第273話 絶世のハニートラップ vs 人生に逞しき傭兵




 ヴァリアスフローラの強制的なリュッグへのアプローチ―――それは他でもない、リュッグの子供を身籠ることにある。




 当然それは、人妻である彼女にとって不貞不倫なる事だ。表向きはもちろん、愛する夫、ジマルディーとの子とするだろう。


「……くっ、だがっ」

「そう……貴方には負い目・・・が出来る……はぁ、はぁ……ふぅ……たとえ、私に強制された事だと分かっていても、です」

 ヴァリアスフローラと関係を持ったことそれ自体が “ 鎖 ” なのだ。そして彼女がリュッグの子を孕めば、その “ 鎖 ” はより強固なものになり、リュッグを縛る。


 しかも、そればかりではない。


「知っていますか? ……この国での強姦罪は獄中行きです。そして、一生出てくることはできない……」

「だろうな、そこまで周到だからこそ、自分を武器にしたってワケだ」

 ヴァリアスフローラは女性だ。


 野太い傭兵の中年オッサンなリュッグと、ヴァリアスフローラの言い分のどちらを世間は真と受け取るか?

 事が明るみになったとしても、ヴァリアスフローラが涙ながらに襲われたと訴えれば、皆そちらを信じる。

 しかも彼女は後宮の教育係で王にも謁見が比較的簡単に叶う身、権力者を背後に置く事も楽々だ。



 つまりリュッグは、かけられた “ 鎖 ” を強引に引き千切り、振り切る事はできない。もしそれをすれば、たちまち強姦魔での指名手配犯にされてしまう。


「分からないな、そこまでする意味が。子が出来たとしてその将来に渡って面倒をみてやらなければならないんだぞ、自分の腹を痛めて産み、しかも旦那や娘を裏切ってまでも」

 倫理観を投げ捨ててまでそうしようというのが理解できないのは、リュッグが男で女の気持ちなど分からないからだろうか? 否―――普通に考えても、女性として常軌を逸した行動だ。




 しかしヴァリアスフローラは、リュッグの胸板を指で撫でまわしながらあざ笑った。


「イチ傭兵の貴方には、まだ理解及んでいないのも致し方ないこと……。この国の危機は、貴方がた市井の者の想像よりも遥かに深刻なのです」

「何?」

「私にとって、家族は何よりも大事なものです。夫ジマルディー、娘のルイファーン……かけがえのない私の宝物。ですが今、そんな大事な大事な者たちが幸せに暮らすこの国が、存亡の危機に立たされている……」

 言いながら、ヴァリアスフローラは再びリュッグと合体せんと、彼の身の上で己の肢体を滑らせ、態勢を整えてゆく。


「その重篤なる国家の危機が救えるのであれば……私の不貞不倫とその結果など、些細な事……んっ」

 拘束されたままどうにもならないリュッグでは、彼女の再三のアプローチを避ける事はかなわない。ただ一方的に彼女の思い通りにことが運ぶだけ。


 

 ヴァリアスフローラがリュッグに “ 鎖 ” をかけるのは、彼がシャルーアの保護者だからだ。

 リュッグという人質を抑えていれば、シャルーアは王と子を成し、生涯王宮に住まうより他ない。その結果がこの国の危機を救う―――それがヴァリアスフローラが不貞不倫に走ってでも、という事なのだろう。


 だが当のリュッグは落ち着いていた。


 ヴァリアスフローラは、いや王宮の者たちは王も含めてすべからく、シャルーアという少女のことを知らない。



 シャルーアが王と子を成すことで、どう国の危機を救うのかははなはだ疑問だが、少なくとも彼女は断らない。自分の子供を産んでくれと言われて平然とハイと言う娘に、リュッグという名の人質など必要ない。


 だがそんなぶっ飛んだ性観念を持つ少女だと言われたところで、常識的に考えて誰が信じるだろうか?


 国家の危機、ひいては家族の暮らしの危機と深刻に捉えているヴァリアスフローラはじめ、現状が絶望的であると憂いている者ほど信じられない。





「(……さて、どうしたものかな……)」

 言ってしまえばむしろ、シャルーアは安全だ。後宮で側妃の1人として扱われている上に、シャルーアの一族の事を知っている王なら、後宮での生活も絶対的に保証・保護するだろう。


 むしろ安全でないのはリュッグの方だ。


 このままでは本当にヴァリアスフローラに自分の子を身籠らせてしまうまで時間の問題。かといって、鎖なんかなくってもシャルーアは王と子作りしてくれる娘だよ、と言ってみたところで信用してはくれないだろう。


 何より、かなり思い詰めた上での軒並みならぬ覚悟を持って来ている相手。何を言ってみたとて、聞く耳もたない。



「(どっちかっつーと国より今、俺の方が絶望的なんだが)」

 逃げ場なし、行動不能、視界不良、情報収集不足、抵抗不可能、忍耐不可能。


 リュッグ個人の状況が詰み過ぎている。それでも割と呑気な気持ちでいられるのは、これまで数多の妖異と戦い、死線をくぐり抜け、そしてその出自ゆえの経験と、単純な人生経験の豊富さなどのおかげだ。


 もっとぶっちゃけて言ってしまえば、彼自身一度、生家と家族一族を捨てて独立した人間だ。

 仮にヴァリアスフローラが自分の子供を身籠ったからといっても、さほど気にはならない。


 何なら強姦魔として指名手配を受けたとしても一向にかまわないくらいだ。その程度でヘコんだりするほどヤワな生き方はしていない。




「(つまり無駄、なんだよなぁ……うーん……)」

 ヴァリアスフローラの気持ちと覚悟は理解するし、そこまで国や家族の事を想って行動できることは、評価に値する覚悟の深さだ。


 しかし、残念ながらどう結果が転んだとしても無駄なのだ。

 なのでリュッグはどうにか思いとどまり、考え直してほしかったが結局、この夜は朝までヴァリアスフローラの思い通りとなってしまった。



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