第345話 料理人のこの上なき悦び



 兄弟姉妹らがグラヴァースの天幕でバカ騒ぎしている頃、ムシュラフュンはステーキの調理に大忙しだった。

 とはいえ腕の振るい甲斐があるので、これっぽちも苦はない。むしろ望むところと言わんばかりに嬉々として肉を焼いては兵士達にアクロバティックな給仕サーブをしていた。




「素晴らしい……。こんなに道具、揃っている……感動……」

 目にも止まらない早さで、何百人前かも分からない肉の調理をこなすムシュラフュンは、細々とした食事情にあったグラヴァース軍の兵士達に一瞬で受け入れられ、彼らの胃袋を鷲掴みにした。


 だが、その調理は主に塩と焼き加減の工夫がメイン。それはそれで絶品なのだが、見かねた兵士の1人が、グラヴァース軍が持っていた調理器具や香辛料などを出した。



 怪人達のオアシスには、かつてシャルーアが与えた分しか金属製の調理器具がない。

 当然、調味料や香辛料の類も最低限だ。特に塩でさえ、周囲が完璧な砂漠しかない生活圏では、稀に遭遇する人間にわけてもらって補給できる、辛うじての少量しか得られない。


 その制限された調理環境ゆえに、ムシュラフュンの料理技術も急激に向上したとも言えるが、やはり数多の食材や未知の調味料や香辛料の類、そして調理器具の充実した環境というのは、彼にとって憧れであった。



 ドドドドドドドドドドドッ


 地鳴りにもにた怒涛の調理。

 簡素ながら巨大なテーブルの上に、新たな皿が投げ並べられ、ムシュラフュンの手元の鉄板台から次々と完璧な焼き加減のイールステーキが飛び立ち、その皿の上に着地してゆく。


「……20人前、あがり…だ。まだの者……持って行ってくれ」

「おお、ありがたい! 早速運ばせていただきます」

 仕上がったステーキがどんどん運ばれていく。その1、2分後にはやや離れたところで “ 美味い! ” と歓声が上がる。

 それを耳にするたび、ムシュラフュンはフッと満足気な笑みをこぼした。




 ザワワッ


 ふと急に、周囲の兵士達がザワつきだす。


「ムシュラー」

「アンシー。どうした……おかわり、か?」

 妹が走ってきてなるほどと、ムシュラフュンは納得した。

 人間の目から見て、妹達はさぞ美人可憐だという―――当然だ、二人はあのかーさんに似たのだ、人間のオス達が黙っていられないのも無理はない―――誇らしい気分になり、ますますスピードアップする調理の手。

 それでいて、アンシージャムンの言葉にも耳を立てる。


「んとねー、ここの大将さんの奥さんにも持っていきたいんだけど、この1人前じゃあ多すぎるんだって。奥さん、子供の出産が近いから、量を3分の1にして、こう薄く1口大に切り分けて食べやすくして欲しい? とかなんとかー」

 アンシージャムンも口頭で説明されたのだろう。で、この妹の性格上、その場では元気よく理解したと勢いで言ったに違いない。


 ムシュラフュンは頭の中で妹の言葉を咀嚼し、さらにイメージを正確に思い浮かべる。


「(ふむ、食が細い女性、と。……アンシーの説明を形にすると―――)―――ッフ」

 ムシュラフュンが片手を何もない空で振るった圧だけで、積んであった器の塔の最上階を1つ、が浮き上がる。

 それを目にも止まらない早さで掴み、手元に素早く、しかしそっと置いた。


 そして、今焼いているイール肉の中から最も良さげな肉を見極め、それを鉄板の上のまま、まず3分割に切り分けた。内2切れ、まだレアなそれを素早く薄切りにし、別の皿に盛ると、アンシージャムンに渡す。


「アンシー。……こういう感じでいいか、聞いてきてくれ」

「おおー、さっすがムシュラ。おけおけー」

 恐らくは合っているだろう。そして本命の1切れをじっくりかつ丁寧に焼いてゆく。

 それを行いつつも、兵士用のステーキもバリバリ焼いていくその止まらない手つきは、もはや芸術の域に達しているとも言えるほど、手際が良かった。


  ・


  ・


  ・


「ムシュラー、おっけーだってー。でも妊婦さんだから、もうちょいしっかり焼いたのをお願いしたい、ってさー」

「……予想通りだ。問題ない。用意している」

 残った一切れはしっかりと弱火で火を通す。

 表面に黒い焦げがつく前に、借りた切り分け用のナイフを入れ、ナイフの厚みよりも薄くスライスしてゆく。


 そして切断面を鉄板につけ、生焼けでなくなったのを確認したら塩をふり、器に盛る。

 酸味の強い果実のしぼり汁で作ったソースを、その体躯に似合わぬマメで丁寧な所作でもって、肉にかけ終え……完成。


「できた。コレ、運んで……」

「あ、大丈夫。食べる人がこっち来るんだって」

 アンシージャムンがそう言うや否や、3人の人影が近づいてきた。

 1人は絶対に見間違えることのないこの世で最も尊き方であるシャルーアかーさん

 真ん中で両脇を支えられて歩いてるのが、おそらく注文の客たる女性だろう。赤い肌でアンシージャムンと似たような小柄さ。なれどお腹が大きい。

 そして反対側を支えている、おそらく姉妹なのだろう同じ赤い肌の女性。


「ありがとう、ムシュラ。忙しい中、細やかな注文にこたえてくれて」

 実際、今もムシュラフュンの手は止まらない。

 何せ兵の数が多いのだ。まだ半数程度にしかいきわたっていないので、止まっている暇はない。

 とはいえ、彼にとっては苦もないこと。



「大丈夫。かーさんの友達も、しっかり栄養とることは大事」

「おおー、ありがとー……んせ、っと」

 ムーは重そうなお腹をかばいながら席につき、先ほど完成したばかりの一品がムシュラフュンの手によって、その目の前に丁寧に置かれた。


「サーペント・ガ・イールのステーキ、薄切りにしてサッパリしたソースをかけたもの、飲み物はソースにも使った果物の汁を綺麗な水と合わせた」

 簡単に料理を説明し終えると、妙にドキドキしてくる。兵士達に振る舞うのとは違う緊張感が、ムシュラフュンを襲う。


 彼の人生の中でも、おそらく初だろう。妊婦というものに自分の食事を振る舞うのは。


 果たしてこれで良いのか、大丈夫なのか、問題はないだろうか……


 色んな不安が頭の中で交錯するが、そんなムシュラフュンにシャルーアは、大丈夫と視線で慰めてくれた。



 緊張―――ムーが薄切り肉を1つ、口に運ぶ。食す。


「……」

 沈黙。兵士用のステーキが焼ける音だけがこだまする。




「……ウマい。久しぶり、こんなに美味しい肉、……キミ、やる。いい腕、してる」

 その瞬間、ムシュラフュンは全身で屈伸するように両腕をグっと引いたかと思うと、思いっきり伸び上がって小さく短く、ッシ! と声を発した。


 手応えを感じた調理者として、これでもかという歓喜を体現する傍で、ムーはよほど気に入ったのか、シュバババと薄切り肉を次々口に運んでは、黙々と食していた。



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