第388話 対峙する成長した少女と堕ちたる男




 ヒュクロにとって、ムーの身柄を狙う事には3つの利点があった。


 1つ目にグラヴァースおよびその全軍に対する強力な人質としての価値。

 2つ目に手下どもに示す分かりやすい成果。

 3つ目にエル・ゲジャレーヴァ放棄にあたり脱出ルートを南に開く。


 ゆえに活動の拠点としてのエル・ゲジャレーヴァを放棄する事を考えだした頃から、ムーという存在を狙う手は考え続けていた。




『敵に囲まれ、一見するとコチラには抜け出る隙間がないように見える……そんなタイミングにこそ仕掛ける事で、この奇襲は成功する―――そう思ったのですがねぇ、まさか気付く者がいるとは、ククク』

 戦況や敵味方の位置関係から、その手は不可能だろうという先入観を利用し、地面の下を移動する事で成した作戦―――しかも残った戦力の大半は北と南と東の敵に当てた。

 グラヴァース側のそれぞれの軍勢は、当然、真正面から攻めてきたヒュクロ側の手勢にかかりっきりになるし、戦闘音で地面の下を泳ぐ音も聞こえなくなる。



 作戦は完璧―――まんまと包囲を抜けてグラヴァース南軍の後陣にたどり着き、砂中から飛び出したヒュクロ達。それを待ち構えていたのは他でもない、シャルーアとエルアトゥフ、そして後陣にて待機していた兵士達だった。


 既にヒュクロと共に乗り込んだ手下達がそこらかしこで兵士達と交戦中。ヒュクロの手下は思った以上に多く、50体ほどが後陣の地面の下からわき出し、暴れている。


 シャルーアとエルアトゥフ、そしてムーを護衛する専属の兵士20名ほどがヒュクロとその側近の2人、ユーヴァとジムカファの3体と対峙していた。




「……とても、濃い・・気配……です。もうほぼヨゥイそのものですね」

 シャルーアは目の前のヒュクロを見て、これが人間であったとはこれっぽっちも思えなかった。

 それほどにヒュクロの心身も、そして魂すらも “ 魔なるモノ ” へと変質しきっているのだ。


 そして地中を移動してきた事に気付けて良かったとも思う。これだけ濃い気配を放っているというのに、地面の下にいる時は感じにくかった―――それは、シャルーアの血筋が天空にある神に属するため、その及ぶところは地表まで・・・・だからだ。


『フフフ、変わり果てた姿と思うでしょう、シャルーアさん? ですが本人的にはこの上なく気分のいいものなのですよ。そう、どんな事でもなしえてしまえるという自信しか沸いてこないほどに、ね!』

 ヒュクロは気味悪い笑みを浮かべたまま、シャルーアに襲い掛かった。


 彼の知るシャルーアとは、グラヴァース最初の嫁候補であり、かつて軍にて年老いた恩師の娘であり、戦闘力などほとんどないようなか弱い世間知らずなお嬢様に過ぎない。

 それが何の冗談か武器を構え、魔物化して異形の姿と圧倒的な力を得た自分に立ち向かおうとしているのが、あまりに滑稽―――せめてもの情けにと、愉悦混じりで、一息で5つ6つにその身を引き裂いて殺してやりましょう、とでも言いたげなその強襲ぶりは、完全にこの褐色の少女のことを舐めていた。



「……」

 ファァァ……


 シャルーアの刀がゆっくりと閃く。


 決して大きくはない、反りある柔らかな曲がりの刃に沿って、キラリと金属が陽光を反射させた輝きを走らせる。


 直後、シャルーアの髪の一部、赤いメッシュ部分の色が一瞬だけ強く輝き、伸びるように彼女の身を伝って、両腕から彼女の持つ刀へと伝わり―――



 シュボォウウッ!


 振るわれた刀は、空を裂く音ではなく、高熱から一気に炎が生じて立ち上ったような音が周囲に響いた。



『!? ぬっ……ぐ、……こ、これは……??』

 ヒュクロはまだ冴えていた。

 シャルーアの両サイドから挟み込み、両手で引っかく動きをしていた手は、異様な刀の変化を視界にとらえた瞬間、強い危険を直感で感じとる。

 攻撃を中止し、飛来する刃を避ける事に全力を注いだ結果、胸部の表面にかすった程度の傷しかつかなかった。


 にも関わらず、かなりの苦痛が生じる。それは傷そのものの痛みよりも、内へとみ込んでくるかのような苦しみが勝る、不可思議なダメージ。


『ヒュクロ!』

『大丈夫か? ナンダ、今のは??』

 ヒュクロが回避した事も気にも留めず、シャルーアは舞い始める。

 天舞の刃がまるで太陽の表面をほとばしる極炎の軌跡プロミネンスのように、振るわれるたびにあかく、あかく、あかく輝く。


 振るった頂点でもっとも強く輝き、振るい終われば元の金属の色に戻るそれは、明滅する輝きとしてシャルーアの周囲をいろどり、神秘的な剣舞の様相を空間に作り出していた。


「私たちは、かかさまの補助をしますよ」

「「ハッ!!」」

 エルアトゥフと兵士達が展開し、シャルーアの舞の邪魔にならない配置を心掛けつつ、ヒュクロ達を囲う。


 武器を構え、シャルーアの動きに呼応して適時てきじ、攻撃を繰り出そうという態勢が素早く整った。




『ク、ククク……なるほど? 意外な隠し玉を持たれていたようですねぇ?!』

 ヒュクロは、自分でも驚くほど無意識に強い敵愾心てきがいしんを抱きながら、シャルーアを睨む。

 目の前の舞う少女を憎み、恐怖する―――まるで本能が、これは絶対に殺さなければならないと訴えかけてくるかのような、何かに突き動かされ、ヒュクロの顔面からは笑みも余裕も消え失せた。



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