第499話 “ 鬼 ” すら手出しできなかった理由




 クルコシアスの左拳が、まだ立ち上がることも出来ないでいるシャルーアに向かって振り下ろされる。


 そのスピードは目にも止まらない早さ―――すなわち、あっと言う事も出来ない間で、拳は少女の身を打つはずだ。




「(たとえ1撃で死のうとも関係ありません、乱打を叩き込んでやる……)」

 0.1秒にも満たない時間。

 クルコシアスは意外にもそんな思考ができている自分に驚く。


「(はて、不思議な感覚ですね? こうも―――)」

 時間が間延びしているような奇妙な感覚だ。

 これではまるで、死が目前に迫っている時のようではないか?

 そんなバカな、ハハハ。


 クルコシアスがその間延びする感覚を笑うのは、その感覚こそが彼ら “ 鬼人 ” にとって最も危険が迫っていることを本能が警告していると気付かないからだ。

 すべからく “ 鬼人 ” とは人が鬼へと変化した存在であり、元は人間であった者達だ。ところがそれゆえに鬼の絶対的な強さを得て以降、命の危険に直面するということ自体が一切なかった。


 その間延びする感覚―――本能が危険に対して回避しろと警告している超集中状態に陥ったクルコシアスは、灰色のローブの下っ端ではあるものの “ 鬼人 ” として高い完成度を持っていたと言えるだろう。


 だが、もったいない事ながら、クルコシアスは鬼の本能が告げてくれるソレを一笑に付し、そのまま無防備にも拳を振り落としてしまった。




ドッ………ジュウウウウウウウウウウッッ!!!!



 シャルーアの身体に超速度の拳の先が触れた刹那、一気にクルコシアスの左腕はものすごいスピードで焼け上がっていく。


「グオァアアウアアアアアアァアガアァアアアアア!!!???」

 大悶絶の絶叫があたりに響いた。

 左腕が拳から一瞬で付け根まで焼け、煌々とした燃焼のオレンジ色の輝きを放つ。


 それは、火傷の痛みどころでは済まない、筆舌に尽くしがたい苦痛だった。

 見た目には左腕が余すことなく火傷を負ったかのようではある。だが、クルコシアス自身が感じる苦しみと痛みは、自分自身のもっと根幹的な、魂や精神といったものまでが焼かれているような、凄まじく複雑かつ深いものである。



「ぅ……」

 ドシャッ


 先っちょが触れただけとはいえ、マッハのパンチが触れたのだ。十分な衝撃がシャルーアにのしかかり、砂漠の上に再びその身体を沈め落とす。


「グウウウウウ、ガハッハァッ!! フグオォオアアアッ!!!!」

 クルコシアスは自分の左腕を高く掲げ、数歩後ろによろめきながら退く。

 そしてのたうち回るように右へ左へ、前へ後ろへと回り、フラつき、狂ったように悶絶の舞を踊る。




 ―――かつて、シャルーアの母である先代の北の “ 御守り ” であった女性は、事故によって亡くなった。その事故を裏で糸を引いた者は確かに “ 鬼 ” たちであったが、直接的に実行を担ったのは人間たちであった。


 それは何故か?


 その答えが他でもない、今のクルコシアスが体感している死を感じるほどの耐えがたい苦痛である。


「グゥウ、グウウウッ、オオォオオオオオオッ!!!」

 一向におさまる気配のない苦痛。魂すら焼き尽くされそうなゾッとする感覚。

 この国を長らく守ってきた “ 御守り ” は、邪悪なモノたちにその苦痛と恐怖を与える結界。


 ……そう、シャルーアの母が “ 御守り ” として健在であった頃、このファルマズィ=ヴァ=ハール王国の北部近辺は、邪悪なモノにとって近づき踏み込むだけで死の苦しみを味わう場となっていた。



「はぁ、はぁ、はぁ……ぅ、んん……」

 苦しみ悶えるクルコシアスを横目に、シャルーアが再び立ち上がる。

 しかしながら、少なくはない身体へのダメージに脂汗は滝のように流れだしている。


 手を離れた宝剣は遠くに飛ばされた。取りに行くにはクルコシアスが立ちはだかるであろう位置関係だ。

 しかし、クルコシアス越しにシャルーアの視界には、這いずって近づいてきているマンハタの姿が確認できた。


「っ―――(―――……マンハタ、その剣を投げてください。当たらなくとも構いません。そして貴方は隙を見て宝剣を―――)」

 シャルーアは力を振りしぼり、マンハタに念じる。

 与えたエネルギーはかなり少なくなっているのが感じられたが、何とか通じた。シャルーアは覚悟を決め、命の危機に高鳴る鼓動を少しでも静め、冷静さを保とうと呼吸に専念しだす。


  ・


  ・


  ・



 僅かな間をおいて……


「そこだっ、隙だらけだぜ!!」

 マンハタがシミターを投げた。


 その切っ先は間違いなく、悶絶中のクルコシアスに向かう―――が


「ぐっ、こしゃく……なぁっ!」

 相変わらず強烈な苦痛に悩まされながらも、クルコシアスはその投擲を回避。シミターは無情にもすり抜け、砂漠の上に落ちる。


「ハハハ、フーフー、貴様、その足でまだ動けたとは……グゥウウ……クハッ、はぁ、はぁ……その執念は認めてあげましょう、虫のように地を這いずってまで攻撃せんとするその無駄な努力も含めて」

 バカにしたようなセリフを吐くものの、笑い飛ばすまではさすがに出来ない。そもそもマンハタなどに構っている余裕はないのだ。

 クルコシアスの身体をむしばむシャルーアのエネルギーは、左腕からすでに胸部へと広がっている。


「ハァー、ハァー……グウウウウ、この、程度ォオオ……耐えて……みせ―――」

「やぁぁぁあっ!」


ザンッ


「グハァッ!? く、ぐ……小娘ェエェ。ゼェ、ハァ、ゼェ……ハァ……」

 マンハタが投げたシミターを拾ったシャルーアが、全身で振りかぶりながらクルコシアスを斬った。


 身体にさらなる傷がつきはしたものの、致命的ではない。

 しかもシャルーアはそのまま態勢を崩して地面に転がった。


「いい加減にィ、死んでおきなさぁあいイイ!!!」

 身体の苦痛のせいもあって、イラ立ちを最高潮に高めたクルコシアスが、強烈に吼える。

 シャルーアに向かってメチャクチャに振りかぶりながら、身体ごと覆いかぶさるように攻撃しようとしてくる。



 だが、その攻撃が彼女に当たる前に砂を蹴った者がいた。


「うるうぁあぁああああ!!!」


 ドスッ


「ウゴォッ!? グググ……この、虫ケラがぁアァァ!!」

 クルコシアスの懐に飛び込んできたのはザム。体当たり気味に槍を突き刺し、シャルーアへの攻撃をインターセプトした。



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