世話」


 言い切った私は紫苑と目が合った。

 さくらは、突然腹違いの弟だよ姉だよって紹介された私達が、どんな気持ちで春からのスタートを切ったと思ってるんだろう。

 人に触れられたくない繊細なところを、おかまいなしに引っ掻き回された心地がする。

 春からこっち家に漂っている重い空気とか、紫苑のご飯がないことに気付かなかったこととか、ようやく数日前になんだか心が通じた気がしたこととか、そういうのが思い出されて、なんだかとても悔しくて悲しかった。


 さくらが私達のことを気遣ったってのはわかってる。

 これってただの八つ当たり? 余計なお世話だとか思う、私達がよくない?


「彼女の友達も言ってたように、悪気はないんだよ」


 妙にさくらを庇うような蘇芳にも、イライラしてくる。庇っているわりに実感こもってなくて他人事って感じだし、本気でフォローするならして。適当になだめているつもりなら、黙ってくれ。


「悪気がないからって、なんでも言っていいわけ?」

「落ち着きなよ、吉乃ちゃん。確かにあの子、きれいごとだなってこと言うけどさ、さっきのナギサさんとサキさんには感謝されてたよ」

「だからなに」

「ああいう言葉を喜ぶ相手もいるってこと」

「そりゃそういう人もいるかもしれないけど……!」

「伊集院サンさあ、アイツの肩を持つのって何か理由ある?」

「……どういう意味かな」

「アイツのことが好きだとか?」


 紫苑の指摘に一瞬、空気が凍る。

 図星だったか? もしそうなら、お見合いお断り一直線だ。


「まさか。そんなわけないだろ」


 これまではずっと明るい調子を崩さなかった蘇芳が、初めて心底嫌そうな声を出した。

 あれ……本当に違うのかな。


「まあ、否定するしかないよね。ここにはお見合い相手の姉さんがいるし」

「紫苑くん、からむね」

「そうかなー」


 煽る紫苑に苦笑して、蘇芳は馬鹿にしたように言った。


「大人になりなよ。ちょっとムカつくきれいごとを言われたからって、いちいち反応してちゃ身が持たないと思うけど? 特に君は、これからも似たようなこと言われるかもしれないんだし」

「なっ……それこそ余計なお世話だよ!」


 かなり、かちんときた。

 大人になっても、無神経な言葉にイラついたり傷ついたりするのは、変わんないよ! 仕方ないって諦めることじゃない!


「ねえ、蘇芳くん」

「何? そろそろこのやりとり、終わりにしたいんだけど」

「私、わかったんだ」


 ざっぱーん、と波が岩にぶつかる音が聞こえる。

 私は彼と正面から向き合った。さながら、犯人を追いつめる刑事さんのような気分だ。このシチュエーションが私の気を大きくさせた。

 短気はだめだ、って頭の隅で冷静な私が叫んでる気がするけど、無視だ、無視。

 彼と会ってからずっと迷っていたことに、もうここで答えを出そう。


「わかったって何が?」

「私、あなたとの婚約は破棄します!」

「……あんた、まだ婚約してないだろ」


 すぐに紫苑に突っ込まれた。

 しまった。たしかにまだ婚約してない。お見合いは断ります、が正しかった!

 物語の主要人物みたいにかっこよくきめるのって難しい……。


「ちょっと、本気で言ってんの?」


 でも、蘇芳を動揺させることには成功したようだ。

 目の前で弟にあんな失礼なこと言って、お見合いが順調に進むと思ったのか? ありえないでしょうが。

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