第08話 非道の上に置かれた幸せ


――――――スルナ・フィ・アイア。



 かつてシャルーアが暮らしていた、国でも北方に位置する中規模の町。



 人口は3~4万人……なれど古き都市ゆえその規模が小さく、人口比で言えば過密気味。しかし住人の多くが高齢者寄りのせいか、昼夜問わず清閑な地方都市である。


「奥方様、まだ日は高くございます。こちらに御出になられるは目に・・よろしくないかと」

 守衛の兵士は、日当たりへと出ようとしている彼女を少し慌て気味に制した。


 透き通るような肌の美しさと白さは、人種由来のものではない。髪の色も儚き白さに覆われている。

 健康的とは世辞でも言い難い華奢すぎる身体。ゆっくりと開いた両目は、視線が守衛を見ているようで定まらず、自分に声をかけてきたものを求め彷徨うように軽く揺らいだ。


「大丈夫です、もう少しであの人が帰ってこられる刻限とき……お出迎えを致したいのです。妻としての務めを少しでも行いませんと…」

 健気な事を口にした直後、彼女は支えにしていた建物の大理石の柱から手を滑らせ、その体勢を崩した。

 そうなる可能性を見越していた守衛は、彼女の身が同じ高級石の床に打ち付けられる前になんとか受け止める。


「…ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」

「ふぅ、まったくですよ。そう思われるのでしたらどうかご自愛ください。ご主人様がお戻りの際には、お呼び致しますゆえ」

 キャッチした女性――――いや、少女といっても差し支えないほど儚い彼女は、自分が丸々中に入れてしまうくらい体格差のある守衛の手に支えられながらニコリと微笑んだ。


 細い腕に筋肉の気配はまるでない。これで齢20だというとても信じられないその身体は、生まれつきの病弱がたたってのもの。年齢不相応に発育不全な身体は、かろうじて12~13の少女に見えなくもないという感じだ。


 しかし、本来はやや濃いめの黄色おうしょく系の肌の家系に生まれたはずが、頭の上からつま先までどこを見ても病的に白い。もはや白を通り越して水の青さが薄ら混じっているようにすら錯覚するほどに、存在そのものが薄幸の色をしていた。


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 北西の友邦国、ヴァヴロナ。


 その一貴族の家の令嬢として生を受けたものの、病弱であったがゆえに嫁として長らく貰い手もなかった。

 しかして家族に愛され育った彼女は、少しでも両親や姉弟の役に立ちたいと常々思っていた。


 そんな時だ、彼女を妻にと望む男が現れたのは。


 嫁ぐ事で家族に貢献できるならばと、さほど悩むことなく承諾。しかし家族は、男に病弱なる愛娘を任せるに相応しい財力と権力を1年の内に証明せよという条件を出す。


 1年後、男は見事にそれに応えて見せた。隣国でも北方に位置する都市に立派な居住地と財を示して見せたのだ。

 娘を愛していた家族だが、この男ならと惜しみながらも愛娘を任せる事にし、渋々ながらに首を縦に振った。


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 そして彼女は、ほんの数日前にこの家へと引っ越し、住み始めた。


「(……存在そのものが儚げな)」

 守衛は、夫の帰りを待つ病弱なる妻が、柱に手をついてその影から不明なる白き眼を外に向けている様が、なんと絵になる事だろうと思う。

 だがその胸中では、憎悪すら滲んでいる苦悩が渦巻いていた。


「(彼女は知るよしもない……自分が今、どのような場所で暮らしているかを)」

 不明といえど、まったく見えないわけではない両目。しかし直射日光はもとより、昼の明るさですら目に毒と医者に言われているほど、その瞳は弱い。



 だが視覚の問題ではない。守衛が苦悩する理由は、この豪奢なる家が他者より奪ったものであるという事実の方。


 もちろん彼は雇われの身である。主人の非道をその奥方に伝えるなど出来ようはずもない。だが同時に、この儚い奥方があんな外道野郎の毒牙に毎夜かかるのか? などとも思わずにいられない。


 仮に主人の悪行を伝えれば二人は離婚……彼女は実家に帰るだろう。


 それはそれで良いかもしれない。だが彼女の婚歴に深い傷がつく事になるし、その心はあの男に裏切られた事で、哀しみにくれてしまう事となるのは明らか。


「(…言えぬ。こんなにも穏やかで幸せそうな表情が、泣き顔へと変わる様など……また・・見たくはない)」

 良心の呵責、守衛たる者の志、悪徳なる男への怒り。

 様々な気持ちが守衛の全身を巡って止まない。



 なぜ、なぜなのか?

 世はこんなにも不条理なのか?


 奪い捨てられる者あらば、それによって笑顔の時を得られる者もいる。


 なぜなのか?

 なぜ、どちらも救われないのか? 彼女達が一体何をしたというのか??



 パカラ……パカラ、パカラッ



 雇い主たる主人あの野郎が帰ってくる。馬車の音が遠くより響き聞こえてきて、守衛の葛藤は霧散させられた。


 仕事は楽だ、給料もいい。


 けれどその心には常に矛盾と葛藤がひしめいている。そして元凶たる男を諫められるでも懲らしめるも出来ずに仕え続けている自分の罪を、彼は常々感じている。



 …彼女は、あの娘はあの後どうなったのだろう?

 この家の元主もとあるじは今、無事であるのだろうか??


 苦しい気持ちのまま、定まらぬその感情を内深くへと押し込めながら、守衛の彼はあの最低な男のお帰りを、今日も出迎えにゆく。





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