Final.二枚の書類 ※

「ふ……ふっふっふっ……何を言い出すかと思えば、解任ですと?」


 額に手を当て、失笑するマクシム。


「さきほどの話を聞いておられなかったのですか? 私をサノワ地方の差配人に任じたのはエスコフィエ本家。ティコレット様に罷免の権利など——」

「それは存じておりますの」

「ではお分かりでしょう? 私が今の任を退くのは任命権者のシリル様に解任された時か、あるいは次期領主様が正式にサノワ領を委領した場合のみであると」

「それも……存じておりますの」


 ティコの横顔が強張る。分かっていたことだが、やはり任命権者かそれより上の立場の者でなければ解任させるのは難しいのだ。

 ゲームに例えるなら、マクシムはギルドマスターの直命で動いているプレイヤーであり、たとえ副マスであっても彼を排除するのは難しいということだ。


 かと言って、のんびりシリルに訴え出ている時間もない。マクシムに強権発動されればベルを守りきるのは難しくなる。

 それに、シリルとティコ母娘の確執を考えても、彼がティコの訴えを素直に聞き入れてマクシムを解任する可能性は極めて低い。


——やはり、マクシムを解任するには第三の方法しか……。


「どうするつもりだ、ティコ?」

「…………」


 第三の方法とは、マクシムの悪政を暴き、国の人事院より罷免を申し渡すこと——いわゆる〝弾劾〟だ。


 だがそれには、当然訴追に相応する罪状が必要となる。

 生産性に乏しく見えるマクシムの領地経営も、この世界の常識に照らし合わせれば決して無能と言えるほどのものではない。

 もし弾劾を申し立てるとすれば、租税公課の間接的な横領とも言えるベルとの関係をおおやけにするしかないのだが——。


「……やはり、弾劾の申し立てを?」

「それは、ダメですの」


 俺の問いに対して、即座に首を振るティコ。


「そうなれば、判事や公証人だけでなく、この村のグループ長など、多くの方の前でベルさんの身に何があったのか証言を求められますの」

「……うん」

「そうなれば、たとえマクシムを罷免できたとしても、ベルさんは心に深い傷を負うかもしれませんの。この村で暮らすことも難しくなるかもしれませんの……」


 確かに、そうだ。

 平民同士の争いとはいえ、マクシムにはエスコフィエ家の後ろ盾もあるのだから実質は貴族と平民の係争だ。やつの弁護人アヴォキャには優秀な人物も選任されるだろう。

 法廷でのセカンドレイプで心に深い傷を追うかもしれないし、たとえ勝訴できたとしてもベルを白眼視する村人も出てくるに違いない。


「ベルさんがこの村にいられなくなるような解決法では意味がありませんの。今、わたくしたちがここにいるのは、ベルさんを救うためですの」

「……うん」

「〝貴族の義務ノブレスオブリージュ〟の精神をわたくしに説き、弱者に寄り添える領主になるよう説明してくれたのはリンタローさんですの」

「それはそうだが……でも、そのまえに元凶を排除しなくては……」

「くっ……くっくっくっ……」


 再び、マクシムの含み笑いが耳朶じだに触れる。


「何をゴチャゴチャと話しているのかは分かりませんが、用件は済んだのですかな? もう話がないのであれば、ベルと大切な話があるので、彼女以外は退室を——」


 と、その時だった。

 室内にノックの音が響く。


「誰だ?」


 マクシムが怪訝そうに眉をひそめて声をかけると、ドアの向こうから先ほど俺たちを案内した使用人の声が聞こえた。


「またおまえか、シモン! 何しに来た!?」


 ドアを開けて一礼するシモンへ癇声かんごえを浴びせるマクシム。


「ったく……私がここにいる時は、よほどの用件でなければ取り次ぐなと申しておいたはずだが?」

「も、申し訳ございません。急な来客がございまして、至急面会をご希望と……」

「面会? こんな時間に誰だ? 終わったらすぐに行くから上で待たせておけ!」

「と、ところが、すぐにティコレット様にお会いしたいからと、もうここまで……」

「ティコレット様に? 私ではなく? 一体、誰が——」


 と、そこまで言って絶句するマクシム。

 シモンの後ろから現れた人物がゆっくりと部屋に入ってくると、陰気な室内が急に華やいだ気がした。


「ごきげんよう、マクシム」

「あ、あなた様が……なぜここに……」


 すかさずティコが、部屋に入ってきた女性に駆け寄る。


「お母さまっ!」


——お母さま? ってことは、この人……ティコの母親のエリザベート!?


「待たせたわね、ティコ」


 そう言って微笑みかける姿は、まさに紅口白牙こうこうはくが。 

 顔色はやや青白くも見えるが、内面の気高さをそのまま写し出すような玲瓏れいろうな笑顔は、薄暗い地下室にあってもまばゆく感じられるほど。


 ティコと同じく艶やかな金髪ブロンドに、美しいという形容さえ拒まれそうな完璧な美貌。それでいて、蠱惑こわく的なアーモンドアイには柔らかさも感じられる。

 ティコの歳から考えて、母親は優に三十を超えているはずなのに、咲いたばかりのカトレアを思わせる麗しさはどう見ても二十歳そこそこだ。

 ボナリー家の令嬢だった頃は、領内で彼女に恋をしない者はいないとまで謳われたらしいが……。


——あながちそれも、誇張ではないかもしれないな。


「ごめんなさい、お母さま……だいぶ急がせてしまいましたの。道中、お加減は?」

「心配ないわ。むしろ、ティコに会えるのが楽しみで元気になったくらいよ? あなたったら、修道院から戻ったと思ったら、わたくしの仮寓かぐうにも寄らずにそのままプラスローへ出立してしまうんですもの」

「ごめんなさい……いろいろと急いでいたんですの……」

「ふふ……大丈夫よ。別に責めてはいないわ。それよりも、あなたによいお友達ができたようで喜んでいるの」


 そう言って俺たちへ目礼するエリザベートに、サトリが軽く膝を曲げてカーテシー。それを見て俺も、右足を引いて見よう見真似のbow and scrapeボウ アンド スクレイプを返す。


 ……が、澪緒みおとユユは、二人揃ってペコペコと、散歩中に近所のおばさんにでも会ったかのような愛想笑いの挨拶。


——こいつらにも、最低限の礼儀作法を覚えさせなきゃダメだな。


「そうなんですのお母さま! こちらの方たちはアングヒル大聖堂で出会って——」

「お話は、あとでゆっくり致しましょうティコ。それよりも今は、急ぎでこれが必要だったのではなくて?」


 エリザベートの目配せに合わせ、従者が鞄から二枚の書類を取り出す。羊皮紙が使われているところを見ると、何らかの公文書のようだ。


「そうですの!」


 ティコが、受け取った羊皮紙を確認すると、すぐに裏返してマクシムから見えるよう胸の前にかざした。


「そ、それは……?」

「一枚はアングヒル修道院の卒院証ですの。そしてもう一枚は、エスコフィエ家からのサノワ地方の正式な委領証明書ですの」

「なっ、なんで、そ、そんな、もの……」


 口をパクパクさせてどもるマクシムに、ティコが言い放つ。


「サノワ領主、ティコレット・エスコフィエ……いえ、ティコレット・ボナリーとして申し渡しますの! マクシム・ロンズデールを同領の差配人から罷免、及び、同領におけるすべての公務から解任いたしますの!」




※補足

【bow and scrape(ボウ・アンド・スクレープ)】

右脚を後方へ引きながら頭を下げる、ヨーロッパの貴族社会における伝統的な男性のお辞儀。

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