第323話 神の飲み物<ソーマ>




 数日後、王都ア・ルシャラヴェーラを出発したエル・ゲジャレーヴァへの増援隊は、寡少かしょうではあるが全員がギンギンにやる気をみなぎらせていた。




「隊長、大丈夫でしょうか? 調子が上がっているのは結構なことですが、この調子のまま行軍し、エル・ゲジャレーヴァに到着した途端に疲労困憊などという事になっては……ただでさえわずか300の少数部隊だというのに……」

 隊の副長を任されたセーダンは、不安な様子を隠さない。

 だが隊長のウランヴァハは不敵に笑った。


「なーに、心配はいらんだろ。兵どもは神のお恵み・・・を頂いたらしいからな。普通とは違うんだろうさ、ウワッハッハ!」

「なんですか神のお恵みって。確かにちょっと異様な感じですけども、ハァ……」

 兵士達のギンギラギンにみなぎっている様子は、単なる士気の盛り上がりにしては突き抜けている。

 確かに今ならどんな凶悪な魔物が相手でも、彼らは怖れることなく戦う―――いや、むしろ率先して襲い掛かるだろう。


「ちなみにオレと貴様の分も貰ってきているぞ、ホレ」

 小さな皮袋を投げ渡され、セーダンは慌てて受け取る。

 片手の上に乗るほどの、水筒代わりの皮袋にしても小さい。手の平に感じる重みからしても内容量もかなり少なそうなソレを、セーダンは怪訝そうに眺めた。


「中身は何です? ……怪しげな薬とかはゴメンですよ」

「ハッハッハ、まぁそう身構えるな。兵達を見てみろ、確かにギラギラしてはいるが命に別状はなさげだろう? 少なくとも飲んで死ぬような毒というわけではないという事だ」

 ウランヴァハは豪放な性格ゆえ細かい事は気にしないが、それゆえに根の真面目なセーダンにはますます怪しむ。正体のよく分からないモノなど飲みたくはない。




「ハァ……どーしようもなくなったら考えておきます。それより先ほど立ち寄りましたファーベイナの町での話によりますと、もうこの辺りから敵と遭遇する可能性が高いようですから気を抜かないでくださいよ、隊長」

「ハッ、言われんでも分かっとるわ。……気づかんか? 魔物どもの気配が弱い―――いや、全然ない事に?」

 言われてセーダンはハッとした。


 ファーベイナ近郊はメサイヤ一家という大規模な賊集団が魔物を狩り、比較的治安が維持されているとは聞いている。が、魔物がゼロになったわけではない。


 軍人として少なくない戦闘経験を積んでいる彼らをして、ファーベイナの町からここまでの行軍の最中、一切の魔物の気配を感じないというのは異常だ。


「魔物だけではない、野の生き物に空を飛ぶ鳥すら見当たらん。……生物が近寄りたくない領域に、既に我らは踏み込んでおるのだ」

「……、ゴクン……」

 セーダンは息を飲んだ。

 魔物とて生物である。己の身の危険を感じるならば、安全なところまで逃げるものだ。

 そして大抵の場合、特定の地より魔物が一切逃げたなら、その原因は有象無象の魔物達が恐れるような凶悪な個体がいる事がその理由である。




「エル・ゲジャレーヴァの囚人どもは、相当に凶悪化しとると―――どうやら、お出ましだな」

 道はまだ、ファーベイナの町とセダル村の中間あたり。

 だが遠目に数体、亜人的なシルエットが砂煙の向こうに見える。


「……ふむ、敵を見定めてからと思っていたが、コレはそんな余裕はなさそうだの。セーダン、お前は後方に下がれ。負傷者の取りまとめなどの指揮をとれい。ワシは神のお恵みとやらを飲んで、兵どもと共にヤツらに当たる、良いな?」

「は、はいっ! ご武運を!」

 セーダンがその場にとどまり、ウランヴァハは兵300と共に前進する。それと同時に、皮袋の栓をあけて中身をノドに流し込んだ。


「(ふむ? ……乳酒に似た感じだが、酒の風味は弱―――)」

 刹那、全身が温かくなった。


 視界が、まるで今まで眠っていたのが急に眼が覚めたと言わんばかりに広がり、クリアになる。


「(なんだこの感覚は?? 爽やかな、大自然の良さだけが凝縮して心身に満たさてゆく……。それでいて雄大にして母性的で……まるで見える世界の全てが、“ 母なる大地 ” と詩的な形容をしたくなる、聖地が如く感じるなどと、コレは一体?)」




  ・


  ・


  ・



 ウランヴァハ隊が持たされたソレは、神々の秘飲料ソーマに近しいモノとして、アムトゥラミュクムが用意したものであった。



 ―――数日前。


『ソレは、既存そこらの酒に、われちちを混ぜたモノよ』

「!? な、何と!??」

 ファルメジア王が思わず椅子を吹っ飛ばして立ち上がった。


「へ、陛下。何をそんなに驚いておられるのです? たかがか女の乳を混ぜた酒でござい―――」

「愚か者っ、これこそが神々の秘薬ぞ。その価値は計り知れぬもの……こ、このような貴重なモノを頂いてしまって、よろしいのでございますか??」

 ドゥマンホスには理解しがたかった。王が、一国の主が何をちちの入った酒ごときにうろたえるのか?


『数少なきて死地へと向かわねばならぬ不運者に飲ませてやるがよい。絶対なるものではないが、多少は生きて帰れる確率も上がるであろう』

 しかしアムトゥラミュクムは、その言葉とは裏腹に、どこか申し訳なさそうだった。


あやつ・・・なれば完璧なモノを作れよるが、おらぬ者をアテにしても仕方のないこと。コレはコレで人の身には十分であろうしな』

 つまり神の差し入れたるこの神々の秘飲料ソーマは不完全なモノということだ。

 しかし、そもそもからして、人にとっては価値があまりにも行き過ぎているシロモノだ。不完全なモノであっても途方もない秘薬には違いなかった。


「……陛下、どうにもわたしめには信じられないのですが、そのような秘薬が仮にあったとして、コレがそれに迫るモノとはにわかに信じられません」

「ドゥマンホス、無礼に過ぎ―――」

『良い。ある意味人間らしいというものぞ、の者の疑いぶりはな。……なればドゥマンホスよ、汝が毒見をしてみよ。身をもって確かめるがよい』

 そういって、テーブルの上を滑らせるように1杯のさかずきがドゥマンホスの前にやってくる。中には薄い乳白色の液体が少量、揺らいでいた。


「いいでしょう、ならば……あらためさせていただく!」

 そう言って一気に中身をあおるドゥマンホス。

 迷いも、恐れもない、軍人の潔い気骨ある飲みっぷりだ。


 1秒にも満たずに全てを飲み干し、杯をテーブルの上に戻す。

 カンと、空の金属杯の心地よい音が鳴った。


「……ただの薄い酒ですな、なんて事は―――……!?!?」

 ドゥマンホスが勝ち誇ろうとした瞬間、その全身が猛々しい雰囲気に包まれていく。

 激しい心身のみなぎりに、ドゥマンホス自身が一番驚愕し、焦り出した。


『やはり人の身には作用が強くでよるな。どうだ気分は? 激しく暴れ散らしたいか?』

「く、ううう……こ、このような気分はっ、始めてだ……っ」

 するとアムトゥラミュクムは無言で立ち上がり、ドゥマンホスの身体を支えるかのように傍に寄った。



『やれやれ、もうしばし薄めねばならんか。こやつでコレだけ効くのでは、並みの者ではたまったものではなかろうな。……ボウヤよ、我はこやつを鎮めて・・・くるゆえソレに酒を足して倍に希釈し、日の光の当たるところに置いておけ。任せたぞ』

「了解いたしました、お任せを、アムトゥラミュクム様」

 


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