第242話 禁忌に触れ、極楽へと堕ちる
スリというのは割とどこにでもいる。治安がいいと言われる町であっても、片手で数えられる程度には、毎日スリの被害というのは起こっている。
その中には、より悪質なケースもあるものだ。
「んお? よーう、バッダール。
「ああ、もし追っかけてきたらヨロシクなー」
その路地は、いわゆるならず者が
通ろうとする者が男であれば、囲まれてボコボコにされ、身ぐるみをはぎ取られて砂漠に捨てられる。女であれば散々に欲求のはけ口にされた後に後ろ暗いところへと売り飛ばされる。
スリ仲間でも悪質で有名なバッダールは、よくここを逃走経路に利用していた。彼自身の目的は、あくまでもスリ取った財布。
だが追いかけて来る相手をこの路地に誘因し、彼らに与えることによって、彼らとWINーWINの関係と信頼を築き得るという、一石二鳥を成していた。
まだ10歳の少年ながら、その
「(ま、すっとろそうな女だったし、あっさり撒いちまってるかもしんねーけど)」
それはそれで構わない。
自分にはこの奪った財布という収穫があるのだ。それだけで十分だった。
そして、バッダールがその路地を抜けてから数分後。
「おっと、勝手に通られちゃあ困るなぁ、可愛らしいお嬢ちゃんよぉ、へへへ……」
シャルーアは同路地にて男達に囲まれていた。
――――――およそ2時間後。
「へへ……あの女が結構持ってたおかげで、今日は御馳走だぜ」
バッダールは自分のアジトに、大量の食糧を買って戻って来た。
彼のような裏社会に生きる住人だけが利用する店で買ったので、足がつくこともない。しかしそういう店は、表の社会の真っ当な店の倍額は当たり前だ。
それでもシャルーアから奪った財布を開けてみても、まだ半分以上の額が残っている。おかげでその頬は緩みっぱなし―――完全に油断していた。
ガシッ、ガシッ
「!? んなっ!??」
自分だけのアジトのはずなのに、中に入った途端、両腕を強い力で掴まれ、押さえつけられた。
アジトといっても、瓦礫の山に半分埋もれたような建物の廃墟。そんな大それたものでもないし、バッダール以外に住処にしようなどという物好きもいない。
そんな絶対的な自分の安全領域で、急に誰かにおさえつけられた事に驚き、バッダールは慌てて自分をおさえつけている者を確認しようと頭をまわす。
「大人しくしろ、バッダール」
「! その声……ジャーラバのおっさんか!!? んだよ、何しやがるっ」
するともう一人が悪童に答えた。
「お前はヤベェ相手に手ぇ出しちまったのさ……ああ、それはもう、な」
まるで生気を抜かれでもしたかのような声だが、バッダールはそちらにも聞き覚えがあった。
「ヤンゼビック?? おい、何の真似だよおい!!」
ジャーラバは40歳でこの界隈のゴロツキを仕切る中年、ヤンゼビックは20歳の若手ながらスリを卒業して、あの路地の一員になったばかりの、バッダールからすれば兄貴分と言える先輩。
そんな二人が自分をおさえつけてくる理由が分からない。
バッダールは暴れて束縛を解こうと頑張るが、完全に本気の大人の男2人相手ではどうにもならなかった。
そして……
ザッ
「!! お、お前……さっきの女!?」
地面に伏せさせられているバッダールの前に来たのは他でもない、シャルーアだった。
その全身は、間違いなくあの路地でヤる事ヤられた痕にまみれている。だが10歳のバッダールをしても異様な迫力めいたものと感じられる何かを、その全身から
「私のお財布を返してください」
シャルーアが発した言葉はその一言だけ。
言ってしまえばバッダールはおさえつけられていて、その近くにシャルーアの財布は落ちている。なので有無を言わずとも拾えばいいだけ。
にもかかわらず、シャルーアはバッダールに対して、財布を返せと、わざわざ言い放った。しかも返答を待つように佇んでいる。
「……へっ、盗られる方が悪ぃんだよ、バーカ!」
「!!」「おい馬鹿!!」
ジャーラバとヤンゼビックは、まるで少女を恐れるように慌てる。バッダールは何ビビッてんだこいつらと、怪訝に思った。
だが、その理由はすぐにその身をもってして分からせられてしまう事となる。
「そうですか……
「は? な、なんだよお代って……お、おい、何、なんだってんだよ、ちょっと、おい……う、うわ、うわああああああーーーー!!!!」
・
・
・
それは、路地での最初のやり取りに起因する。
『ここを通りたいんなら、お代をいただかねぇとなぁ……へっへっへ』
『
そこでシャルーアは、お代を支払った―――
だが彼らは、いただいたお代の数十倍を徴収され、その生命を縮めるハメになった。
” お代 ” を払ってもらった後、なんとか動けたのはジャーラバとヤンゼビックのたったの二人だけ。
” お代 ” をたっぷりと、これでもかと支払ったシャルーアは、彼らから路地を通る権利と、財布を盗んだ相手のところへの案内をいただいたのだ。
・
・
・
そして、バッダールのアジトにやってきてから更に2時間後。
「……わからせられちゃった、わからせられちゃった、ぼく、わからせられちゃった……えへ、えへへへ……」
うわ言のように繰り返す、夢見心地なバッダール少年を筆頭にこの日、路地裏に潜むファーベイナの犯罪者たちは一網打尽にされた。
彼らに共通しているのは正気を失っていたことと、ゲッソリとやつれていたこと、そして何故か下半身丸出しだったことで、ファーベイナの町の警備隊は不可解そうに彼らをしょっ引いていった。
「……なぁ、ジャーラバさん……」
「なんだ、ヤンゼビック……」
「俺、真面目に働こうと思うんだ」
「奇遇だな、俺もそう思っていたところだ」
しょっ引かれずに助かった二人は、人影も気配もなくなった路地の中の自分達の世界を捨て、大通りの明るい世界へと踏み出していく。
そしてその頃、シャルーアはと言うと……
「! シャルーア、こっちだ。随分と遅かったな、何かあったのか??」
「いえ、特には。少しばかり道に迷ってしまいました、お待たせしてしまい申し訳ございません、リュッグ様」
まるで何ごともなかったように、リュッグとの合流場所たる食事処に来ていた。
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