04.対決の覚悟

 夜八時、マクシムに呼び付けられたベルが冠館クロンヌ寵愛部屋ちかしつを訪ねると、


「ど、どうされたのですかな……み、みなさま、お揃い・・・・で……」


 迎え入れたマクシムが驚きと共に口を開いた。

 それもそのはずだ。

 ベルの前にはティコ……のみならず、澪緒みおと俺とユユ、そしてエグジュペリから戻ったサトリまで揃っていたのだから。


「おい、シモン! ここへはベル以外通すなと申し付けておいたであろうが!」

「は、はあ……し、しかし……」


 マクシムに怒鳴りつけられた案内役の男が、肩をすくめてチラリとティコの背中を見やる。

 ここへ全員を通すように申し付けたのはティコなのだ。

 領内の執政権についてはまだ権限が無くても、エスコフィエ伯爵令嬢である彼女の命令に、平民であるクロンヌの、さらにその使用人がそうそう逆らえるものではない。


「よい、さがれ!」


 マクシムもそれを悟ったからこそ、苦虫を噛み潰したような顔で使用人の男を追い払う。


 室内は二十畳近くはあろうかという広さで、明かりは高級品であるロウソクで取られていた。

 天蓋付きの大きなベッドや、趣味の悪い色彩の調度品など、執務室と呼ぶにはやや品性に欠ける気はするが、有力者の私室として見ればこんなものかもしれない。


「やけに豪奢な地下室ですのね、マクシムさん? わたくし、クロンヌの地下にこんなお部屋があるとは聞いておりませんでしたの」

「え、ええ……為政者の密議用にしつらえられた部屋のようですな。次の領主様が決まり次第、すべて御案内するつもりでおりました」

「それで、この密議用のお部屋を使って、ベルさんとどんなお話をしようとしておりましたの?」

「そ、それは……領地経営に関わる重大案件につき、たとえティコレット様であってもおいそれと話すわけには……」

「あら? 村人にはわたくしの正体は伏せておくようお願いしておりましたのに、ベルさんの前でわたくしの本名を呼ぶとは、どういう了見ですの?」

「あ……」

「まあ、そろそろ表明するつもりでしたし、それはよろしいでしょう。それよりも、次期領主であり、あなたの主人でもあるわたくしには話せないのに、一介の村娘であるベルさんには話せる用件というのがどんな内容なのか、とても興味がありますの」

「うぅむ……」


 一瞬、言葉に詰まって俯くマクシムだったが、しかしすぐにおもてを上げて「一つ、はっきりさせておきますぞ」と、胴間声どうまごえを響かせる。


――空気が、変わった?


「ティコレット様の側仕えだったのも、それはシリル様の命によるもの。私の雇い主はあくまでもエスコフィエ本家です。いつまでも主人面されるのは、本家に対してもいささか不敬ではないかと」

「なるほど……。結局は、そういうことですの……」


 どうやら、ティコに厳しく当たられてマクシムも対立軸を明らかにしてきたようだ。彼 の舌鋒ぜっぽうに威圧的な湿り気が絡みつく。

 もっとも俺は、やつの纏う空気にこそはっきりとした変化を感じとったのだが。


――まあいい。それならそれで、かえってやりやすくなる。


 これまで、母娘の側仕そばづかえとして長年勤めてくれた者への謙抑けんよくの念のようなものが、ティコのオーラからも消えた。対決の覚悟を決めたようだ。

 ティコが予定通り一枚の紙を取り出すと、


「それでは、今から陳情書を読み上げますの」

「陳情書? ですと?」

「連判人はプラスロー村のグループ長全員ですの。取り纏め役の貴族は、エスコフィエ伯爵家の長女であり、サノワ地方の次期領主であるわたくしが務めましたの」


 グループ長というのは、村人の職業に応じて分けられているグループのリーダーだ。例えば、手工業グループならガラス工房長のエミリアン、聖職者関係なら教会のシスターデニス、と言った具合に。


 陳情書は、マクシムの使者が孤児院を訪れたあと、急いで村中を回って作成したものだ。と言っても、こんなこともあろうかと内容はすでに作ってあったので、あとは各グループ長のもとを回り判を押してもらうだけだった。

 作成に伴いどうしてもティコの身分を明かす必要があったので、彼女の前でバカレット呼ばわりしたエミリアンなどは平身低頭と言ったていで恐縮していたが……。


 ティコが陳情書を読み上げる。


「一つ、村人への各種租税公課を半額に減免、孤児院など教会の付属施設については全額免除とする。一つ、村を通る隊商の通行料は原則全額免除とする。ただし――」


 ティコの言葉を、最初は呆気にとられて、徐々に不快感を露わにしながら謹聴きんちょうするマクシム。

 すべて聞き終わると、呆れたように肩をすくめ、


「お話になりませんな……。それをすべて実行すれば、村からの税収などほぼ無くなりますぞ?」

「わたくしたちは、平民たちのいしずえの上で生活しておりますの。彼らの生活を守ることこそ、領地経営の基礎の基礎ですの」

「随分と達者な口を利かれる。その者たちの入れ知恵ですかな?」


 一瞬、目線をギロリと俺の方へ向けて、マクシムが続ける。


「私も平民なれば、そのお考えはご立派かと思います。ですが、ティコレット様が領主になられれば新たに領租も発生致します。それをどうやって納めるおつもりで?」

「村の産業を盛り立てていけば、十分に税収は確保できる算段ですの」

「算段? 皮算用の間違いでは? この辺境の荒地で産業を盛り上げるなど、現実離れにも程がありますぞ」

「板ガラスの製法登録を横取りしておいて、よくもそのようなことを……。わたくし、ベルさんからすべて聞いておりますの」

「ベル?」


 マクシムに睨みつけられて、ベルは肩をビクンと跳ね上げる。

 今は安全圏にいると理解はしていても、強迫観念による心理的萎縮を払拭することは難しいのだろう。


「ああ、なるほど!」と、いかにもたった今気づいたように手で槌を打つマクシム。


「ベルが話してくれたアイデアを基に実家のロンズデール家に板ガラスの新製法を考えさせたんですが……もしかしてあれは、ミオ様たちのアイデアでしたか!?」

「なにを白々しい……。あなたが、ベルさんに命じてスパイをさせていたのではありませんの?」

「私が? 何のために? おおかた、ベルが小金欲しさに私に情報を売ったのでしょう」

「じ、自分は、そんなことしてないっす!」


 ベルが抗議するが、まったく意に介さずマクシムが続ける。


「今さらそれが分かったところで登録の撤回はできませんぞ? ミオ様たちが被害届けを出されるのであれば、ベルを罰するのもやぶさかではありませんが」


 なんてやつだ……。

 証拠さえなければ、すべて知らぬ存ぜぬで通す気なんだ。

 それどころか、ベルを切り捨てて彼女一人に罪を負わせようと?

 想像以上に面の皮が厚い!


「わかりました」と、ティコも諦めたように陳情書をしまうと、続けて、

「この陳情内容を前向きに検討していただけないというのであれば、仕方がありませんの。マクシムさん……あなたを、サノワ領の差配人から解任いたしますの!」

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