第274話 夜に咲き誇る楽園の閨




 シャルーアが後宮ハレムに入った日の夜―――その部屋に入室したファルメジア王は、目を見開いた。



「……」

 黙したまま、シャルーアはある態勢で王を出迎えた。


 両膝を床につき、背中を天井に見せる形で折り曲げ、しかと頭を下げ、指を絡ませた両手をやや前に出し、床の上に置いている。

 それは、この国における最敬礼だ。古の異邦人が、座ったまま相手に敬意や礼をする上で行っていた動作が元と言われている。


 だが今日では、それも忘れている者は久しく、ファルメジア王にしても歴史の一環としてそういうものがあると学んだだけ。


 教育係として厳しいと、妃たちの間で評判のヴァリアスフローラでさえやらない、古式の最敬礼……

 それをこの少女は、事前に王が今夜来ることを知らされてよりずっと行ったまま待っていた―――その心意気に、ファルメジア王は思わず涙ぐみそうになった。



「んっん! あ、頭をあげてよろしい」

 緊張してしまう。

 こんな少女ですら、礼儀作法をしかと貫くのだ。王たる者としてそれに恥じない姿と態度を示さなければならない。


 本来、後宮ハレムは王の庭で、何に遠慮することもない。この世で唯一、気を抜ける空間だ。

 実際、彼も即位してからこの年まで、後宮ハレムでこんな気持ちになったのは初めてのことだった。



「はい……不肖ふしょうなる姿を御覧ごらんにて御目汚おめよごしならんども、何卒なにとぞ御容赦ごようしゃのほど、先んじていて、ここに私が心体しんたいを、御身おんみほうささげさせていただきます」

 王は、軽くよろめきそうになった。


 初夜の女が述べる礼文―――これも古式ながら、嫁に入った女が夫たる男に対し、初夜にて行う最上位の儀礼だ。


 しかもその述べ方はまるでよどみなく、少なくとも昨日今日教わったばかりの者には出来ない、しかと深い教養がその全身からにじんでいる。


 この後宮ハレムに入った側妃たちの中に、これほどの礼節を尽くして王を出迎えたものは一人としていない。



「……」

 ゆっくりと上げられた頭。露わになる顔―――非常に優れた器量だ。

 頭部に遅れて起き上がった上体が、豊かな乳房を引き上げ揺らす。側妃が日常的に着用するドレスよりもさらに布が少ない煽情的な装束だが、そんなものに頼らなくとも、その性の魅力は老いた王さえも一目見るだけで心音が高鳴るほど、優れている。


 表情にも瞳にも一片の曇りもない。これから、遥か年上の老体の閨を務めるというのに、王の相手をするというのに……子を作ろうというのに、臆する様子も怯えることも、不安を感じもしていない。



 シャルーア=シャムス=アムトゥラミュクム。



 最も信頼したアッシアド将軍の忘れ形見にして、今日より我が妃の一人となる娘だ。


 ……ファルメジア王は最初の夜に、きちんと話をしようと思っていた。閨などどこかへとおいて置き、アッシアド将軍の思い出話などして、ほがらかな夜にすればいいと。

 だが、シャルーアの完璧な出迎えに当てられたのか、それとも彼女の魅力に当てられたのか……気づけば無意識のうちに、彼は当初考えていたものとは違う言葉を、彼女に向けて放っていた。



「出迎えご苦労……誠心誠意我に奉仕し、尽くすことを許そう。そして命じる……そのはらにて我が血の継ぐ子をしかと孕むよう、伽を励め」


「陛下の御下命ごかめい、しかと承りました。私、シャルーア=シャムス=アムトゥラミュクムは、これより、ファルメジア王陛下の御恵み・・・を賜れるよう、陛下の至宝に乞い・・侍り・・、尽くさせていただきます」

 そう言うと、シャルーアは両膝をついた状態で近づき、ファルメジア王の下半身に抱き着くように両腕を回した……



  ・


  ・


  ・


 後宮ハレムは、王にとっての楽園と呼ばれ、あるいはそういう認識をされて久しい場所。

 実際に、国家という巨大なモノへの責任と責務を背負う王にとっては、日々の重圧から解放され、癒されるという一面が、この後宮ハレムというシステムにはある。


 だがこの夜ほど “ 楽園 ” という意味を感じたことは、60年間生きてきたファルメジア王でも初めての経験だった。



「はぁ……はぁ……、はぁ……。……なんと、いう……ううむ……驚かされてばかりじゃ……このような夜は……若い頃以来―――いや、初めてやもしれぬ……」

 王位を継承した日、初めて側妃を迎えての夜も、ここまでの衝撃ではなかった。


 シャルーアは、恐ろしく尽くしてくれた。


 王の床に相応しい、ただの快楽の提供ではない。よわい60というファルメジア王の健康や体力面すらもさりげなく気遣っての相手。

 さらには精力減退著しいであろうことも踏まえた、合間に挟む短い会話にしても、王が一息いれる呼吸のほど、そして整え直すタイミングも完璧に読み切ってエスコート。


 何より驚いたのは、ファルメジア王のその時々の望みを察していたことだ。


 甘やかして欲しい時、激しさが欲しい時、人肌を感じていたい時、逆に熱を冷ます涼しさが欲しい時……


 口に出さずとも、この少女は全てを察し、完璧なタイミングでファルメジア王の快適快感なる一晩の相手を務めた。



 そのおかげか、信じられないことにファルメジア王は、他の側妃との夜よりも3倍も長い時間、起き続け、5倍はいたす・・・事ができた。


 それは若い頃の一番体力がみなぎっていた頃と同じくらいで、にも関わらず、あの頃よりも事後の疲労感が少ない。むしろ快適とすら感じられる心地よさだ。



「(なん……なのだ……? この晴れ晴れとした気分は……?? こんなに気分の良いねやは……はじ……めて……)」

 行為後の老体の表を撫で慰めるシャルーアの手。


 優れた肢体の持ち主とはいえ、小柄な少女だ。なのにまるで大いなる母の優しさのようなものをファルメジア王は感じながら、ゆっくりとまぶたを閉じてゆく。


 いつもはどっと疲れてヘトヘトの状態になり、隣で側妃が寝息を立て始めても眠れず、今度こそは種が芽吹いてくれるだろうかという心配から始まり、国の行末の不安や恐怖ばかりが頭をよぎり……結果、寝不足に陥る。


 それがいつものファルメジア王のねやだ。


 だがそんな思考は一切起こらない。ただただ、滑らかに静かに、ゆっくりと清々しい気分のまま、眠りに落ちる。


 不安も苦悩も恐怖も……瞼を閉じればいつも暗闇に怖れるというのに、穏やかな明るさが心に満ちる。




 ―――途方もない幸福感。


 その睡眠は、時間にして朝まで4時間ほどと短いものであったが、ファルメジア王のこれまでの人生の中で、もっとも満ち足りた幸せな眠りであった。


 そして、目を覚ますと……



「おはようございます、陛下。朝の御尽くしを致させていただきます」

 何十年ぶりかの元気な朝の身体に、この素晴らしい側妃は躊躇う事なくその身を重ね、いつくしんでくれた。



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