03.未来の領主

 約三十分後――。

 俺たちは予定よりも早く黄泉の谷を後にして、帰路についていた。

 吊り橋が落ちているため帰りは迂回する必要があるうえ、リャマも回収しなければならないのでさらに時間がかかるからだ。


 それにしても、高地でもう少しバテるかと思っていたが意外と息が切れないな。

 まだ十日程度だけど、早朝ランニングのおかげでだいぶ体力が付いてきたのか? 


「ところで、温泉施設を建てるのって、どんくらい金がかかるんだ?」


 道すがら、親指と人差し指で丸い形を作りながらユユがティコに尋ねる。


「どうなのでしょう? 馬三十頭くらい?」と、こちらへ顔を向けるティコ。

「さあ……お金のことは、俺にもよく……」


 ゲームでも、温泉どころか建物を作るなんてシステム自体がなかったからな。

 助けを求めて隣を見ると、淡黄髪モカシンのミディアムボブがこちらを振り仰ぐ。

 メンバーがことごとく世間知らずなので、常識面はこの機械人形オートマタが頼みの綱だ。


「……多種多様ですが、木造の簡易施設でも一、二千万ベアル、平均的な公衆浴場設備なら、五千万から一億ベアルくらいでしょうか」

「「一億!?」」


 俺とティコが声を揃えてサトリに聞き返す。さらに、


「……って、馬何頭分ですの?」

「若い農耕馬なら、約二千頭分でしょうか?」

「ふ~ん……そうですの……」


 どうやら、ティコの理解のキャパシティを超えてしまったらしい。


 エレイネス銀貨は残り四枚あるが、ユユがさんざん釣り上げても一枚一千万だったからな……。こりゃ、ちょっと建ててみるか、ってわけにはいかなそうだぞ?


「ちなみになんだけど、エレイネス貨は、どれくらいの相場なんだ?」


 俺の質問に、サトリが少し考えるように視線を宙に彷徨さまよわせ、


「流通量が少なすぎて相場というものはございません。……が、銀貨と同程度の量だとすると……おそらくこれ・・は下らないでしょう」


 と言いながら、右手をパーの形にして見せる。


「五千万か……。ギリギリそれなりの物は建てられる程度か……」


 俺が独り言ちると、すぐにサトリが首を横に振る。


「……え!? もしかして……五億!?」


 問い返すと、先頭を歩くベルの背中をチラリと確認して、「少なくとも」と小さく頷くサトリ。金額を言葉にしなかったのは、どうやら用心のためだったらしい。

 とりあえず、お金の方はなんとかなりそうだ。


「足りない分は俺が出すから、豪華なやつ建てようぜ、ティコ」

「え? そ、それは、あまりにも申し訳ないですの……」

「勘違いするな。ただで出すわけじゃない、投資だよ。温泉を作ってバンバン客を呼び込んで、売上金の一部を俺にバックしてくれればいい」

「まあ! 温泉とやらを商売に利用しようと言うのですの!?」

「そ、そりゃそうだろ……」

「すばらしい発想の転換ですの!」

「そうか? かなりストレートな発想だと思うけど」


 またティコに抱きつかれそうになったので、慌てて押し返しながら、


「商売に利用した方が村人の働き口にもなるし、税収だってアップするだろ?」

「なるほどですの ! 何から何まで――」


 と、そこまで言って「そう言えば……」と小首を傾げるティコ。


「村人で思い出したましたの。聞き取り調査は、どんな具合ですの?」


 そう、昨日までの三日間、俺と澪緒とユユで毎日待ち合わせ、村を散策がてら村人の暮らしぶりもそれとなく調べて回っていたのだ。

 アングヒルの聖女候補が村にきているという触れはマクシムからも出されたとは言え、皆、予想以上にフレンドリーに接してくれたのは驚きだった。


「澪緒やユユから、話は聞いてない?」

「皆、村の生活には満足している様子だということは、お聞きしましたの」

「その報告の通りだよ。租税に苦しんでいるという話は聞かなかったし、仕事や収入に関しても、不満らしい不満は聞いていない」

「そう……ですの……」

「どうした? 領民の満足度が高いってことは、喜ばしいことじゃないの?」

「……おかしいですの」


 ティコは顎に手を当てて少し考えを巡らせてから、再び俺を見据えて話を続けた。


「人間は、どんな環境にあっても不平不満は必ず生まれるものですの。それがまったくないというのは、逆に不自然ですの」

「ほう……」

「ましてや村の人たちは、裏でわたくしのことをバ、バ、バカレットなどと唇をかえされているのですわよね?」

「い、いや、それは実際に聞いたわけじゃないけど……」


 村人たちの態度が不自然なのは事実だ。

 楽な生活を送れているようには見えないのに不平の一つも出てこないし、マクシムの為政を称える時の人々の周りには、決まって胡乱うろんなオーラが付き纏う。

 裏でマクシムが、余計なことは話さないようにと緘口かんこう令を敷いていることは想像に難くない。


 しかし、彼の領地経営に、この世界の慣例と照らし合わせて落ち度があるかと問われれば、それにはっきりイエスと答えられる材料を持ち合わせているわけでもない。


 ティコには一部の讒言ざんげんで政治的な判断を下すような領主にはなってほしくない……そう思っている俺が、憶測や表層的解釈で導き出した個人的な見解を伝えるのはいかがなものか?

 しかも、先生なんて言われている立場を利用して?

 ティコの自発的な考察を待たずにそれをすることは、長い目で見れば彼女にとっても悪影響になるのではないか?


 そんな風に思っていたのだが、しかし――。


――この、未来の領主を一番見くびっていたのは、俺かもしれないな。


 とりあえず、俺の、これまでに調べたマクシムの為人ひととなりやその領地運営の方針について、思うことをすべて話してみることにした。


「……というのが俺の見立てだ」

「やはり、そうですの……マクシムのやり方のままでは……」

「マクシムというよりも、従来の領地経営では……と言うことだけどな。このままじゃ、プラスローが先細りなのは目に見えている」


 それを聞いたティコも、しばし黙考。

 やがて――。


「リンタローさんは、どのようにするのが一番良いと思いますの?」

「それは俺が決めることじゃないけど、もし村のためを思うなら、発展性・永続性のある産業を育てるところからだろうな。その陣頭指揮を執れるのは――」


 やはりティコだけだ。だがしかし、それは同時に、ティコが病の母親と共にこの村に移り住むことを意味する。

 せめて、療養のための温泉施設でもできていれば、もう少し強く勧められるんだが……。


「ねえ! お兄ちゃん、あれ!」


 前方を指差す澪緒に声に、思考が中断された。

 迂回ルートで崖を越えたあと、リャマを繋いだ場所を目指していたのだが……。

 澪緒の指差した先へ目を凝らすと、まだ二百メートルほど離れているが、リャマの近くで人影が動いているように見える。


「リャマ泥棒か?」

「いえ、あれはおそらく、ガラス工房の職人の方たちですの」

「……おまえら、目がいいのな」


 ほどなくして、向こうもこちらに気が付くと、手を振りながら駆け寄ってきた。


「聖女候補様ぁ――! 大変ですっ!」

「その微妙な呼び方、止めてくんないかなぁ? 普通にミオでいいんだけど……で、どうしたの?」


 近づいた二人に澪緒が問い返すと、一人が息を整えながら、


「ハァハァ……ガラスが……板ガラスが……」

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