04.領主の器

「あ! 目が覚めたようですの!」

「……こ、ここは?」


 少女は、ゆっくりと二三度まぶたを上げ下げしてから、ティコの方へ視線を向ける。

 さらに上半身を起こそうとして、「……っ!」と顔をしかめた。


「まだ動かないほうがいいですの」


 ティコが少女の両肩に手をかけ、ゆっくりとシートに寝かせ直す。

 その横でサトリが、


「緊急度の高い怪我を治療しただけで、まだ全身に打ち身が残っているので、かなり痛むと思います。だいぶ体力は回復されたようですが……」


 そこまで話してから俺の方を振り向き、「どうされますか?」と尋ねてきた。

 患部の治療について聞いているのだろう。


「もちろん治す」


 俺が治癒サニターテムの巻物を取り出したのを見て、サトリは仰向けになった少女の上着をめくる。

 指先丈のローブの下は、使用感のあるオフショルダーのリブニットにローライズのショートパンツ。お世辞にも上等な衣服とは言えないが、汚れているわけでもなく清潔感はある。


「では、痛みの強そうな部分を特定していきます」


 そう言いながらサトリが、少女の身体のあちらこちらを順に指差して、次々と患部を指定してゆく。

 打ち身とは言っても、どれも内出血で青紫色に変色し、熱を持って腫れ上がっていた。いわゆる、重度の打撲だ。


——やっぱり、かなりの強さで蹴られていたんだろうな……。


 指定された箇所を巻物で治療していくと、痛みで険しかった少女の顔が徐々に和らいでゆく。……が、それと引き換えに、今度は危惧の空気をまとわせて。


「も、もう大丈夫っす!」


 ローブを羽織り直して身体を起こし、治療のために巻物を広げようとしていた俺の手を慌てた様子で押さえる。


「でも、まだ……」

「すげぇ痛かった部分は治ったっす! 他はちょっと痛むだけっす。……そ、それよりそんな高いもの使われても、自分、お金なんて払え——」

「気にするな。どうせ貰い物だし、無くなったってまた買えばいいんだから」


 ユトリから貰った分の巻物はすでに半分を消費してしまっていたが、エレイネス貨のおかげでお金の心配は当面しなくてよさそうだ。

 もっとも、エレイネス貨なんて無くても、カスタニエ家に無心すればいくらでも援助はしてくれそうな勢いだけど。


「で、でも、ほんとに、もう平気っす……」


 気持ちに少し余裕がでてきたのか、少女はシートに座り直すと、赤い前髪の奥からキョロキョロと視線を巡らせ始めた。


 少女の小さな顔を縁取るように伸ばされた触覚ヘアが、首を動かす度に忙しく左右に振られる様子は、なんとなくデンデン太鼓を連想させた。

 ラフにざっくりと裏編みされた二束の襟足髪も、クセが強いのか左右へ元気に跳ね上がっていて、本来の闊達な性格を表しているように見える。


——思っていたよりは元気そうだな。


「あ、あいつらは? ここはいったい……あ、あんたたちは、何者っすか!?」

「まてまて! 一気に質問すんな!」

他人ひとにものを尋ねる時はまず、自分から名乗るものですの」


 横から、少しムッとした様子でティコが口を挟む。

 貴族社会や修道院で礼儀作法を教えられてきた彼女には、少女の態度がことさら不躾ぶしつけに映ったのかもしれない。


「す、すまねぇっす。自分はベル……ベル・シャピーっす。ところで今……どこに向かってるんすか!?」


 名前だけ答えてすぐにまた質問者に転じた少女に、ティコが眉をひそめて口を開きかけたが、その前に俺が急いで答える。


「プラスローだ。俺たちはこれから、プラスロー村に視察にいくところなんだ」

「プラスロー!?」

「うん……どうかしたのか?」

「プラスローは、自分が生まれ育った村っす! すごい偶然だと思って!」


 話によると、ベルは幼い頃に事故で父親を亡くし、さらに二年前、病で母親も亡くしてプラスローの孤児院に身を寄せていたらしい。


——やはりティコの記憶は正しかったってことか。大したもんだ。


 これまでは、孤児院の畑を使ってみんなで野菜などを作り、それを自分たちで食べたり売ったりしながら細々と方便たつきを保っていたらしいのだが——。

 一年前に突然地代が数倍に引き上げられて経営が逼迫ひっぱくし、ついに年長者であったベルが、院のためにコシュマールまで出稼ぎに出なければならなくなってしまったようだ。


「でも自分、ろくに勉強もしてないんで、読み書きも計算もできないし……だからまともな仕事にも就けなくって……」

「だから、娼館に?」

「そうっす。でも、敬語も使えないし、身体だってこんな痩せっぽっちだから、自分を指名してくれる客も少なくって……」


 こんな、年端も行かない少女が売色に身をやつさなければならない社会……これがこの世界の常識なのか?


 不意に、ベルと、小学生の頃に自殺したユキの境遇が重なった。

 理由は違えど、好色な大人たちの慰み者となる苦痛を想像すると、胸の中が掻きむしられるような息苦しさを覚える。


「地代を今週中に納めないと、孤児院も廃院って言われてて……」

「今週中? じゃあコシュマールから連れ出したのはまずかったのか?」

「ああ、それは平気っす。どうせあんな事件を起こした後じゃ、しばらくあの街では働けねぇっす。それに……」


 ベルがローブを持ち上げて裾を裏返すと、わざとほつれやすい縫い方でもしていたのか、糸を抜いてまつりを開き、中から小さな石を取り出す。

 直径三~四センチほどの、どこの川原にでも落ちていそうな平べったい堆積岩たいせきがんだが、ベルが触れると薄っすらと何かの文様が浮かび上がる。


「それは?」

「孤児院で作った、商人ギルドの口座証石っす。知らないんすか?」

「ああ、いや、俺が持ってるのとはちょっと違ったから……」


 俺たちが持っているシグネットリングの機能のうち、口座管理機能だけに特化したような魔具らしい。


「これだけは見つからないように隠してきたっす……。働いたお金とくすねたお金でようやく三十万になったから、地代はこれでなんとか払うことが——」

「ちょっと、ベルさん?」


 口を挟んだのはティコだ。


「そんなお金があるのなら、先にあなたのお金を立て替えたこの方へ返すべきですの」と、俺を指差す。

「あ……」


 短くつぶやいて口をつぐんだベルを見て、俺が慌ててティコを抑える。


「いいんだよティコ。それは俺が勝手に助けたんだし——」

「よくありませんの。借りた物は一旦お返しして、必要であれば再度援助を申し入れるなりすればいいですの。それが筋ですの」


 ティコの剣幕にびっくりしたのか、ベルが慌てて謝るが、


「わたくしに謝られても仕方ないですの。さきほどから聞いていれば、ベルさん? あなたまだ、この方にお礼すら言っておりませんの」

「だから、そんなこと俺は——」

「少し黙っててほしいですの! 今はベルさんと話していますの!」

「は、はい……」


 強圧なティコの声色に気圧されて、俺も思わず口を噤む。


「敬語や礼儀作法などはどうでもいいですの。でも、感謝の意を示すことに貴賎は関係ないですの。ベルさんが仕事に就けなかったのは、学の問題だけではないかもしれませんの。弱者であることが、礼節を軽んじて良い言い訳にはなりませんの」


——なるほど、ティコが不機嫌だったのは、そういう理由からだったのか。


 言葉は厳しいが、纏う空気からはベルを心配している気持ちも伝わってくる。ただの脳筋令嬢というわけではなさそうだ。


——こう見えて、意外とティコは領主の器かもしれないな。

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