第四章

世は非常識だらけ

第91話 ありし日の小さな死闘



 ギィンッ!



「……チッ、ただ者じゃないとは思ったが、やはりか」

 黒褐色の美女が吐き捨てる。

 全力で振るったはずの剣は、目の前の敵を傷つけはしなかった。



「母さま―――」

「そのまま伏せてな、ナディ。何があっても取り乱すんじゃないよっ」

 剣は直刀。女が普段愛用している湾曲刀シミターとは勝手が違う。いかに剣に心得があろうとも、形状異なる刀剣の扱いには慣熟かんじゅくに不足。

 達人、得物を選ばずとは言えなかった。


「(フッ、こんな事なら “ 宝剣 ” だなどとお飾りにせず、普段から使っとくべきだったね。……いや、それ以前に問題はヤツの方)」

 王族としての気張りをほどき、一児の母に戻る貴重な就寝前の母娘おやこの語らい時。

 豪奢ごうしゃな寝室に押し入ってきたぶしつけな襲撃者は、ワダン王家秘伝の宝剣による一撃を受けても、まるでダメージはなかった。



「そのカタナ・・・……、どこぞの王家にでも渡ったかと思うておったが、どうやら当たりじゃったわ」

「……、目当てはコイツというわけか。飾り物と思うていた代物が、どうやら随分な品のようだな? わざわざ女の閨に夜這いをかけてまでとは、ご苦労なことだ」

「クック、どうやら知らぬ・・・ようじゃな、そのカタナのことを。これは好都合……怖るるに足らぬ、クッヒョヒョッ」

 襲撃には適さない明るい灰色のローブ・・・が、天井に張り付かんばかりに舞い上がる。

 それと同時に、身軽になったとでも言わんばかりに襲撃者は動きのスピードを上げて彼女に迫った。


「速いっ、ちいいっ!!」

 

 シュゥグッ!!



 彼女自身は紙一重で避ける。だが美しい髪は本体の動きに一歩遅れるようになびき、襲撃者の攻撃にき裂かれ、中空に散らばった。


「ハァァァッ!!」

 髪は女の命なんていう感傷など、彼女にはない。ワダン王家の女達は代々、気が強くてストイックかつリアリストな性格の者が多い。


 彼女もその気質を先祖より受け継いだ者。


 敵の攻撃を避けたという事実さえあれば良い。そこからやる事は反撃と決まっているし、既にそれを実行に移している。しかし……



 ガギンッ


「くっ……やはり硬いかっ! そして……随分な化け物ときたもんだッ」

 ローブを捨てた襲撃者の姿は、四肢こそあれど明らかに人ではなかった。この辺りでは見た事もない―――いや、もっと異質な世界からこの世にあらわれた異形の存在感を放っている。


 その右腕は真っすぐに突き出されており、爪が異常な伸び方をしている。彼女の髪を切り裂いた事からも、その切れ味は最低でもハサミ以上。


 腕の側面に剣の刃が触れているも、傷の一つもついてはいない。


「腕を切り落とす気じゃったか? 甘いのう、本来の力・・・・なきカタナなど、ただの鋭利な金属の棒じゃて。貴様ではワシを傷つける事もできんわっ」

 払うように腕を振るい、彼女を吹っ飛ばす。腕も爪も触れてはいない―――振るった腕の風圧が凄まじく、それだけで壁に叩きつけた。




「くはっ……ぐ、く……、狙いは……この剣を奪うこと、か……?」

 勝気な性格といえど当代の女王。

 単なる猪突猛進に戦うようなバカではない。己の体力と態勢を整え直す時間稼ぎと、敵の目的をハッキリさせるための駆け引きくらいは出来る。


 しかも襲撃者は存外、よくしゃべる。


 普通なら一言も話さずに短時間で相手の命を奪い、目的を達して去るものだが、この敵は圧倒的余裕からか、口が軽い。

 問えば何かしら返してくる……彼女はそう確信して言葉を投げかけた。



「クック、そんな物騒なモノはいらぬわ。破壊し、この世から消し去るべきモノよ」

「(この宝剣を怖れているだと? だが、いったいどういう事だ??)」

 ここまでの戦いで、この剣がかすり傷すらつけられないのは明らか。

 そんな武器、その存在そのもを怖れている。彼女は立ち上がるため、杖代わりに床に突きたてた剣をチラりと見た。


「……。こんなナマクラ1本に怯える、か?」

「当然よ、カタナは例え本物でなくとも・・・・・・・警戒に値する。疑わしきはすべて破砕せしめねば安堵できんわ」

 なぜかは分からないが、どうやら襲撃者は宝剣をやけに恐れているという事だけは間違いないと、彼女は理解する。


「(つまり、この宝剣はヤツらの怖れる、“ かたな ” とやらに近しい武器……あるいはそれそのモノやもしれぬために壊しに来た、という事か……)」

 王家が大事にしてきた宝剣。ただの飾りとばかり思っていたが、どうやら何か秘密があるらしい。




「(もし、この剣が本物の “ かたな ” とやらであるなら、化け物を倒すことが出来る可能性は高い。……しかし、今はそんな事はどちらでも良い事っ)」


 我が娘を守る―――それが今の彼女のすべて。



「さぁて覚悟は良いかの? その命もろとも一息に砕いてやろうぞっ」


 ゴウッ!


 恐ろしい風圧と共に迫る攻撃。

 吹きつけるような空気のプレッシャーで、彼女はその場から動くこともままならない。だが、何とか直立するに至るのだけは間に合った。



「ニィ……」


 ドボォッ!!


「母さまーーーーーっっ!!!!」

 美しい胸の直下を、異形の腕が完全に貫く。

 布団の下から娘が悲痛の叫び声をあげた。心配させ、不安にさせ、怖がらせ……そして、幼くして母の無惨な死様を見せてしまうのが心苦しい。


 しかし彼女は不敵に笑った。


「ぬぐう!? 貴様っ、わざと避けぬとはっ!?」

「ゴフッ……あの世まで覚えて逝きな。子を育てる女の巣穴に踏み込んだら、一体どうなるかってなぁ!!!」

 絶命するまで刹那の時間しかない、残り全てをかけた激情が彼女から放たれる。


「ガァァァァァァァアアアアアーーーーーーッッ!!!!!」


  ザンッ!


 硬い敵の身体。その中で唯一柔らかそうな部分、その1点を狙って宝剣を突き立てる。

 強烈な吐血まじりの咆哮は、異形なる襲撃者にも劣らぬ怪物じみた気迫だ。

 命終わる時の、爆発的な輝き―――しかし、そこまでもってしても、宝剣は突き立てられた瞬間にのみ、宝玉が淡く輝いたのみで、“ 本来の力 ” とやらは発現しなかった。


 だが、それで十分。直刀の刃先は襲撃者の目から刺し込まれ、その身体の芯にほど近い位置に達していた。


「ごあはっ!? …わ、ワシが…やら、れ………くっ、せめてこの、剣……は、始末おぉおおっーーーー!!」

 刃先に灯った小さな小さな宝剣の力。それが襲撃者の急所に届いたのだろう。


 あれほど頑強な身体が一瞬でひび割れだらけになり、割れ目から放電現象を生じさせ、やがて炎があちこちに灯って焦げ付きながら倒れる。


 目に刺し込まれた宝剣は、襲撃者の身体から立ち上った瘴気に侵されていき、その刃は黒ずんで、やがてひび割れが生じた。




「母さまっ、はは……ま……―――………――――――……」

 すがりついてくる我が娘の声が聞こえなくなる。泣きじゃくる顔がどんどんボヤけていき、やがて視界は暗く見えなくなっていく。


「(……最後の最後に、嫌なもの見せちまったねぇ……。ナディには……アタシや先祖みたく気の強い女じゃあなくって、可愛らしいロマンチックな娘に育ってほしかった……けど、……すまな―――………い…………――――――――――)」


 最後のひと撫で。


 幼い我が子の頭頂部を撫でる一生分の親の愛情をこめた手は撫で終える前に止まってしまい、それ以上動くことはなかった。






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