1章
02:現在の私
「吉乃さん、どうしたの?」
朝食の席で、なかなか箸がすすまない私を母の紅子が気遣った。
本当、どうしたんでしょうね。
私、あなたの娘の吉乃だけど、吉乃じゃない人の記憶もあるみたいなんです。
昨夜、私は今の自分とは違う人間の記憶がよみがえった。
でも、すべてまるっとではない。曖昧なところが多くて断片的な思い出ばかりだ。
おそらくその人生で得た価値観……の一部なんかも、まるで元から持っていたかのように自分の中に湧き上がってきた。
こうして自分が冷静でいられることが不思議だ。普通なら、自分がおかしくなったのではとか発狂してもいいレベルじゃない? 自分でも、なんで私こんなに落ち着いていられるんだろうなーなんて思う。
このあたりの自分の適応力の高さについては、自身でもよくわからない。あまりにも突飛なことが起こったから、逆にもう受け入れるしかないと無意識に感じているのかもしれない。
おそらく蘇ったのは前世の記憶というやつだ。説明しがたいけどそう感じる。
いろいろ突っ込みたいとこもあるけど、とりあえず私は突如思い出した記憶を「前世」のものであるとした。
まず前提として、私が前世で生きた場所は明らかにこの世界とは地続きじゃない。
文明レベルは今の自分が過ごすこの現代とたぶんほぼ同じだった、って感覚がある。だけどもし前世で生きた世界がこの世界と同じなら、私が生まれるより前――少なくとも十五年以上は前の時代なわけで。日常で使う電子機器一つとっても、十五年前って今とは結構な差があると思うんだよね。なのに今と同じな記憶があるのはおかしい。
他のことで確認しようと、世界情勢だとか歴史的事件とか総理大臣が誰かとか考えると、そこは記憶がぼやけて思い出せない。
色々と総合すると、私が存在するこの世界とほぼ同じ世界が他にあり、そこでほぼ同じくらいの時代に前世の私は生きていた、と考えればしっくりくる。
ここまではまだ、そういうものだと納得するしかないって自分に言い聞かせられる範囲だった。……いやほんと、私の許容範囲って広い。
問題なのは記憶の内容の一部に、どうも受け入れがたい認めたくないことが混じっていることだ。
それは、前世で私の従姉が書いていた本に出てくる人物と、昨日腹違いの弟として紹介された彼が同じ名前であること。この事実がやけに頭の中でぐるぐる回る。
まさか、この世界は従姉が書いた小説の中の世界だったりして?
そんな突飛な発想が、私のなかに生まれていた。
さらにその発想が正解な場合、大変な問題が浮上する。
もし本当にその突飛な発想が正解ならば――私はシリーズ第一作『迷いの城殺人事件』で死ぬはずのキャラ!
ショックすぎてよく眠れなかった。
前世の記憶どうとかより、よっぽどこの事実が衝撃だった。私は数年後に死ぬって宣告されたようなものじゃない。
ため息をつきながら、記憶を思い出すきっかけとなった紫苑をちらっと見た。
彼は同じダイニングテーブルにつき、黙って朝食をとっている。今日の朝食はいつもより雰囲気が暗い気がした。
父の藤孝は仕事でもう家を出ているのでいない。元凶のくせに丸投げだ。
母がもう一度心配した声を出す。
「さっきから全然食べてないじゃないの」
「少し寝不足なだけ」
「そう……」
あ、しまった。
母が横目で紫苑のことを見た。まるで、彼の存在のせいで寝不足なんでしょと言わんばかりに。
私がため息をつきながら彼を見たりしたからだ。ごめん。
紫苑はこちらを向かないけれど、雰囲気は感じ取っていると思う。
一瞬、びくっと緊張したような反応をした。
「お腹いっぱい、食べなよ」
とりあえず、私は彼にそう声をかけてみた。
私の一つ下にしては彼は痩せすぎだ。元からとかじゃなく栄養が足りていない感じがする。
この世界が本当に『きらめき三人組』シリーズの世界なら、私はいずれこの子に「殺したい」ほど憎まれる。
前世の最後の方の記憶で、そう従姉が言っていた。
なぜ……。私、恨まれることなんて心当たりがないのに……。
なんて思ったのは一瞬でした。
綾小路吉乃としての自分を考えたら、答えは簡単だ。
絶対にいじめる。シンデレラの意地悪な姉ばりにいじめる。
ただでさえ多感な年ごろなのに、わがままぶりも極まれりだった私だ。突然現れた腹違いの弟なんて、とにかくイライラして気に食わなくて、心のままにいじめて虐げる。
悲しいことに大変に自信があった。
だって今だって、正直なところ彼に対する複雑な気持ちはあって。でも前世の価値観とかそういうものが融合した私だから、そんな自分を冷静に見る余裕があるだけで。彼にいら立ちをぶつけるのは正解じゃないって判断して、なんとか気持ちの折り合いをつけようとしているだけなのだ。
『きらめき三人組』シリーズ主人公の従姉って、悪役キャラだったんだなあ。
他人事のように、私は自分という登場人物について考えた。
異母弟や婚約者が殺したいと思うほど憎み、本当はその死を悲しんでなかったっていうのもちょっと納得できてしまった。
どう考えても、性格最悪で恨まれてる未来しか思い浮かばないし……。
んん?
あれ? 今、大事なことを思い出した気がする。
そうだ、私には婚約者がいる!
……いや、まだいない。自分のことだ。それはわかっている。
小説の中の綾小路吉乃は、たしか大学に入ったあたりで死んでいる。その時点では婚約者がいた。
早くない? 綾小路家はお金持ちだから、家同士の政略結婚というのもありえるか。
「お母さん、私って将来、好きな相手と結婚できる?」
「なんですって?」
思いつくままに聞いてしまって後悔した。
この質問の仕方じゃ、紫苑のことで結婚に不安を持った娘って感じになってる!
「え、ええと、綾小路家って大きいから、政略結婚みたいなもの、あるのかなって……はは……」
全然フォローできなかった!
これじゃ、めちゃくちゃ結婚に悲観的になってる娘って感じだ……。
「大丈夫。あなたの相手は、ちゃんと見極めてあげるから」
ああ、なんか上手く伝わってない。
今のは別に、未来の夫の浮気が不安でとかそういやつじゃないんです。
「藤孝さんの勝手にも困ったものよね」
紅子が遠回しな嫌みを言った。紫苑に向けて。
私は……何と言えばいいかわからなかった。
父の藤孝が外で作った子どもが紫苑で、そんな彼は私と一歳違い……最低だ。
母にも同情するところがあるのだ。ここで軽々しく紫苑に肩入れしすぎたら、母をさらに苦しめてしまうかもしれない。
とか、ぐるぐる考えてしまった。
こんな複雑な家庭状況をうまく好転させるセリフ、私の頭じゃ思いつかない。
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