第09話 愚かなるはどこまでも罪深く



「あぁん、もうお帰りになるの? まだ日が高いのに…たまにはお泊りになっていらしてもいいじゃない、ねーぇ?」

 艶めかしい声と共に男にすり寄り、その凹凸著しい身体を絡めながら片手を男の股間部へと伸ばさんと這わせる――――だが、男はそっけなく女からその身を離した。


「妻が待っているのでね、キミと一晩過ごすことは出来ない…なぁに、また来るから。そんな寂しがらなくても大丈夫だよ」

 言葉の掛け合いだけを見れば、相愛な男女が逢瀬のワンシーンに見える。しかし、女の方は表面上とは裏腹に、内心では男をさげすんでいた。


「(こんな昼間っから奥さんほっぽりだして女遊びしてるようなボンボンにこっちが本気になるとか思ってるのかしら?)」

 女はあくまでも商売上、男を引き留めるような言葉を紡ぎ、態度を取っているだけに過ぎない。


 布を最小限に切り詰めたタイプの踊り装束ラクス・シャルキに身を包んだ彼女――――ウェネ・シーは、町の小さな酒場に勤める踊り子だった。




 物心ついた幼少期から練習を重ね、9歳の時には天才ダンサーとしてお偉いさん達がこぞってその将来を認めたほどの才幹であった。

 だが、そうして目立ってしまったからこそ彼女は目をつけられ、毒牙に噛みつかれた。幼女趣味の豪商人に両親から親族までことごとく買収され、ほぼ買い取られたといっても過言ではない形で嫁に出されたのだ。


 夢は断たれたが金持ちの妻である。まだ人生幸せに暮らす道としては明るい…はずだった。

 年月と共に成長した彼女は、夫の趣味に合わないという理由で15の時、一方的に離婚を突きつけられる。


 そして出戻り娘を体裁面から快く思わない親兄弟たち。元はと言えばお前達が私を売ったんじゃないかという恨み心から、16を過ぎた頃には家族を捨てて一人になった。


 だが世の中、小娘が一人で生きていけるほど甘くはない。


 加えて、金持ちの妻として5年あまりの生活が、その身体からかつて天才と言われた踊りの力をすっかり奪い去っていた。

 満足な下っ端ダンサーすら務まらず、再起出来ずにすぐさま生活苦へと陥った。


 そして皮肉にも、変態趣味の元夫との経験を活かして生きる糧を得る。だが代償として、時間の経過と共にその心は徐々に擦れていった。


 生活基盤を確立し、なんとか一端いっぱしに踊れるまでに自分を取り戻したのは22の時。


 気づけば酒場で安っぽい踊りを見せものにしての給仕バイト。たまに酒場の客に一夜の夢を見せては金をむしり取る、そんな卑しい女に成り下がっていた。




「(他人のことをどうこう言えたもんじゃないけど…この男は駄目だわ)」

 やたら羽振りだけは良い。客としては彼女も酒場の主も大歓迎だ。


 だが真昼間から…いや、朝からやってきて昼下がりまで自分と肌を重ねて帰る。そしてそれがここのところほぼ毎日と来ている。

 それなりに金にがめつい酒場の店主マスターでさえ、あの男には気ぃ許すなと一言注意をしてくるほど。


 男が一方的にウェネ・シーに熱を上げているのか、それとも何か良からぬ腹の内があるのかは分からない。

 この酒場を切り盛りしている二人は、共に馬車で帰っていく男を見送りつつも、やっと帰ったかと清々せいせいしながら店内へ戻っていった。





――――――馬車の中。


「やれやれ、思いっきり楽しめないのはモヤモヤする」

 男はポツリと呟く。肩を上下させ、発散しきれない気分を出すように息を吹いた。


「……フ、色事ならば奥方に求めればよいではないか?」

 男に対面する形で馬車に同乗するは、怪しげなローブを纏った男。その声は落ち付いた、ゆったりとして響きある老練な者を思わせる。


「あの娘に? ハッハッハ、一晩で壊れてしまうよ。そんな事にでもなったりしたら、彼女の実家が黙ってない。ようやく手に入れた後ろ盾と地位なんだ、失いたくはないよ」

 病弱な妻―――男は彼女を愛しているわけではない。


 この国の友邦国の、その中でも有力な貴族との縁のために成功させた縁談。妻はその証明書のようなものだと彼は認識していた。


「そういう意味では、シャルーアを追い出したのは惜しかったなぁ。あの身体……遊ぶには・・・・最高だったからね。初心うぶで素直で、何でもコチラの言う通りにするあの従順さ…けどアレがいたら、あの家も財産も僕のモノにするには難しかったし、妻を向かえるのに支障が出る恐れもあった。まぁ代用品・・・はまた探せばいいだけだ、女なんて探せばいくらでもいるからね」

「それで日がな酒場に通い、大金をもって女を抱く…と。良い趣味をしておるわ」

 ローブの男は皮肉を言ったつもりだった。だがこの対面する男はというと…


「ハハッ、そうだろうそうだろう? 僕としてもまったくいい金の使い方だと思っていてね!」

「……」

 まったく皮肉に気付いていない。

 ローブの下で開いた口が塞がらない彼を尻目に、男はますます上機嫌にくだらないことを語るばかりだ。


「(まあ良い。愚か者である方が都合は良いのだからな…)」

 ローブの彼にとって、困難だと思っていたはずの大きな目的・・・・・の一つを容易く達せられたという事実は大きかった。

 その礼として、この愚か者に今しばらく絶頂の夢を見させてやるのも慈悲だと思いながら、語る相手に適当な相槌を入れつつ、あわれみの視線で愚者の姿を眺めていた。



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