04.二十二人の使徒

 その後、公衆浴場ギルドへの登録申請のついでに、ティコの名で温泉利用に関する新案の登録も済ませておく。

 ベアトリクス公国内に公衆浴場は数あれど温泉利用の文化はない、すなわち温泉施設もないことは調べがついていた。


 手続きはすべて〝契約盤〟を通して行われるので、横取りや抜け駆けの心配がないのも非常にありがたい。人間同士の約束事を、神にも等しい〝アカシックレコード〟に監視させるというのはこの世界の数少ない優位点だ。

 将来的にもし国中に温泉文化が広がるようなことになれば、ボナリー家は莫大な収入を得ることになるだろう。


 そうこうしているうちにすっかり予定時間もオーバーして、ベレニーズの止まり木亭に着いた時には夕方の六時を回っていた。

 フロントで呼び出しベルを鳴らすと、奥から姿を現したのは眼鏡をかけた妙齢の金髪ブロンド美女。左胸のネームプレートには〝ドミニク・ベレ・ステヴナン〟記されている。どうやら彼女がこの宿の主人らしい。


 俺と目が合うとあごを引いて少し探るような目つきになったが、かたわらのサトリに気付いてすぐに他意のない笑顔に変わった。


「あらあら、カスタニエ家の……サトリ様、ですね? いらっしゃいませ」


 一瞬迷ったということはユトリのことも知っている?


「こんにちは。飛び込みで恐縮ですが、部屋を用意してもらえますか?」

「もちろんでございます。この度は何部屋ご入用いりようでしょう?」

「ツインを一部屋とシングルを二部屋お願いします」


 サトリはここでも夜間警護を続けるつもりらしい。


「一泊でよろしいですか?」

「二泊でお願いします」

かしこまりました。お食事はお済みでしょうか?」

「いえ、まだ」

「では仕出しを頼みましょう。お肉は豚と鶏、どちらになさいますか?」

「豚でお願いします」

「え? ミオは鶏肉がいいなぁ。プロテイン的なものもあれば最高なんだけど」


——あるかバカ。


「分かりました。そうなりますと、注文先は焼肉屋ロティスールソース屋ソーシエも含めて四か所になりますね……料金もかさみますがよろしいですか? それとも、豚は止めておきますか?」

「いえ、全部頼んでください」


 サトリの返事にドミニクもわきまえたように頷き、


「では、メニューはこちらで旬の物を適当に見繕わせて頂きますので、皆様は先に食堂で前菜とラグー(※煮込み料理)を召し上がっていてください」

「あ、すみません」


 食堂へ案内しようとフロントから出てきたドミニクを、俺が呼び止める。


「そこの掲示板のチラシ、見せてもらってもいいですか?」

「ああ、教会から回ってきたものですね。配布用がありますからお出しします」


 そう言ってドミニクはカウンターに戻ると、台の下から一枚のチラシを取り出して俺に手渡し、再び外に出て案内アテンドに戻る。


「では、こちらへ」


 食堂には、それぞれ六人ほどが座れそうな大テーブルが六つあったが、他に客の姿はなかった。

 俺たちを窓側のテーブル席に通すと、ドミニクは「食事の準備ができるまで少々お待ちください」と一礼して去っていった。

 澪緒が、唇をツンと立てて彼女を見送りながら、


「厨房があるなら肉料理も全部出してくれればいいのに」

「そういうわけにはいかないんだよ」

「何でよ?」


 職業ギルドは仕事内容に応じて細分化されていて、特に食の世界では焼肉屋ロティスール豚肉屋シャルキュティエ鶏肉屋プーライエ内臓肉屋トリピエソース屋ソーシエ惣菜・煮込み料理屋トレトゥールなどとかなり細かく分けられている。


 そのため、例えばシャルキュティエがプーライエの領分である鶏肉を売ったり、勝手に焼き肉にしてロティスールの領分を犯すことはできない仕組みになっている。


 この宿の食堂はトレトゥールのギルドに属しているだろうから、肉料理を出そうと思ったらシャルキュティエやプーライエに仕出しを頼むしかない。

 プラスロー村のホリー酒場で滅多に肉料理が出なかったのもそれが理由だ。


 ちなみにこれらの知識はゲーム設定で語られていた内容ではなく、俺がこちらに来てから書物を読んだり周りの人に聞いたりして初めて知ったことなのだが……。


「まあ、こういったギルド制度の弊害として、民間では技術の交流や発展が鈍く……っておい、聞いてんのか?」

「え? ああ、またなんか始まったな~と思って」


 と、頬杖をつきながら窓の外を眺める澪緒。


「なんかとはなんだ!」

「別にそこまで説明してくれとは言ってないよ。これじゃ気軽に質問もできないよ」

「何だよ、人がせっかく説明してやってるのに……」

「それだよそれ! その謎の上から目線! お兄ちゃんぶって!」

「だって、お兄ちゃんだし……」

「お忘れかも知れませんが、お兄ちゃん、愚者だからね? 愚か者だからね!?」


——ぐっ……忘れてたぜ……。


「そう言えばその職号について、お母さまが気になることを仰ってましたの」


 と、ティコが口を差し挟む。

 誰に聞いてもこんな職号は聞いたことがないと言われていたのだが……。


「気になること、とは?」

「エレイネスの経典〝ロガエスの書〟に、世界が混沌から統一へ向かう時、紅髪の聖女と二十二人の使徒がこの地に降り立つと書かれておりますの」

「ふむ」

「二十二人の使徒はそれぞれ、大アルカナに対応した職号を持つと言われてますの」

「タロットか」

「はいですの。そして〝愚者〟は二十二番のうちのゼロ番目に位置する〝すべての始まり〟を意味するカードですの」

「すべての……始まり」


 単なる偶然かも知れないけど一応頭には留めておこう。

 職号のことも、周りにはなるべく知られないようにした方がよさそうだ。


「それもあってお母さまからは、なんとしてでもリンタローさんを……」と、そこで言葉を呑み込むティコ。

「ん? 俺をどうした?」

「いえ、何でもありませんの」


——うわ! あからさまに気になるところで!


 まあでも、何となくその先の話は予想できるし、澪緒の前ではあまり突っ込まない方がいいかもしれない。

 このMMORPGメメント・モリに大アルカナの要素が採用されていたなんて聞いたことないけど、ロガエスの書については一度自分でも調べてみよう。


「ところでお兄ちゃん、さっきもらったチラシは何?」

「ああ、これはな——」

「あ、要点だけにして」

「黙って聞け」


 持っていたチラシをテーブルの上に載せる。

 以前コシュマールのジェル=ジルボー商会を訪れたとき、掲示板で見かけたものとほぼ同じ内容だ。

 あの時は通行税の一覧表の方が気になってこちらはチラ見しただけだったが……。


「これは簡単に言うと教会からの施療官募集のチラシだ」

「せりょうかん?」

「端的に言えば医者だ。教会内で皮膚病が流行っていて、治療に覚えのある者は専属の施療官として厚遇すると書いてある」

「そんなの、医者に行きゃあいいじゃん」

「この国に開業医なんてないから。医者のほとんどは教会や貴族のお抱えで、病気になった平民はそこでお金を払って診てもらうんだ」


 当然、施療系ギルドにも打診はしてるだろうが、市中にもこんなチラシを一か月以上配って回っているということは成果が上がっていないのだろう。


「既存の施療官ではなくわざわざ新たな人員を募集するというのは、高位の人物を治療するために違いない。恐らく——」


 俺の言を継いでサトリがぽつりと呟いた。


「大司教……」

「うん」

「わかりましたの! リンタローさんが仰っていた〝温泉での湯治を試したい人物〟というのは……」


 ティコだけでなく、全員の中に俺の考えが伝わったようだ。


「そう、コシュマール教区の大司教、クリストフ・ル・クレマン大司教だ」

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