07:『ケースゼロ。失恋と友情』

「あー、紫苑の言う通りで観光客の落し物だろうね。気付いて戻ってくるかもしれないから、ここに置いておこう」


 この手帳はここになくてはならないものだ。

 驚きでパニックになりそうなのをなんとか抑え、すぐに元の場所に戻そう……としたのだが。


「あの、その手帳、私のです! すみません!」


 声を上げながら近づいてくる人影がある。

 明るい茶髪をゆるくカールした、大学生くらいの若い女の人だ。


「ごめんなさい、拾ってくれたんですね!」


 言いながら近くにきた女の人を見ながら、私は呆然としていた。

 待ってほしい。この流れって、もしかして――。


「やっぱり、あなただったんですね!」


 『きらめき三人組』主人公、西園寺さくらの登場だ!

 さくらと、たぶん彼女の馴染と思われる男女、そしてその後ろに大学生グループと思われる男女数人が続き、ぞろぞろとこちらに駆けてくる。

 小説の通りなら、今からここで『ケースゼロ。失恋と友情』の事件の犯人が追い詰められるのだ。

 嘘でしょ、なんて場面に遭遇しちゃったの。


「姉さん、あれ……」


 さくらを見た紫苑が小声で確認してくる。蘇芳が数日前に会っていた女性だと気付いたのだろう。私は、何も言うなというように小さく首を振る。

 さくらのほうは、私達を見て目を丸くした。


「あれ? あなた達は……」

「私達のことは気にせず! ただの通りすがりですので!」


 慌てて無関係な通りすがりを宣言する。紫苑と蘇芳はいきなりどうしたんだという目をしているけど、気にしない。


「どうぞ、話を続けてください!」


 さくらは一瞬迷ったけれど、すぐに気を取り直して茶髪カール女性の方に向き直った。


「ナギサさん、あなたが今回の事件の犯人ですよね」


 ナギサと呼ばれた茶髪カールの女性は、目にみえてうろたえた顔をする。さくらの隣で黒髪ボブの女性が叫んだ。


「本当なの、ナギサ!」


 そっとこの場を去ることって可能かな。

 部外者が人様の修羅場に立ち会うなんて、いたたまれないことこの上ない。

 でもさくら達三人と大学生グループが横に広がっているせいで、道が塞がれている。ナギサに集中している彼らに「あ、ちょっと通してください、すみません」とか言いづらい……。


 自分で続けてくださいと言っておいてなんだが、本当に謎解きが始まってしまった。これはもう、空気と化して成り行きを見守るしかない。


「ご、誤解よ! 何を急に言い出すのよ」

「あなたは、サキさんの持ち物で唯一発見されなかった手帳が、ここにあるのを知っていた。それはあなたが、この事件の犯人だからです」


 事件? 犯人? なんだそれ。

 紫苑と蘇芳が呟くのが聞こえたが、二人とも今は部外者が口を挟む場面ではないと本能的に感じ取っているのか、さくら達に質問したりはしない。

 大丈夫だよ、小説通りなら殺人とか物騒なことは起きていないから。

 私は心の中で答えた。


 『ケースゼロ。失恋と友情』では、殺人は起きない。

 さくら達が殺人事件の捜査に首をつっこむようになるのは、一作目の『迷いの城殺人事件』に巻き込まれたことが発端だ。

 今目の前で展開されているのは、さくらと幼馴染二人の三人組が、高校生の頃に遭遇したちょっとしたプチ事件の話。シリーズ一作目の前に、実はこんなことがあって初めて三人で探偵の真似事をしたんだよ、というもの。

 事件自体は大したことはないのだが、シリーズの謎として読者の中で定期的に話題になる事柄が含まれている。


「あなたが、サキさんの荷物を崖下に捨てたんです。違いますか」

「ナギサ……信じてたのに……」

「だ、だから誤解よ! そんな高校生の言うこと信じないで、サキ!」


 さくらの隣で泣きそうな顔をしている黒髪ボブの女性が、サキらしい。

 小説の詳細をすべて覚えているわけではないので、人物の名前や見た目、細かい会話などは覚えていないものも多い。

 記憶としてはっきり蘇ったのは、さくら達が三人で旅行に行った先で虹色渦巻きという派手なデザインのキーホルダーで盛り上がること、たまたま同じキーホルダーを見ていた大学生グループと知り合うこと、そして大学生グループ内のある女性の荷物が、この崖の下に捨てられるという事件に遭遇すること――。


「私達、友達でしょ! なのにそんな酷いことするわけないじゃない。信じてよ、サキ。私を……」


 ナギサの目から涙が落ちる。サキは戸惑ったようにさくらを見た。


「本当にナギサが私の荷物を崖下に捨てたの?」

「……はい」


 さくらは頷く。彼女もまた、泣きそうだ。


「でもこれだけは言っておきます。ナギサさんが、サキさんのことを大事な友達だと思っているのは本当です。だからこそ、私はこの出来事をうやむやにしたくないんです」

「どういうこと? 友達だと思ってるのに、なんで私の荷物を捨てるのよ……」

「それは、あなたが彼女の初恋の人と恋人同士になってしまったから」

「ええっ」


 そうそう。この事件は、ナギサが昔密かに思っていた相手とサキが恋人になってしまったがゆえに起きたんだよね。


「そもそもナギサさんの目的は、サキさんの手帳だったんです」


 ここで、しばらくみんなの視線が私の手元に注目する。

 私はできるだけ表情を消しつつ、みんなに見えるよう手帳を持つ手を動かした。

 ナギサはこの手帳を自分のだって叫んで駆け寄ってきたけど、本当の持ち主はサキだ。


 部外者がこんな役目をしてすみません。本当ならこの手帳は、さくら達の登場に驚いたナギサが手から落とし、それをさくらの幼馴染が拾い上げていたはずだったよね。


「サキさん。あなたは大事な人との写真を挟んでいる、と言っていたんですよね。ナギサさんは、それを恋人との写真だと思ったんです。違いますか、ナギサさん」

「……そこまでわかってるんだ」


 もうこれまでと観念したのか、ナギサは崩れ落ち地面に膝をつく。そして涙声でさくらの言葉を肯定した。


「そうよ……。初恋の相手なんて、昔のことだって忘れようとしてたのに、サキの口から彼の名前を聞いたら気になって仕方なくなった。だから、どんな写真なのか見たかったのよ……」

「ナギサ……知らなかった……」

「彼を好きだったのは、あなたと知り合う前のことだからね、サキ。写真を見たら、失恋したってはっきりして忘れられるんじゃないかって考えたのよ。だって大事な友達の恋人が好きだなんて……そんな自分、嫌だったの!」


 ナギサは苦し気に自分の気持ちを告白していく。


「車の中にサキが荷物を置きっぱなしにしているのを見て、チャンスだと思ったの。荷物を捨てるつもりなんて本当になかった。手帳の写真を確認したあと、気づかれないようにまた戻しておけばいいやって思ってたのに……」


 サキは、財布や携帯は別の小さなカバンに入れて持ち歩いている。車を置いて周辺を観光することになったとき、ナギサは、サキが手帳や日用品を入れた小さな手提げバッグを車内に置いたままなのを見て、咄嗟に自分のトートバッグに入れてしまったのだ。車に戻るまでに手帳の中身を確認したいと思って。


「でも、戻せなかったんですよね。日焼け止めを忘れたサキさんが一度車に戻った際に、自分の荷物がないことに気付いてしまった。そして連絡をうけたみんなが、車上荒らしではないかと言い出したから」

「サキさんから荷物がないと連絡がきたとき、他の皆さんはちょうどこの崖の上にいたということでしたよね?」


 さくらの近くにいた、眼鏡の女の子が確認するように言う。大学生達はそれぞれ控えめにうなずいた。

 きっとあれは幼馴染三人組のメンバーの一人、佐藤ゆりだ。

 そしてゆりに寄りそうように立つのが、幼馴染のもう一人、佐々木つばきだろう。


「怖くなったあなたは、慌ててみんなの目を盗んで、手帳以外をこの崖の上から捨ててしまったんでしょう。そして、そのまま手帳の中身を急いで確認した」

「うん……」

「中を見て……すごく後悔したんですよね」

「うん……」


 さくらの声は、これ以上なく優しかった。ナギサはさくらの指摘をただただ肯定する。

 つい聞き入ってしまう何かが、さくらの声にはある気がする。さすが探偵役の主人公なだけある。


「挟まれていたのは恋人とではなく、あなたとの写真、大事な友人との写真だったからです」

「そうよ! ごめん、サキ……! 私、なんてことをしちゃったの!」


 被害者のサキが大事な写真と言っていたのは、恋人ではなく友人ナギサとの写真だったのだ。

 ぐす、ぐす、と鼻をすする音が聞こえてくる。

 当事者のナギサ、サキ、追及するさくらだけでなく、幼馴染二人も大学生達もみんな泣いていた。

 私と紫苑と蘇芳だけが、冷静な顔で修羅場を見守っている。

 いや実は私も空気に当てられて、ちょっとうるっときている。


「荷物を捨てたあなたは、とりあえず手帳をここに隠し、後で取りに来ようと思った」

「そのとおりよ。あのまま持っていたら、私がやったってバレそうだったから。サキに、私がやったと知られたくなかったのよ……! 私との写真を、大事に手帳に挟んでくれているサキには……!」

「本当に大事な友人なら、謝って、そしてもう一度信頼関係を築いていけるはずです! うやむやにしたままじゃ、本当の友人になんてなれません!」


 うわあん、と声を上げてナギサとサキが抱き合い、本格的に泣き始めた。ごめんね、ごめんね、と互いに謝り合っている。


 すごい。『きらめき三人組』の事件解決シーンを目撃してしまった。ドラマ化したら、なんて家族で話していたのを思い出して、胸がちくっと痛む。前世の両親や妹がさくらを見たら、やっぱり主人公は可愛いわねーなんて言ったのかな。


「あんたの初恋の相手だって知ってたら、私、付き合わなかったのに!」

「バカ! 私の分まで幸せにならなきゃ怒るから!」


 そんなことを言い合う二人を見ながら、さくらが切なそうにこぼした。


「失恋、か……」


 そう、彼女もまた失恋直後なのだ。

 この『ケースゼロ。失恋と友情』は、事件の犯人と被害者の関係に絡んだタイトルであるとともに、主人公さくらの事情にも絡んでいる。

 好きだった人に振られたというさくらを励ますために、幼馴染二人が気を遣い、急きょこの観光地への弾丸旅行が決まったのが、話の始まりだった。


 さくらの失恋相手がどんな人物だったのかは、シリーズを通して明らかになっていない。どういった経緯で好きになったかや、年齢や職業さえも不明だ。

 これはいずれ来る新作への伏線である。とファンの中では考えられていて、それもあってこの話は短編集の中でもよく話題にされていた。


 失恋かあ、と私はさくらを盗み見る。

 黒髪にポニーテールが揺れている。目はくりっとしていてはつらつとした顔立ち。可愛いのに振っちゃうなんてもったいない。

 たしか今日はその失恋相手のお見合いの日なんだよね。

 彼女は好きな人がお見合いすると聞いて、玉砕覚悟で告白したのだ。そして振られた。


 ――今日がお見合いで数日前に振られた。


 ん? ん? 待って?

 ここに数日前に彼女と会っていて、今日まさにお見合いしている人がいるんですが!?


「どうかした? 吉乃ちゃん」


 私は驚愕の表情で蘇芳を見つめ、後ずさる。


 あなたがあの、正体不明の失恋相手か――!


 思わず叫びそうになるのを、どうにかこらえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る