06:そして崖の上


 紫苑と本気で向き合おうと決めると同時に、私は自分の未来についてもっと真剣に考えることにした。

 綾小路吉乃が『迷いの城殺人事件』で殺害された理由は、犯行に邪魔だったからとかいうそれだけの理由である。ただ巻き込まれただけの完全な被害者だ。

 犯人に恨まれていたとかではない。犯人が本命の相手を殺すのに邪魔だった、それだけ。

 そんな雑すぎる理由で、私は殺される。

 だけどそれは同時に、事件の舞台である古城ホテルに行かなければ、とりあえず命は助かるということでもあると思っていた。

 だが別の可能性に気付いた。

 小説では紫苑と婚約者は綾小路吉乃を「殺したい」と思う。作者の従姉の言葉だから、これは確実だ。

 殺人事件に巻き込まれなければ、彼ら二人のどちらかに殺されるかもしれない。

 紫苑はたぶんもう私に殺意を向けないと思うけれど、婚約者のほうは……未知数である。




 ざっぱーん、と波が岩にぶつかる音がする。

 目の前には水平線が広がる。

 空には雲一つない快晴。潮のにおいのする生ぬるい風が、私の髪をなびかせる。


 暑い。めちゃ暑い。


 当たり前だ。今は夏。ただでさえ暑いのに、日光を遮るものが何もないここはもう日差しが凶器。日差しで死ぬ。日光殺人事件。あ、これだとたぶん全然違う話になる。

 一応日傘をさしているけれど、すっごく日焼けしそうだ。早めに室内に戻りたい。


「……暑いですね」


 私は一緒にこの暑さに耐える連れに言った。

 隣に立っているのは伊集院蘇芳、十六歳。同じ歳、同級生だ。私のお見合い相手だ。


「もう戻りたい?」

「うーん、もう少しして戻ったほうが、無難かもしれないですね」

「そっか」


 会話が終わった。

 彼――蘇芳とは少し前に旅館の高級そうなラウンジで互いに紹介された。ドラマなんかで見たみたいにお互いに母親同伴。そして母親同士がそれぞれの子供のことを紹介して世間話をして盛り上がる。

 そして、あとは若いお二人で……とは言われなかったけれど、二人で散歩でもしてきたら、と促され、この暑い中、外に出たのである。


 そして、私達は今、崖の上に来ている。

 旅館の近く、海の見える遊歩道を行ってみたら、細く海の方に突き出した崖に繋がっていたのだ。大した高さはなく、途中で崖下の岩場におりれそうな箇所もあった。


「俺ら同級生でしょ。タメ語で話そうよ」

「ありがとうございます」

「そうじゃなくて……」


 彼が苦笑して会話がまた終わる。

 いけない、反射的に丁寧にお礼を言ってしまった。


 私は、どんなスタンスで彼と接するべきかいまだ迷っている。


 最初は、彼とのお見合いをぶち壊しにして婚約話を流してしまえば、とりあえずもろもろの脅威は去るのではと考えた。

 しかし親達の様子を見るに、家同士ではこのお見合いは形だけというか、すぐに断ることは想定していない様子でもある。

 下手に嫌がる態度だとかわがままな様子を見せたら、婚約は破棄できずに成立するものの、相手方には最悪な印象を残して関係がスタートする、といった結果になる可能性がある。それは避けたい。

 蘇芳からの好感度を下手に下げると、彼に殺されるリスクが増す。


 なお個人的には、いまどき婚約者を家の都合で決められるなんて、しかも十六歳で、と呆れと苛立ちを覚えている。でも母や父の実家って大きくて面倒そうな資産家の一族だし、仕方のないことなのかな。


「緊張してる?」

「……そうですね」


 お見合いなんて初めてですからね。

 しかも将来的には、あなたとの婚約のせいで殺人事件に巻き込まれて死ぬかもしれないし、あなたにも「殺したい」って思われるかもしれないので。


 蘇芳のほうは、口調からして緊張している感じはない。

 親に頼まれたからとりあえず来てみたよ、みたいなノリ? ただ、私に対して妙になれなれしいような気もする。


「俺も。でもお見合い相手が吉乃ちゃんでよかった」

「そうですか?」

「さっきも言ったけどさ、タメ語でいいから。普通に喋ろう。お見合いとは関係なく吉乃ちゃんとは仲良くなりたいよ。可愛いしさ」

「あ?」


 めっちゃ怪訝な声を出してしまった。

 さすがに相手が怯んだのが空気でわかる。


「ご、ごめん。言われ慣れてないから……」

「そうなんだ? 吉乃ちゃんの高校のやつら、見る目ないね」


 そうかな。ありがとう。調子に乗る気はないけれど、自分をよく言われて嫌な気分にはならない。自尊心をすごくくすぐられました。

 でも冷静な私が言う。

 こいつ、女の子に慣れてるわ。自分が女の子ウケいいの、自覚してるタイプだわ。そして、私が思ったほど彼のかっこよさに反応していないのをいぶかしく思っているわと。だから大げさに持ち上げて反応を見ている気がする。

 ……最後の予想は、さすがに意地悪すぎる見方かな。

 だけど、どうも探られているような感じが消えない。単にお見合い相手を観察しているだけと言われれば、それまでだけど。


「蘇芳くんは……かっこいいよね」

「そんなことないって」

「すっごくモテそう」

「はは、そこは、ほどほど」


 否定しないのは素直でいいな、と思った。

 彼の雰囲気や物腰からして、女の子にモテませんが嘘なのは明白だ。過剰に謙遜しても嫌みだろう。


 蘇芳のこの見た目とか雰囲気が、私に新たな不安を抱かせる。

 彼は率直に言って、私に――綾小路吉乃にとって好みのタイプなのだ。

 言動は軽いけどチャラそうな雰囲気がなくて、むしろ真面目そう。黒髪なのも作用しているのか理知的に見える。おしゃれで着崩しているのにどこか上品さとか清潔感がある。

 やっぱ登場人物はイケメンとか美少女のほうがいいよね、という前世の従姉の声が聞こえる気がする。

 ちなみに一作目即退場の私の容姿は普通だ。努力して雰囲気美人というやつを目指したいと思う……。


 ともかく。前世の記憶がないままの私であれば、蘇芳に対して少なくとも嫌われたくないと考えるはずで猫をかぶっただろう。

 だが猫をかぶっていたはずの小説の私は、彼に「殺したい」と思われるほど嫌われる。


 記憶が戻ってからは、私の性格最悪だし弟にも婚約者にも恨まれるのは当然、なんて思ったけど今はちょっと違う。紫苑はわかるのだ。きっと前のままの私ならいじめていたから。だけど蘇芳に対しては、記憶が戻らなかった私でも酷いことはしないと思う。猫をかぶった吉乃――つまり私が、蘇芳に「殺したい」ほど恨まれるのは行き過ぎじゃないだろうか。


 もしかして何かあったのか。彼と良好な関係を結び、理由を探る方が正解かもしれない……違うかもしれない。

 答えが見えず完全に迷いまくっていた。


 しかもさらに悩ましいのが、西園寺さくらと彼の接点もよくわからないことだ。

 シリーズに出ていない裏事情でも隠されているのか?


 考えてもわからない。

 そして会話が続かないことを蘇芳が気にしている様子なのも、だんだん申し訳なくなってきた。適当に何か話題を振ろう。


「変なことを聞くんだけど、さっき見かけた看板のこと覚えてる?」

「蛍光色で渦まきが書いてたやつ?」

「そう。あのデザインって有名な絵なのかな」


 言いながら自分でも不思議な気分になっていた。

 私が言っているのは、崖に続く道の手前にあった少々エキセントリックなデザインの古い看板のことだ。書いてある内容はよくある観光案内なのだが、カラフルな蛍光色の渦が描いてあって目に痛かった。

 どうして咄嗟にこの話題を口にしちゃったんだろう。

 確かに、見た瞬間に妙な既視感を覚えてはいたけれど。


「さあ、俺は知らないけど。でもあのデザイン、近くのお土産屋でも見かけたな。キーホルダーなんだけど、異様な存在感があってさ。虹色渦巻きって書いてあった」

「へえ。蛍光色だし、夜、防犯のために着けるといい……かも……」


 虹色渦巻き、キーホルダー、夜の防犯にも役立つ。

 話しながら私はこれと似た内容の会話を知っていると思った。

 そう、それは――。


「吉乃ちゃん?」


 私は黙って崖の先の方に歩き出した。

 頭のなかで徐々にはっきりとしていく記憶に、心臓がばくばくして言葉が出てこない。

 まさか、もしかして。


「どうしたの、ねえ?」


 蘇芳は黙ったままの私のあとに続く。

 私は崖の終わり近くでしゃがむと、恐る恐るその下を覗き込む――。


「姉さん!」


 崖の下を覗きこんだところで、紫苑の声がした。

 驚いて振り返ると、彼がこちらに駆けてくるところだ。立ち上がって迎えると、彼は変な顔で私と蘇芳を見比べる。


「ど、どうしたの? いま姉さんって――」


 は、初めての姉さん呼び……!

 地味に動揺している私を放って、紫苑は蘇芳に挨拶する。


「弟の綾小路紫苑です、どうも」

「ああ、事情は聞いてる。伊集院蘇芳です。よろしく」

「紫苑、どうしてここに? 旅館で何かあった? あと、いま姉さ――」

「散歩してたらちょうど見かけて、あんた……姉さんが崖の下に落ちそうで驚いて叫んだだけ」


 そう言って紫苑は挑発するように蘇芳を見る。

 姉さん呼び二回目! 追及するなとばかりに言葉を遮られるのは、蘇芳の前で突っ込むなってことだろうか。今だけ蘇芳に早急に席を外してもらいたい気持ちになった。


「角度的に、伊集院サンが姉さんを突き落としそうに見えたんだよね」

「俺が吉乃ちゃんを? お見合い相手を殺すなんて物騒だな」

「ちょっと紫苑、失礼でしょうが。それに縁起の悪いこと言わないで。崖から突き落とすとか……」


 シャレにならない。そういう事件、シリーズのなかでいくつもあった!


「うん、俺の勘違い。悪かったね、伊集院サン」

「別にいいよ」


 ぞんざいな謝り方だが、蘇芳は呆れただけで気分を害した様子はない。よかった。


「それにしても吉乃ちゃん、崖の下に何かあるの?」

「ええっと」

「……何もないじゃん」


 紫苑が崖の下を覗きこんで言う。

 そう、崖の下の岩場には何もなかった。


「あはは、ごめんね。小説で、こういう崖の下にものが落ちてる事件があったの。それを思い出しちゃって、つい確認しちゃった。すごく状況が似てたからびっくりしたんだ」

「小説? 人騒がせな。俺だってびっくりしたよ、もう」

「俺は紫苑くんがいきなり出てきてびっくりしたな。もしかして旅館からついてきてた?」

「……散歩してたら、ちょうど見かけただけって言っただろ」

「でもここに来るとき、誰かに監視されてるような気配を感じたからさ」

「気のせいじゃない?」


 ああ、来る途中で蘇芳が何度か後ろを振り返っていたのはそういうことか。納得しながら、私は二人が喋っているのを横目にさりげなく動いた。

 もう一か所だけ、確認しておきたい場所がある。

 崖の先、私達がいる場所のすぐ近くに大き目の岩がある。その岩の割れ目のところ。地面に近く、草で隠れているところ……。


「あ、これ……」


 ソレを見つけて、私は思わず手に取った。本当にあった……。知ってた、という気持ちと、嘘でしょ、という驚きの両方が膨れ上がる。


「吉乃ちゃん、何それ」

「手帳? 観光客の落し物?」


 紫苑と蘇芳がこちらに注目して手元を覗き込んだ。


「これは……」


 これは、シリーズ短編集でよく話題になる『ケースゼロ。失恋と友情』の事件の証拠品だ。

 とうとう私は、小説内の事件に遭遇してしまったのだ。

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