第四話 結婚の条件

01.人間の強弱

 マクシムを糾弾したあと、サトリにはベルを孤児院まで送らせ、残りの皆は冠館クロンヌの別館へ移動した。もちろん、エリザベートも一緒だ。

 別館は警備隊や使用人の詰め所として使われていたのだが、その大部分をマクシムと共に退去させることにしたらしい。


 マクシムにはクロンヌの立ち退きまで三日の猶予を与えたのだが、必要最低限の荷物だけを纏めて、明日の早朝には発ちたいと言ってきた。

 ダラダラと過ごしてティコレット母娘と顔を合わせるのが気まずいのだろうが、おかげで、夜だというのに本館の方は退去の準備でごった返している。


「それにしても、いつのまにあんな手続きを?」


 皆が食堂に集まったところで、あの二枚の書類についてティコに尋ねてみた。


「村に着いた翌日ですの。ちょうど飛脚が立ち寄る日だとお聞きしたので、善は急げと思いまして……あっ、ロシーユ? みなさんに紅茶をお出しして」


 食堂から立ち去ろうとしたメイドを呼び止めて給仕を命じてから、さらにティコが続ける。


「ここに来る途中、大型馬車コーチの中でリンタローさんに教えていただいた領主の心得に、わたくし、ひどく感動いたしましたの」


 そう言えば、急に俺のことを〝先生〟とか呼び出してたな。


「それで、次期領主などという中途半端な立場のまま他人任せで視察など行ってもいいものかと思い直しましたの。いざと言う時に何事も決められないようでは、視察をお願いする資格などないのではないかと思い、覚悟を決めましたの」

「それはまた……フットワークの軽いことで……」

「はぁ? わたくし、そんな軽い女じゃありませんの!」

「いや、どっちか言うと褒めてるんだけど!?」


 ティコから、修道院の卒院とサノワ委領の件で便りをもらったエリザベートが、すぐに手続きを済ませてここへ向かったらしい。

 日数を考えればかなりタイトなスケジュールだったはずだが、ティコもティコなら母親も母親でかなりの行動力の持ち主だ。


「修道院の方はともかく、サノワ委領の件についても、よくシリルがすんなりと了承しましたね?」


 今度はエリザベートに尋ねると、


「シリルは〝ティコにヴィリヨン地方を委領させよ〟という先代エディ様の遺命いめい反故ほごにしたがっていましたからね」

「そう言えば、そうでしたね」

「その代替地としてサノワ地方の委領を提案したのはシリル本人ですから、それをお受けすると申し出たら、二つ返事で手続きを進めてくれました」


 言って、柔らかな微笑を見せる和顔愛語わがんあいごの貴婦人。

 しかし、自身の出生地でもある肥沃なヴィリヨン地方をあきらめて、辺境のサノワで妥協するのはそれなりの覚悟が要ったはずだ。

 それをよく、娘の便りだけで迅速に決められたものだな……。


「本当に、あなたはサノワ地方で良かったんですか?」

「ふふふ……。わたくし、人を見る目には自信がありますの」

「……ん?」

「カスタニエ家のユトリ様とは娘の繋がりで何度かお会いしたことがありますが、あの方はなかなかの傑物ですわ」


——せやろか?


「そのユトリ様が信頼されて娘に付けてくれた方がいて、さらに娘の便りにも、その方の教えや厚い信頼の念が綴られていましたわ」

「はあ……」


——それって俺のこと? ……だよな。


「それだけしっかりした方が傍に付いておられて、しかもエスコフィエ家での辛酸も十分経験している娘が判断したことなら、老いた母が従わぬ道理はないでしょう」

「とても老いてるとは……」


 エリザベートの双眸が怪しく光ったような気がして、思わず身を硬くする。

 悪感情を持たれているわけではなさそうだが、どこか獲物を狙う猛禽もうきん類のようなオーラを感じ取ったからだ。

 もっともそれはほんの一瞬で、すぐに元通りの柔和な貴婦人に戻ったのだが。


「それにしてもよくあの時間に、ちょうどお母さんが着いたよね」


 澪緒みおの疑問を受けて、エリザベートが続ける。


「委領の引継ぎの準備もありますし、本来はエグジュペリで一週間ほど滞在する間にマクシムにも事前連絡を入れてから伺う予定だったのですが……」


 どうやら今日、サトリがエグジュペリまで菜種油の製法登録に行った際に、滞在中のエリザベートに、できるだけ早くプラスローを訪れるよう申し入れたらしい。

 もちろんそれはティコからの言伝ことづてだったのだが、サトリが村を出る時点ではまだ、マクシムの使者も孤児院を訪れてはいなかった。

 というよりも、サトリが馬車を借りたことで、マクシムがその理由を確認するためにベルを呼びつけたのだから当たり前だ。


 ではなぜ、ティコはあの時点でエリザベートの来訪を急がせたのか?

 疑問に思って尋ねてみると、


「それは今朝、リンタローさんからベルさんの境遇についてお話を伺ったからですの」

「それだけ?」

「それで十分ですの。マクシムは、あれでなかなか性急な性格ですから、馬車を借りてコソコソと何かを始めれば必ず探りをいれてくると思っていましたの」

「そうだったのか……」

「エスコフィエ家から正当な差配人として任じられているマクシムに正攻法で対抗するには、正当な領主として人事権を発動するしかありませんの」

「それはそうだけど、それではティコもお母さんもこの地に移り住む必要が——」

「リンタローさん」


 ティコが手を上げて、俺の言葉を遮る。


「昼も申し上げましたが、リンタローさんは優しすぎますの。何でも、一人で背負い込もうとしすぎですの」

「いや、それは優しさなんかじゃ……」


 ただ単に他人を当てにしていないだけ……他人を頼ることが苦手なだけだ。

 昔から他人の心のうちを敏感に感じ取ってしまうせいで、何でも先回りして、自分の中だけで処理してしまう癖が染み付いてしまっている。


 人間の強弱とはどれだけ他人を使えるか——他人に頼れるかの強弱だと俺はティコに説いた。しかしそれは、自分が最も苦手にしているからこそ痛感していることでもあるのだが……。


「いいえ、お優しいですの。リンタローさんは、他人のことを分析するのは得意でも、自分自身のことは分かっておられませんの」

「……そう?」


 あまり意固地になっても逆に嫌味になりそうだし、そう思われているならそれでいっか。評価が高くて困ることもないだろう。


 とりあえず、今回の視察はティコが委領し易い環境を整えることが目的だったわけで、彼女が覚悟を決めてサノワ領主になった今は俺の役目もほとんど終わりだ。

 残りの村興しアイデアだけを伝えて、あとは彼女とエリザベートに取り仕切ってもらえばいい。


 そうティコに伝えると、


「それは困りますの!」


 と、柳眉を曇らせる美しき新領主。


「リンタローさんにはずっと、わたくしの相談役として働いてほしいですの」

「そ、それは、どうだろうか……。一応俺たちはカスタニエの客分なわけだし、ずっとっていうのは……。そもそもこの村にも、二ヶ月程度の視察のつもりで——」

「それなら問題ありませんわ」


 エリザベートが青い瞳で俺を見据えながら口を挟む。

 彼女の怪しい眼光に射竦いすくめられた俺へ、この後さらにとんでもないセリフが投げかけられた。


「うちの娘と結婚なさればよろしいですわ」

「ブゥ——ッッッッ!」と、口に運んでいた紅茶を噴き出したのは澪緒だ。

「ちょぉぉぉっと待ったぁぁぁっ!!」


 澪緒が、椅子を後ろに飛ばしながら立ち上がった。

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