Final.甘い吐息

想弓手サジタリウスの名に懸けて、リンタローさんの心臓を射止めてこいと」

「心臓?」

「ハートのことですの」


 と言いながら膝立ちになると、胸の前で小さな弓を構えるようなポーズを取り、人差し指を立てて片目を瞑るティコ。

 お茶目で可愛いが、今はそんな場合と違う。


 なにせ彼女はタオルさえ巻いていない全裸なのだ。

 澪緒みおと風呂で一緒になった時のような謎の光も出ていない。

 膝立ちになったことで、外気に触れたバズーカップがぷるんと湯滴を弾く。

 眼福を通り越して目がくらみそうだ。


——こんなのもう、何タリウスだろうが関係ねーよ!


「わ、分かったから一旦沈んで!」


 ティコの両肩を掴み、急いで乳白色の湯の中に押し戻す。……が、立ち上がった拍子に、今度は俺の下半身がお湯の上に露出してしまった。


「まあ! とっても元気ですの!」

「こ、これは違っ……ご、ごめっ!」


 レッサーパンダの威嚇ポーズのようにそそりたった股間を抑えて俺も慌てて湯に浸かり直したが、レッサーパンダを鎮める間もなくティコが湯の中をにじり寄ってくる。


「なぜ謝りますの? 好きな女性の前では男性はそのような反応を示すとお母さまが仰ってましたの。わたくしは嬉しく思いますの」

「いや、これはただの生理現象で……って、あふっ♡」


 何かがレッサーパンダに絡みつくように触れた。


——にっ、握られた!?


「ちょっ、ちょっと待って! 一旦ストップ! ストォ――ップ!!」


 両手でティコを押し戻そうとしたが、今度は向こうも力を入れているのかピクリとも動かない。それどころか、伸ばした俺の両掌が彼女の柔らかなバストを鷲掴みするような格好に。


「あっ……んんっ! り、リンタローさん、いきなり大胆ですの♡」

「これはちっ、ちがっ! とっ、とにかく一旦離れて! お願い!」


 澪緒には及ばないまでも、ティコもこの世界では男性顔負けのパワー型設定だ。本気になられたら俺など太刀打ちできない。

 一気に爆殺寸前まで追い詰められたレッサーパンダの命をギリギリのところで繋ぎ止め、なんとかティコに離れてもらう。


 そう言えばこの視察旅行も、元々は完了検査の名目でティコと二人で来る予定だったのだ。そして、それを提案してきたのがエリザベートだったことを思い出す。


——あのお母さん、まさか俺たちに既成事実を作らせる目的でこんなイベントを?


 実際、澪緒や他のメンバーの存在が頭になければとっくにティコの魅力に陥落していたかもしれない。

 あいつらがいつやってくるか分からないような状況で行為には及べない……という一点でのみ、俺はなんとか理性を繋ぎとめていた。


——落ち着け燐太郎オレ! ヤッたらさすがに結婚は断れなくなるぞ!


「と、とにかく、こういう場所でそういうアレはダッ……ダメだと思いましゅ」


——噛んだ……。


「だって、今しかチャンスはありませんの」

「言うほどチャンスでもないでしょ? 何をするつもりか分かんないけど、こ、ここだって、あいつらがいつ来るか分からないじゃん!」

「大丈夫ですの。今は麻雀に興じていらっしゃいますの」

「ま……麻雀?」


 このゲーム〝メメント・モリ〟には遊技場カジノが用意されていたことを思い出す。

 スロットなど世界観を壊すような機械マシン系の遊興機はさすがに無かったが、サイコロゲームやビンゴなどローテクのギャンブルを始め、トランプや麻雀などユーザー同士で交流しながら楽しめるゲームが各種用意されていた。

 この世界ネブラ・フィニスでも、その設定はそのまま反映されているらしい。


「で、でも、麻雀は四人必要だろ? ティコがいなかったら……」

「ロシーユがいますの」

「あ、ああ、なるほど……。でも、半荘はんちゃんなんてせいぜい四半時しはんときもあれば終わるし、そろそろ危ないんじゃ——」

「大丈夫、ロシーユはああ見えて雀鬼ですの」

「じゃんき!?」

「場を引き延ばして時間稼ぎをするくらいのことはって退けますの」


——あの侍女にそんな特技が……。


「じゃあ、そう言うわけなので……」

「じゃあの意味が分からん!」


 再び近づいてくるティコを慌てて手で制し、


「一旦! 一旦待って! そ、そうだ! なんでお風呂で? そういうアレは普通、部屋でするもんじゃ!?」

「リンタローさんはベッド以外ではやらない派ですの?」

「そんな派閥に入った覚えはないけど!」


 とにかくこの場を逃れて一旦仕切り直さないことには、俺もいろいろ限界だ。


「当初の予定通り二人だったらそうしてますの。でも、夜はサトリさんが護衛に付くと仰ってますから夜這よばえませんの」

「あ~、あれかぁ……」


 サトリは、ホリー酒場で始めたあの夜間警護を冠館クロンヌに移ってからも続けていた。

 最近はだいぶ慣れてきたけど、一人で処理・・するのだって隙を見つけるのが大変だし、何より彼女にジッと見つめられた状態での就寝は落ち着かない。


「あれはほんと、止めて欲しいんだけど……」

「リンタローさんはそういうところがありますの」

「そういうとこ?」

「止めて欲しい事ははっきり断らなければいけませんの」

「え? 今まさにいろいろ断ってるのは通じてない!? ……って、わっぷ!!」


 再びティコが近づいてきて、今度は俺を湯船のふちに追い詰めるように覆いかぶさってきた。脇の下に両手を入れられる形で組み敷かれたので身動きが取れない。

 スレンダーボディに似つかわしくないたわわな果実も眼前を覆わんばかりに肉薄しているので、もはや視線を逸らすどころの話じゃない。


「ちょ、ちょっとティコ!」

「申し訳ありませんが、いくらリンタローさんでもお母さまの言いつけを上書きすることはできませんの」

「ちょい待って! なんで俺にそこまでこだわる⁉」

「リンタローさんにはわたくしの先生として、これからもそばでいろいろご教示いただきたいですの」

「それならほら、家庭教師的な契約でもいいのでは?」

「尊敬する人にずっと傍にいて欲しいと思うのは自然なことですの」

「それは分かるけど、それと結婚とはまた別で……。尊敬とか、そういう感情でするものでは——」

「確かに、そうですの……」


 そう呟いたティコが両肘を折ると、二人の身体が湯船の中で完全に密着する。

 そのまま俺の耳元に唇を寄せ、囁くようにティコが続けた。


「申し訳ありません。わたくしは嘘をついておりましたの」

「う、嘘?」

「尊敬の念は本当ですの。でも……」


 と一拍置いて、再び俺を正面に見据え直すティコ。


「リンタローさんとの契りを望むのは、あなたをおしたいしているからですの」


 そう言って、今度は真っすぐに接近してくるティコ。胸と胸が合わさり、唇と唇が近づき、ティコの甘い吐息が口元を優しく撫でる。


——だ、ダメだ……もう、限界だ。


 その時。


「お兄ちゃん、いる~?」


 浴場の出入り扉の向こうから声が聞こえ、ティコの動きが止まった。


「みっ……ミォカァ~?」

「ちょっと、お兄ちゃん? なんか声が裏返ってるけど大丈夫!? のぼせてない!?」

「だっ、ダィジョォブゥ……」

「ほんとに? ティコちゃんが見当たらないんだけど、こっちの方にこなかった?」

「お、俺が入ってるんだから、ティコが入ってくるわけ、な、ないジャナイカ!」

「誰もそこまでは疑ってないよ……っていうかお兄ちゃん、めっちゃ怪しいんですけど」

「な、何ガ?」

「それ、嘘ついてる時のお兄ちゃんの声」

「い、イツモ通りジャマイカ!」

「ギャグも滑ってるし、なんか変! ちょっと開けるよ⁉」

「チョッ、ちょっとタイム! ストォ——ップ!!」


 次の瞬間、俺の制止もお構いなしに澪緒が浴場の扉を開け放った。

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