第五話 寒村の工房

01.キャラバンサライ

 プラスロー村に入るとすぐに、馬車は入り口付近にあった広場に入って止まった。

 テニスコートなら二三面は入りそうな、高校の運動場アリーナよりも一回り大きいくらいの広さで、周囲はテラスハウスのように連なった石造の建造物に囲まれている。

 俯瞰視すれば、それらの建造物の中庭と言った方がしっくりくるかもしれない。


「〝キャラバンサライ〟っす」と、誰にともなくベルが呟く。


 キャラバンサライ——いわゆる〝隊商宿〟と呼ばれる停留施設のことだ。

 宿場町として栄えていたころはここに多くの隊商キャラバンが宿泊し、村民や隊商員相手に連日買物市バザールもよおされていたらしいが、今は人気ひとけもなく閑散としている。


さびれてるな……」

「村を通る隊商があっても、ほとんどはエグジュペリで宿泊しちゃうんすよ」


 エグジュペリ——俺たちが昼食休憩で立ち寄った街か。

 確かに、どうせ泊まるならこんなさびれた村よりあっちだよなぁ……。


 御者コーチマン客室キャビンのドアを開けると、最初にティコが降りる。

 外で出迎えてくれたのは、壮年の紳士だった。

 ロング丈の刺繍シャツに黒いハーフコートを重ねた、レイヤードスタイルの上半身とキュロットの裾をハイソックスインにしたボトムス。中世中期のヨーロッパ男性を連想させるような出で立ちだ。

 歳が四十三だと聞いていなければ、黒い短髪の所々に銀灰ぎんかい色も混じっていることから、少なくとも五十以上と予想していたに違いない。


——あいつが、マクシムか。


「お疲れさまでした、お嬢様。道中、お変わりは——」


 と、そこまで話して言葉を切るマクシム。

 客室キャビンから降り立ったベルを見止めたからだろう。


「君は……ベルか?」

「こんにちは、マクシム様……」

「確か、コシュマールの裁縫屋に出稼ぎに行っていたと思っていたが……なぜ、この方たちと一緒に?」

「えっと……実は——」


 最後に降りた澪緒みおとユユ、それに俺の方をちら見しながら、ベルがこれまでの経緯を説明する。

 街の不良たちにちょっと絡まれたところを助けられた……という感じの説明をしながら、俺の方をチラ見して少し決まり悪そうにしている。

 事前に娼館のことや盗みのことは知られたくないと頼まれていたので、俺たちも黙って聞いていた。


 終わると、マクシムは彼女の痛んだ赤毛に手を載せて、


「そうかそうか、とにかく、君が無事でよかった」

「リン兄ちゃんたちのおかげっす。それで……地代分もちゃんとここに貯めてきたっす! これで……孤児院は大丈夫なんすよね!?」


 ベルがポケットから決済石を取り出して見せると、マクシムはナイフで切り裂いたような細い目をさらに細めて笑顔を作る。


「もちろんだとも。裁縫屋の手仕事で、よくそれだけ貯められたね? えらいぞ」

「は、はい……えっと……それじゃあ自分、公租所で地代を納めてきま——」

「ああ、そう言えば今日は……」


 何かを思い出したように、ベルの言葉を遮るマクシム。


「今日は休日なので公租所は開けておらんな。冠館クロンヌで直接納付しなさい」

「え? で、でも……」

「どうせ公租所で受け取ったものはクロンヌに集められるのだ。私もすぐに戻るから、先に行って待っているといい」

「そ、そうっすか……じゃあ……」


 言うと、広場を出て未舗装の道を駆けていくベル。

 途中で一度だけ振り返って「みなさん、ありがとうっす!」と手を振り、あっと言う間に村の中へと消えていった。

 しかし、俺の意識はすでに、そんなベルではなく彼女を見送るマクシムの方に向けられていた。


 さっき、ベルの髪を撫でた時のマクシムの空気は、何度か見た記憶がある。

 子供のころ、俺の嘘に気づきながらも、俺の話に相槌を打ってくれていた母さんがあれと似たような色相を見せていた。

 もっとも、母さんのオーラには、もっと優しさを感じさせる温もりがあったが。


——あの感じ……。


 マクシムは、ベルが働いていたのが裁縫屋なんかじゃないことに気づいているんじゃないか?

 にも関わらず、そのことについて問いたださないのは、ベルがどんな場所で働いていたのかは察しているのかもしれない。

 でもそれなら、あんな笑顔を浮かべて頭を撫でていられるものだろうか?


 公租所が閉まっていると言った時の、妙なオーラの濁りも引っかかる。

 嘘……と言うわけではなさそうだが、休日なら明日納めれば良いだけだろうに、わざわざクロンヌとやらで納めさせる意味が分からない。


 何より気になるのは、ティコに向けられる視線だ。

 あれは……最も近い言葉を探すなら、愛情?

 ティコ母娘の側仕えをしていたのだから愛情があるのは当然かもしれないが、マクシムのは何と言うか……もっと執着心に近いゆがみも感じる。


 保身と欺瞞の世界を生きている狡知な政治家や権力者特有の暗さもあるし、やはりこのマクシムという男、注意しておくに越したことはなさそうだ。


「ベルとご一緒だったとは驚きました、ティコレット様」


 ベルの姿が見えなくなると、こちらへ顔を向け直してニッコリと微笑むマクシム。


経緯いきさつは彼女が話していた通りですの。お忍びでの訪問については変更はありませんので、引き続きそのようにお願い致しますの」

「連絡を受けていた通り、村人には伏せております」

「それにしても……」


 ティコが眉をひそめ、くんくんと小鼻を動かしながらサライの中を見渡す。


「この臭いは……なんですの? まるで、何かが腐れているような……」

「ああ、西風が吹くと近くの〝黄泉の谷〟から風が運んでくるのです。ティコレット様は、初めてでしたかな?」

「よみのたに? 初めて聞きましたの」

「村の口伝によれば、死者の集まる泉があり、これは死者の肉体の腐敗臭なのだとか……。日が沈めば風向きも変わりますので、少しの我慢です」

「そんな珍しい場所が!? それは不思議な場所ですの! 見てみたいですの!」

「ははは。相変わらず、怖がりのわりに好奇心だけは旺盛ですな」

「こ、怖がりだったのは子供のころの話ですの!」

「左様で。……しかし案内できる者がおりますかどうか。村の者は近寄ろうとしませんし、駐屯兵たちも……」


 死者が集まるなどというのは言い伝えだとしても、得体の知れない場所であることは確かのようだし、村人だけでなく、誰もあえて近づこうとは思わないのだろう。


 しかし——。


 俺は、客室キャビンから降りた瞬間からこの臭いの正体に当たりが付いていた。

 確かにこの臭い、人体にも有毒なアレ・・だろう。そこで命を落とした者も本当にいたのかもしれない。


——だがこれは……使えるかも?


「ティコレット様。落ち着きましたら私がお供いたしますので、黄泉の谷とやらを一緒に見に行ってみましょう」

「まあ、リンタローさん! 本当ですの? 今回の目的に、黄泉の谷も何か関係がありますの?」

「見てみないと分かりません。が、使える可能性はあります」


 マクシムが、口を挟んだ俺に視線を向け直し、


「お嬢様、そちらの方たちが、例の……?」と、疑問調に語尾を上げた。

「ええ、そうですの! アングヒルで今年の聖女に推薦されたミオさんと、その従者の方たちですの! わたくしと一緒に、村の様子を視察してくれますの」

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