03.失礼な女だな

「……ガラス工房だ」

「あ――っ、あれ、ミオも見たことある! あのストローみたいなやつでプゥッてやるの!」

「バカ! 指を差すな!」

「おぉ~い。将来の聖女様に向かって、バカはまずいんじゃないのバカは?」

「俺たちしかいない時はいいんだよ、バカで」


 頬を膨らませる澪緒の横で、今度はユユが、


「でも、さっきの話とガラス工房に、なんの関係があるんだ?」

「この国で、これまで見てきた窓は全部ロンデル窓だっただろ?」

「ろんでる窓? ……ああ、あの、ビン底みたいな見えづらい窓か」

「うん。あれはクラウン法って言って、吹き竿で膨らませたガラス球を遠心力で平らにして、鉛の枠で繋ぎ合わせて作ってるんだよ」

「そうなんだ。クラウンなんて、なんか高級っぽいじゃん」

「違う違う。あれは、竿から外した時にガラスに残る跡が王冠に似てるからクラウン法って呼ばれてるだけ」


 もっとも、この世界でもクラウン法と呼ばれているかどうかは分からないが。

 澪緒が首を傾げながら、


「なんで、王冠に似てるとクラウンなの?」

「おまえはそこからかよ!」


 ロンデル窓が使われていたのがワインセラーや馬車窓だけなら、板ガラスがかなり高級品で普及していない……と言う理由も考えられた。

 しかし、カスタニエ家ほどの名家の屋敷ですらまったく見当たらないとなると、そもそもこの世界では作られていないと考える方が自然だろう。


 サトリに確認してみると、やはり俺の予想を裏付ける答えが返ってきた。

 昔は耐火粘土の鋳型いがたを使った板ガラスも作られてはいたらしい。

 しかし、分厚くて透明度が低い上に大量生産もできないことから、今はほとんどロンデル窓に取って代わられていると言うことだった。


「まさか燐太郎、板ガラスの作り方を知ってる、ってんじゃねぇだろうな?」

「え? 知ってるけど……」

「なにもんだよ、おまえ!?」

「逆にユユは知らないのか? 一般教養だろそんなの」

「んなわけねぇだろ!」

「とにかく、それを教えてここで作れるようになれば、この国では初めての商品になるわけだし、そこそこ稼げるんじゃないか? なあサトリ?」

「……そうですね。薄くて透明度の高い板ガラスが量産できるのであれば、商人ギルドに製法新案として登録してかなりの収益を生みだせるでしょう」

「でもさぁ……」


 表情を曇らせたままユユが続ける。


「ティコもお忍びだし、突然余所者よそものが押しかけて話なんて聞いてもらえるか? 一旦マクシムんとこに行って話を通してもらった方がいいんじゃねぇの?」

「これからいきなり押しかけようなんて思ってねぇよ。ただ、どっちにしろマクシムを通すつもりはない」


 どうもあいつは信用できない。

 知的所有権は先願主義が原則だ。ここは俺たちだけで話を進める方が安全だと、長年エンパスと付き合い続けてきた俺の勘が言っている。


「まあ、心配しなくてもこれだけの儲け話だ。板ガラスの作り方をビシッっと指南してやりゃ、向こうも話に乗ってくるって」

「さすが、妹にビシッと土下座した男の言葉には説得力があるな」

「うるせぇ!」


 その時。


「みんなぁ~! そんなところで何してるんすかぁ~?」


 手を振りながら馬車道を駆けてくる赤毛の少女――。


「ベル!?」

「今日はいろいろ世話になったっす! おかげで、無事に地代を納められたっす!」


 俺たちのそばまでやってくると、呼吸を整えながら嬉しそうに話すベル。どうやら、冠館クロンヌで支払いを済ませてきた帰りらしい。


「そっか。じゃあ、もう安心なんだな?」

「うん……と言っても三ヶ月だけっすけど……」

「え? たった?」

「うん。でも、三ヶ月あれば事件のほとぼりも冷めるだろうし、来月は自分の誕生日っす。十六になれば、ギルドを通じて娼館でも堂々と稼げるようになるっす!」


 明るくそう答えるベルの笑顔に反して、澪緒とユユはサッと表情を曇らせる。もちろん俺も同じだろう。

 この、痩せた少女の笑顔が心の底から出たものでないことくらい、エンパスじゃなくたって分かる。


 この世界ではありふれた話だとしても、方便たつきを保つために体を売ることが辛くないはずがない。いや、ベルの場合は自分のためですらないのだ。

 澪緒と同じくらいの女の子が娼館で働かなければ生活が成り立たないような社会なら、それは社会の方が間違っている。


『弱者に施しを与えるほど、あなたはその方に責任を持つことになりますの』


 ティコに言われた言葉が蘇ってきた。ベル一人をどうにかしたからって社会が変わるわけじゃない。それは分かっている。

 でも、偽善だ自己満足だと言われようとも、目の前の不条理を改められる力があるのに見過ごすことなんて俺にはできない。


――もう絶対に、ベルを娼館なんかに戻しちゃだめだ。


「リン兄ちゃん……どうしたんすか? ボケェ~ッとして……」

「わ、悪かったな、考え事してる顔に見えなくて!」

「ああ、それは考え事の顔っすか。エミーおじさんに、何か用でもあるんすか?」

「実は――」


 今まで話していた板ガラスのことと、ついでに、澪緒はアングヒルの聖女候補で、俺とユユはその従者であるという立ち位置も説明する。


「なぁんだ、そんなことっすか。それなら自分がエミーおじさんに取り次いであげるっすよ」

「ベルが? 知り合いなのか?」

「村の人はみんな知り合いっす。……時間、平気っすか?」


 サトリを見ると、すかさず「一七二〇ひとななふたまるです」と返事が返ってきた。その隣でティコも、問題ないという風にうなずく。


 しばらくは村の様子を観察してアイデアを練るだけのつもりだったが、思い立ったが吉日とも言うしな……。


――やってみるか。


「じゃあ、頼めるか?」

「もちろんっす!」


 俺の返事に大きくうなずくと、建物の方へ駆けて行くベル。

 真っ先に、何かの作業中だったガタイのいい中年男性に話しかけると、こちらへチラチラと視線をべながら二人で会話を始める。


――あれがエミーおじさんか。


 恐らく看板にあったエミリアン・ベネックス、ってのがフルネームだろう。

 やがて、ベルがこちらへ向かって手を振りながら、


「ミオ様ぁ~、話、聞いてくれるって~!」


 それを合図に、俺たち五人も敷地に足を踏み入れ二人の方へ向かう。

 数メートルの距離まで近づいたところで、頭に巻いていたタオルを取りながら、先にエミリアンが口を開いた。


「あんたが、ミオさんか。アングヒルの聖女候補なんだって?」


 グレージュの髪を短く刈りこんだ四十歳くらいの男が、風変わりな格好をした澪緒に対して、珍しい動物でも見つけたかのような好奇の視線を向ける。


「こんにちは。あなたがエミーおじさん?」

「ああ、この工房の責任者で、エミリアンってもんだ」

「あっはっはっ。女の子みたいな名前なのにぃ、ごっつ!」

「おいコラ!」


 エミリアンが眉を顰めたのを見て、俺は慌てて澪緒の背中を小突く。


いたっ! ……え~っと、ミオは……あっ、私の事ね? 聖女候補でミオ・ユリカモメって言うの。今、暇ですか?」

「そう見えたか?」

「見えた」

「失礼な女だな! まあ、そろそろ上がる予定だったし別に構わねぇよ。それより、新しい板ガラスの製法を考えたって、どういうことだ?」

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