05:向き合うことに決めました

 綾小路吉乃は、『きらめき三人組』シリーズ一作目の『迷いの城殺人事件』の第一の被害者だ。

 関東の山間に作られたとある古城ホテルがその舞台。プレオープンに招待され、彼女はそこに婚約者と共に宿泊する。まだ学生だからか、部屋は別である。

 吉乃が招待状を貰ったのは、婚約者のツテだった。彼の家は綾小路家の遠縁で、やっぱりお金持ちで、その関係で招待されたのだ。


 十六歳でお見合いという衝撃もあるけれど、これが私の死への第一歩というインパクトのほうが大きかった。


「そのお見合い、断れるの?」


 私の反応は、父と母にとっては想定内だったようだ。特に驚いた様子なく続けられる。


「まあ、まずは顔合わせてからだな」

「かっこいい子よ。それに本当に結婚するとしても、あなたが大学を出てからって条件はつけたわ。それまでに相手に非があれば、断りましょうか」

「紅子、そんな簡単に断るとか言うなよ」

「あら、大事なことでしょう? 結婚で不幸になんてさせたくありませんもの」


 とげとげした空気が流れる。きつい。


「かっこいいなら、会うだけ会うよ」


 場を収めようと、とりあえずそう言った。

 少し興味もあったのだ。小説だと彼は私と婚約するに至り、そして私を「殺したい」と思うほど憎む。

 そんな物騒な相手……一度会って顔を見ておかないと不安すぎる。




 旅行を明後日に控えた日、私は部屋で一人、やる気なくベッドに寝転んでいた。


 お見合い、婚約者、古城ホテルへの招待状、殺人事件、第一の被害者……。


 いざ婚約者の登場となって、私は急速に不安になっていた。

 あとからよくよく思い返してみたら、父も母も、私の「お見合いは断れるのか」と言う問いにちゃんと答えていないのだ。

 断るとしても今すぐじゃない。彼らはそう考えている。

 そうなると私はめでたく婚約者持ちとなり、確実に殺人事件への招待状が届く。


 大学入ったころに貰う古城ホテルのプレオープンの招待状。これを無視すれば、私は助かる。

 そんな楽観的な考えで本当にいいのだろうか?

 私の生きる方法が招待状を無視する一択という未来が、とても不安になってきていた。


 一人でうーうー唸っていると部屋の扉がノックされる。


「今、いい?」


 この声は紫苑だ。彼が私の部屋に来て声をかけるなんて初めて……ではないな。私が最悪な態度をとってしまった、あの出会いの日以来だ。

 慌ててベッドから飛び起き、扉を開ける。


「どうしたの?」

「ちょっと、見せたいものがあるんだよね。……部屋、来てもらっていい?」

「いいよ!」


 彼から、私に対して積極的な態度をとられたのは初めてだ。

 なぜか無性に嬉しくなって食い気味で返事をし、促されるままに彼の部屋にお邪魔する。


 紫苑の部屋は物が少なかった。ついでに色味も少なかった。家具やラグ、布団カバーも全部合わせたようなモノトーンだ。そして全部が新しい。彼がこの家に来るにあたって、きっと母が用意したものだろう。


「適当に座っていいから」


 目につくのは、棚にならんだ本たち、デスクに積まれた図書館の本、ノートパソコン。

 私は、並んだ本、積まれた本たちの題名に釘付けになった。


「実は俺なりに今度の……。って、どうかした?」

「犯罪関係の本ばっかりだね」

「ああ。興味あるしね」


 犯罪心理学とか、近年起こった事件目録みたいな感じのやつとか、なぜ人は殺すのか的なやつとか、とにかくちょっと物騒な印象を受けるラインナップたち。


 彼のことをサイコパスだなんて評していた前世の自分を思い出す。そしてそれを正解と言わんばかりだった従姉のことも。

 さらに、彼が私のことを「殺したい」と憎むかもしれないことも。


 あれ? 古城ホテルに行かなくても、私、やばいのでは?

 いやいや、今の私はさすがに殺したいほど憎まれるほどじゃない……はず……。


「意外な趣味でびっくりした」

「……もしかして知らないの?」

「な、何を?」

「俺が前の家で……」


 そこで紫苑は言葉を切った。そして、やっぱいいやと言うのをやめる。

 前の家で!? 何ですか!?


「今度、余裕があったら教えるよ。そんなことよりさ、これ見てよ」


 そんなことで済ましていいものか大いに迷うのだが、紫苑に見せられたノートパソコンの画面を見て、私は固まった。


 そこには、ある男性についてのプロフィールがまとめてある。

 住所氏名等の基本的な情報は当然として、趣味、交友関係、異性関係といった項目もある。


「あんたが、週末にお見合いする相手」

「なんでこんなに知ってるの!?」

「適当に調べてみた」


 お見合いの話を聞いたの、数日前だよ。早いよ。情報ってどうやって集めたんだ。

 驚きすぎて、どう突っ込めばいいかわからない。

 当事者の私は、名前と年齢くらいしか親から聞いていないというのに。


「大した内容じゃないけどさ、知らずに当日になるよりはマシなんじゃない」

「いやすごいと思うよ……」


 紫苑いわく、主にSNSを漁ったらしい。お見合い相手だけでなく、彼と繋がっている人たちのことも確認し、内容を精査し、わかったことをまとめたという。

 簡単なようだけど、たくさんの情報を全部確認して必要なものを見つけ出すというのはかなり大変な行為だ。


「隠し撮りっぽい写真もあるんですが」

「ああ、一度様子を見に行ったんだ。そこまで遠いところに住んでるわけじゃなかったから楽勝」


 そういや彼は『きらめき三人組』シリーズで、ご都合主義担当レベルの情報収集能力を持っていた。ネットも紙の資料もお手のもの。さらにやたらと話術にたけていて、聞き込み成功率はほぼ百パーセントである。


 なんだっけ。相手の庇護欲をくすぐる見た目? とかなんとか作中で描写がされていた。

 今は染めていなくて黒髪だけど、小説に出てくる彼は薄茶色の髪をした、どこか幸の薄そうなイケメン設定だ。

 もともと整った顔立ちだとは思っていたけれど、最近はより磨かれてきた気がする。細身だけど不健康的なやせ方じゃなくなってきた。父がそれなりの額のお小遣いを渡しているのか、髪型や服もこぎれいな感じになった。

 腹違いの弟がこんなにかっこいい。これぞフィクション。と変なところで感心する。


「あんたさ、結局お見合いは断りたい感じ? 必要なら、もう少し探ってみるけど」

「ありがとう、紫苑」

「質問、無視かよ」

「私のために調べてくれたんでしょ」


 やり方が変態的だけど、その気持ちは嬉しかった。


「あんたのためっていうか……。夕飯のお礼みたいなもん」


 助かってるし、と小声で付け加えられた。

 それを聞いた瞬間、なんだか一つ、私の中で吹っ切れたものがあった。


 転生うんちゃらとは別に、彼とちゃんと向き合おう。この家を彼が過ごしやすいようにする……のは完全には無理かもしれないけれど、私だけでも彼の味方になろう。

 そう、心から思ったのだ。


 私のために彼が自らやらなくてもいいことをしてくれた、ってことが単純に嬉しいのもある。でもそれだけじゃなくて「綾小路紫苑は一人の人間として目の前にいるのだ」ってことを実感できた。雷に打たれたみたいに、突然、急に。


 私は心のどこかで、紫苑のことを「本に出てくるキャラ」として見ていたのかもしれない。

 サイコパスで異母姉を殺したいと思うキャラ。

 いじめなければ「殺したい」ほど憎まれることはないだろうな、で私の思考は止まっていた。


 だけど彼がわざわざ情報を集めてくれたのは、私が夕飯を用意したから。たぶん小説通りなら私は食事は作らないし、紫苑は私のために情報を集めない。今の私の行動が、ちゃんと目の前の紫苑の行動に繋っていくのだ。

 それを実感した。


「無言で見つめるのやめてくれない? で、調査続行は? する?」

「えっと……」


 彼に憎まれなければいい?

 それだけじゃ嫌だな。

 せっかくできた弟なのだ。仲良くなりたい。


 ……あと、敵に回したくないって気持ちも少し。

 紫苑の情報収集能力と行動力は、目の当りにすると結構怖いものがある。

 小説では殺したいと思われるほど嫌われていた吉乃は、殺人事件の被害者にならなかったら紫苑の手にかかっていたかもしれない。


 でももう、そんな未来はナシ!

 紫苑が誰かを殺したいほど憎まないようにする!

 彼が綾小路家に来たタイミングで前世の記憶が戻ったのは、このためだったような気さえしてきた。


「紫苑、何か食べたい物ある?」

「あんた、本当に俺の話聞いてた!? この見合い相手のこと、まだ調べるかどうか確認してるんだけど!?」

「えーと、情報はもう十分。ありがとう、助かる! それで、今度の夕飯、食べたい物あれば作ってあげるよ」

「何それ」

「んー、お礼かな。調べてくれたことの」


 助かるし、と紫苑の言葉を真似して付け加えた。

 彼は少し照れてから「卵を使った料理」と答えた。

 卵……ストレートにたまご焼きかな、それともオムライスとか。作れそうな卵料理を思い浮かべながら、私は紫苑が調べてくれたお見合い相手の資料を確認する。


 そしてある写真に目が留まった。


「ああ、それは別にコイツのカノジョとかじゃないみたいだよ」


 お見合い相手の彼が、喫茶店らしきところで女の子と二人でお茶をしている。

 仲良さそうに笑い合っているけど、恋人かと言われるとそこまで距離は近くない。どちらかというと、女の子のほうが緊張して引き気味に見える。

 じっと眺めていたら紫苑が真面目な声になった。


「素性はまだ突き止めてないんだ。来週になってもいいなら調べてくる」

「大丈夫、この子、知ってるから」

「え?」

「この子は、西園寺さくらちゃん……」


 『きらめき三人組』主人公の西園寺さくら。

 私の従妹だ。何度か会ったことがある。顔を見たら思い出した。


「あんたの知り合い?」

「従妹だよ。お母さんのほうの。だからお見合い相手とも遠縁になるの」

「親戚同士か。あんたのことでも聞いてたのかな。あっちも事前調査のつもりでさ」

「どうだろ……」


 綾小路吉乃の婚約者と、主人公さくらって前からの知り合い設定だったっけ?

 遠縁で顔見知り設定があったとしても、わざわざ夏休みにお茶するような関係には感じなかった。

 紫苑の言う通り、彼も見合いに向けて情報収集したくてさくらを呼び出したのだろうか。


 ただそれだけだったなら、いいけど。

 会ったことのないサイコパス婚約者への警戒心が強まる。明後日のお見合い、気合いを入れて臨まなくては。

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