Final.デッドロック

 ベルとはガラス工房の前で別れ、俺たちはマクシムの待つ冠館クロンヌへと向かった。着いたのは午後七時近くだった。

 小高い山に囲まれた丘陵地で日没が早いこともあり、かなり暗くなっていた。


「なんか、普通のお屋敷だね?」


 玄関に続く石畳のアプローチを歩きながら、澪緒みおが屋敷を見上げてつぶやく。

 お屋敷の普通がよく分からないが、建物の大きさはちょっとした旅館程度。立派ではあるが、規格外の規模だったカスタニエの屋敷とは比べれば月鼈げつべつだ。


 到着が遅くなってしまったのですぐに浴場へと案内され、男女に分かれて入浴を済ませてからの晩餐となった。


 出されたメニューは、何かの豆と鶏肉の煮込みスープにライ麦パン、そして、レーズンとタマネギを散らしたチーズタルト。

 二つある大皿には、羊や鹿肉のロースト、ハムやソーセージなどの加工肉がふんだんに盛りつけられていて、それだけでもお腹がいっぱいになりそうだ。


 カスタニエで出されていた料理と比べれば質素なメニューだが、どれもかなり美味しかったし、食材はかなり高級な物が使われていることがうかがえた。

 俺の隣に座っていたユユが、


「ふぃ~! もうお腹いっぱい!」


 ナイフとフォークを置きながら、小声で俺に話しかけてきた。 


(この村って、貧乏なんだよな? こんな高そうなもん食ってていいのかな)

(食い物の良し悪しなんて分かるのか?)

(そりゃ食えば分かんだろ! 領主自ら、率先して節約した方がいいんじゃねぇかと思うんだけど……)

(そんな緩んだ顔で言われても説得力がないけどな)

(だって美味いんだもん、しょーがねぇだろ! それはそれ、これはこれだよ。ベルはあの歳で身体まで売ってんだぞ!?)


 確かにユユの言う通りだ。

 これだけ小さな村だし、エスコフィエ家からある程度の経費が出ているとは言え、為政者の贅沢費が村の財政に与える影響は無視できないはずだ。

 広い浴槽に満たされた潤沢なお湯、数多くの使用人、そして、ユユが指摘した食事の件にしても、閑散とした村の様子とこの屋敷内では明らかに温度差がある。


 これが封建世界の常識と言えばそれまでだが……でも、貧しい領民を抱えている為政者の暮らしぶりとしては、やはり度を越しているよな……。


「ところで、村の様子はどうでしたか?」


 食事が終わり、デザートと食後酒の時間になってマクシムが上座のティコ尋ねる。

 と言っても、高級そうなワインを喫しているのはマクシムとティコだけで、他の四人には紅茶を出してもらっていた。

 この世界では俺たちの歳でもアルコールをたしなむのは常識らしいのだが、まだ飲めるか試してもいないし、こんな場所でベロベロになっても困る。


「そうですね……相変わらず寂しい村ですの」

「ティコレット様が委領されることが決まって以来、私も何とか税収を上げようと思案してまいりましたが、なかなか有効な手立てもなく……」

「そのことなのですが、孤児院の地代を免じることはできませんの?」

「孤児院の? もしや、ベルに何かお聞きになったのですか?」

「ええ……。地代が上がったせいで、それを稼ぐためにベルがコシュマールでとても苦労をしているようでしたの」

「そうですか、それは可哀相なことを……。しかし、租税地代の負担額はエスコフィエ本家の定めに基づいて決めているので、私にも勝手に減免する権限はないのです」

「では、わたくしの権限で――」

「いえ、それは無理でしょう」


 と、マクシムがティコの言葉を遮る。

 ティコは今のところあくまでも次期領主に内定しているだけで、修道院を出るまではサノワ地方の運営に関わる一切の口出しができない決まりになっているらしい。


「私も杓子定規なことを言うつもりはございませんが、経領施政に関する贅言ぜいげんは、もう少しお勉強をされてからの方がよろしいでしょう」


 うやうやしくはあるが、どこか上から目線で言い放つマクシム。

 要は、領地の差配に口出しするのはまだ早い、ということだ。


 ティコが即座に修道院を卒院して領主に正式就任することは可能だ。だが、そうなればエスコフィエ本家から独立して別姓を名乗り、新興貴族という扱いになる。

 つまり、母娘共々この村に移住して、税収の中から領租を納めつつ、残ったお金だけで暮らしていかなければならなくなるのだ。

 当然、本家からの送金もなくなるし、あの村の様子では苦しい生活を余儀なくされることは想像に難くない。


 一方、サノワの委領を断れば二度と委領地の話はなくなるだろう。

 本家の庇護下ではいられるだろうが、一生シリルたちの威迫いはくの下で過ごしていくことになる。

 いずれにせよ、患ったティコの母親にとっては寿命を縮めかねない選択だ。


――やはり、今のままでは手詰まりデッドロックと言うわけか。


「でもさあ、マクシムさん?」


 デザートにのったキイチゴを口に放り込みながら、澪緒が口を開く。

 サンボケードというチーズケーキのようなお菓子で、ローズウォーターでも入っているのか、口に入れると薔薇の香りがする。もちろんこれも、かなりの美味だ。


「それだと、ちょっとおかしくない?」

「おかしい……とは、何がでしょう?」

「だってベルちゃんは、地代とか税金とか、そういうのは領主様が決めてるって言ってたよ? 領主様って、ティコちゃんでしょ?」


――お? 脳筋にしてはいい質問だな。


「はて……それはおかしいですね……」


 白々しく首を捻るマクシムだったが、そのオーラにはかすかに焦りの色が滲んでいる。

 目を閉じて寸刻の思案。……が、すぐに澪緒の方へ向き直り、


「村人には本家の裁量に従っているとは説明しておりますが、ティコレット様の名を出した記憶はございません。おそらく村へいらしたことがあるお嬢様と、私が言った本家を混同してしまっているのではないでしょうか?」


 子供ですし、仕方ありませんな……と言って笑うマクシム。


「でもベルちゃんは、村の人はみんなティコちゃんのことをバカレ……あいたっ!」


 と、澪緒が両手でおでこを押さえる。

 マクシムの目を盗んで俺がサンボケードに載っていたキイチゴを投げたら、対面の澪緒の額に当たってしまったのだ。


――やはり、絶対防御は効いていないのか……。


「いたたた……なんでキイチゴぶつけたし!」

「申しわけありませんマクシム様。妹が不躾ぶしつけな物言いを……」

「お兄ちゃんのがブシツケだよ!」


 いえいえ、と笑いながら、ワイングラスを持ち上げるマクシム。


「それだけこの村のことを真剣に考えていただけている証でしょう。せっかくの若い方のご意見を、形式主義的に抑え込むことは私も好みませんので」


 そう言ってマクシムは不穏なオーラを引っ込めた。さすが、大貴族の家で立身出世しただけのことはある。感情を表に出さないことにはかなり長けているようだ。


 この場でいろいろと腑に落ちない点を根掘り葉掘り問い質すのは簡単だ。しかし、それで不興を買って村での行動を制限されても困る。

 あくまでもマクシムは差配人で、次期領主はティコなのだ。

 しかも、エスコフィエ家にいる頃はティコの側仕えだったわけだし滅多なことは起きないと思うが、煙たがられて裏でいろいろ手を回されても厄介だ。


 責めるのはもう少しマクシムの為人ひととなりや、村の状況を見極めてからでも遅くはないだろう。

 それまで、しばらくはマクシムの顔を立てながら行動することにしよう。




****第三章・完****

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る