第四章 妄念の差配人 編

第一話 金髪の想弓手

01.ホリー酒場 ※

「おはようございますハバキ様」

「んっ……おはよ……」

「今日も良いお天気です」


 サトリの声と共に、カーテンと窓の開く音。部屋の空気が入れ替わり、清々しい朝の気配に誘われてゆっくりと上半身を起こすと、


「ん――っ!」


 ベッドの上で思いっきり伸びをする。

 振り返ると、両手をおヘソの下あたりで重ね、かしこまって控えているロリータドレスの機械人形オートマタと目が合った。

 すっかり俺の側仕えにでもなったようなたたずまいのサトリ――この四日間続いている朝の風景だ。


 いつもはこの後、早朝ランニングに連れ出されていたのだが、今日は予定があるので日課はパスだ。


「やっぱり、サトリの部屋も別に取った方がよくないか?」

「私はご一緒で構いませんが」

「俺が構うんだけど……」


 機械のサトリに睡眠が必要ないからと言って、一晩中枕元で寝顔を眺められているのも、ぶっちゃけ気が休まらない。


「もしかしてハバキ様は……」

「……ん?」

「手淫を我慢されているのですか?」

「しゅいん?」

「マスターベーションのことです。それでしたら、遠慮は無用――」

「してねぇよっ!」

「もしご所望であれば、ハバキ様が想像されているような性的サービスも――」

「だからしてねぇっつって……」


――え? 性的サービス?


 もう少し人間の感情に近いものがあるかと思っていたけど、ユトリに命じられれば誰とでもそう言うことをやっちまうのか?

 いや、そもそも好きとか嫌いとか、そういった感情はあるんだろうか?


 俺の共感質エンパスは、嫌悪や恐怖といった負の感情は敏感にキャッチするが、好意や恋心と言った思慕の念には感度が鈍い。

 おかげでサトリにも嫌われていないことだけは分かるが、好かれているかどうかまではよく分からないのだ。


――感度が逆だったら、もっと楽しい人生になってた気がするんだがなぁ。


 サトリが続ける。


「いずれにせよ部屋を分けるのは警護に支障が出ますので同意できません。厳重な冠館クロンヌであればともかく、市井しせいの宿となればなおさらです」

「分かった分かった……。あ! べ、別に、おまえに劣情をいだくことが心配とか、そういうことじゃないからな?」

「……は?」

「サトリを襲ったりはしないから、心配すんなってこと!」

「別に心配はしておりません。それに、ハバキ様に襲われたとしても撃退は児戯じぎに等しいかと思われますが」

「……せやな」


 いろいろ行き届いたオートマタには違いないが、何か決定的な部分に不具合がある気がするなぁ……。


「とりあえずハバキ様、手淫の話は後にして――」

「おまえが始めたんだろ!」

〇七〇〇まるななまるまるにはミオ様たちもいらっしゃる予定ですから、早く支度を済まされた方が宜しいかと思います」

「分かってる」


 ここはマクシムのいるクロンヌではなく、プラスロー村に一軒だけある酒場の二階だ。


 この世界の人々には旅をするという習慣はなく、街々を往来するのは行商人や公人がほとんど。

 だからこそ卿団のティスバルも、最初に出会った時、なんの旅支度もせずに大街道をプラプラ歩いていた俺たちをあれほどいぶかしんだのだろう。


 旅人が少なければ旅館業も成り立たないのが道理で、交易都市でもない限りはこうした酒場の二階などが宿泊施設を兼ねている程度らしい。

 そういやメメント・モリ内でも、ステータス回復は、放置による自動回復かアイテム回復のみで、昔のRPGみたいに宿屋なんて見かけなかったもんなぁ。


 そして、なぜ俺とサトリがこんな場所に泊まっているのか……。

 その理由は、三日前までさかのぼる。




「……え? 二部屋?」


 晩餐後の酒会も終わり、部屋へ案内される途中で使用人から聞かされた部屋数に、俺は思わずオウム返しで尋ねた。


「はい。別館はすべて警備隊と使用人に開放しているため、今は本館のお部屋しかご用意ができず……申しわけございません」


 最近、隣国との国境付近を根城にしている私掠団に不穏な動きが見られることに加え、ティコが長期滞在するということで警備や使用人を増員したらしい。

 屋敷とは言っても辺境の地のクロンヌだ。それほど大きくはないし、カスタニエのお屋敷みたいに一人一部屋はさすがに無理だと思っていたが……。


「一部屋はティコレット様専用のベッドルームとなりますので、ご友人の方々はもう一室をご利用していただくことになります」

「一部屋に、四人で宿泊するということですか!?」

「はい。ご友人がご一緒だという連絡は受けておりましたが、四人もいらっしゃるとは聞いておりませんでしたので……」


 それでも、使用人には六人一部屋に変わってもらった上でのこの状態らしい。

 使用人が多すぎるんじゃね? ……と言うそもそも論はあるものの、もう一部屋用意してくれとは申し訳なくて口には出せない。


「わたくしの部屋にも、あと一人二人、ご一緒に泊まっていただいても結構ですの」


 と、ティコが申し出たが、警護上の理由であっさり却下。

 だが理由はそれだけではなさそうだ。

 口には出さないが、仮にも貴族令嬢であるティコを、カスタニエ家の客分とは言え側仕えでもない平民と同室にすることは社会通念上あり得ないらしい。


 結局――。


「この村に、他に宿はありますか?」


 昔は宿場町として栄えていたと聞いていたし、てっきり一軒くらいはあると思って案内係に尋ねてみると、


「宿と呼べるものはありませんが、ホリー酒場の二階で部屋を貸しているようです」

「では、僕はそこでお世話になることにしましょう」

「えぇ――っ! ミオはお兄ちゃん……様と一緒でもいいのに! ねえユユさん?」

「う、う~ん……同じ部屋というのは、さすがに……」と、澪緒に水を向けられたユユの方は歯切れが悪い。


 貴族と平民の同室が社会通念上あり得ないことと同じくらい、現代日本においては、年頃の男女が同室になることは破廉恥はれんち極まりない行為なのである。


「もともと、落ち着いたら僕だけ別の場所で宿でも取ろうと思っていたので、それを予定より少し早めるだけです」


 俺がそう言うと、


「では、私もお供します」と、名乗り出たのはサトリだった。


 サトリとしては、タスカニエ家の客分を市井で一人にはさせられない、と言う警護面からの申し出だったのだろう。

 しかし、まだこの世界の習俗習慣に慣れていない俺にとっては、むしろ生活サポートの面でサトリの随伴はありがたかった。


 最初は難色を示した澪緒も、オートマタであれば間違い・・・が起こる可能性もない……ということで渋々オッケーしたようだが……。




 現在……思わず間違いが起こりそうになってる!


「――? どうしたのですかハバキ様? 私の顔に、何か付いていますか?」

「ああ、いや、何でもない」


 いくらオートマタとは言えその造詣は、あのかしましいユトリをモデルにしたとはとても思えない、格外の麗質を備えた美少女なのだ。

 そんな子の口から〝性的サービス〟なんて単語が出てくれば、嫌でも意識してしまうのは致し方ないだろう。


 一般的に春はテストステロンの分泌が減るとは言え、男子高校生など性欲リビドーが服を着て歩いているような生き物だ。ホルモンバランスなど関係ない。


「ちっ、ちなみになんだけど、性的サービスってのは、たっ、例えばどんなの?」

「……それは、セクハラですか?」

「手淫連呼してたやつに言われたくねえよ!」




※補足

【テストステロン】

男性ホルモン。フェロモンを発生させ、ドーパミンという興奮作用のある神経伝達物質を増やす。性衝動にも作用。最も分泌が減るのは3月で、ピークの10月との差は25%に達する。

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