02.トラウマ(後編)

 それからしばらく、俺は何を食べてもすべて戻してしまう日が続いた。

 もちろん両親は心配していたが、仲が良かったユキが自殺したことで精神的にショックを受けているのだろうと考えていたようだ。


 確かにそれもあった。でも、それだけではなかった。


 最後に見せた、ユキの寂しそうな笑顔。

 そして、彼女に纏わりついていた瘴気のようなオーラ。

 最後に見たあの光景を思い出すたびに感情が、胃の中の物と一緒に逆流する。


 俺の言葉が、ユキを自殺に追い詰めてしまったのでは?

 俺があの時、ユキのことを受け入れていたら……。

 ユキが帰ったあと、すぐに追いかけて謝っていたら……。

 そうしていれば、ユキが命を落とすようなことはなかったかもしれない……。


 そんな自問自答を繰り返しながら一週間が過ぎたころ、俺はふと、何かに誘われるようにユキが忘れていったタブレットを手に取っていた。

 本来なら、遺族であるユキの父親に返すべき物だったのだが、俺はどうしてもそれを手放せなかったのだ。


——もしかするとこの中に、俺の気持ちを慰めてくれる何かが残っているかも?


 しかし、そこに残されていたものは——。


 大手SNSで、ユキタンのハンドルネームで綴られた彼女の日記だった。

 鍵付きのアカウントで、フォロワーは一人もいない。開始時期は今年のゴールデンウィークの辺りだから、ユキの両親が離婚して一ヶ月くらい経ったころだろう。


 そこには、日記を書き始めた当初から、父親に命令されて下着姿や裸の写真を撮られるようになったことが記されていた。

 さらに、それ以上の行為を強要された様子も、こと細かに綴られていたのだ。

 正直、小学生の俺にはよく分からない部分がほとんどだったが、それでも、それがとてつもなくおぞましい行為であることだけは直感した。


 どうしていいのか分からず、結局両親に相談すると、日記の内容を見た二人が悲痛な表情を浮かべて涙していたことを覚えている。


 それからさらに一週間ほどが過ぎて、ユキの父親が警察に捕まったことを知った。

 当時、捕まった理由は詳しくは知らされなかったが、のちに自分で調べて、罪状は監護者性交と児童買春、及びポルノ禁止法違反だったことを知った。


 結局、ユキの自殺の原因は父親からの性的虐待を苦にしてのことだった。

 しかし、それでも、最後に身を投げる引き金となったのは俺の拒絶なんじゃないか? 俺ならユキを助けることができたんじゃないか?

 ユキの心に寄り添えなかった自分に対する非難と後悔の念が、それ以来ずっと、俺の心の中にこびり付いている。



 それ以来俺は、それまで以上に周囲のストレスに敏感に反応するようになった。クラスでイジメに発展しそうな火種を見つければ、積極的に止めに入ったりもした。

 その結果、俺が苛められたとしても、俺の知っている誰かが追い詰められて命を絶つようなことにならなければそれでいいと思ったからだ。


 苛められている生徒を救いたいとか、そんな崇高な動機があったわけじゃない。

 誰かが破滅的な選択をした時に、それを察知しながら助けられなかった自分まで責められているような、そんな陰鬱な気分を味わいたくなかっただけだった。

 ……ユキの時のように。


 そして学校以外では、家族など必要最低限の関係者を除いて、他人と関わることを避けるようになった。

 なるべく、他人の感情に共感する場面を減らしたかった。

 相手の感情を直接感じずに済むネットゲームに傾倒していったのも、そのころだ。


 誰がどんな闇を抱えていても、関わらなければ知らずに済む。

 知らなければ、罪の意識にさいなまれることもない。


 しかし、それでも……限界はある。


 突然、無防備な意識の中に飛び込んでくる、他人の苦痛、慟哭、絶望感。

 それを感じてしまった時は、どうしようもなく、手を差し伸べなければならないと言う焦燥に駆られる。いや、強迫観念と言ってもいい。


 脳裏にこびりついた、ユキの最後の笑顔がトラウマとなり、俺にそうさせているのかもしれない。


 そう、今のように——。




「おい! 大丈夫か!」


 薄汚れたローブを纏い、地面にうずくまっていた子供を抱きかかえる。

 陽の光の届かない裏路地のせいで判然としていなかったが、女の子だった。

 気を失っているが、かなり苦しそうな息遣いだ。


「折れた肋骨ろっこつが肺に刺さっています」と、サトリ。

「はあ? ……肋骨が、肺に!?」


——外傷性気胸か!


 刃物で刺されたり交通事故が原因で起こると言うのは聞いたことがあるが、逆に言えば、それだけの外圧がなければ起こり得ない症状でもある。


——あいつら一体、どれだけの力で蹴り付けていたんだ!?


 思わず、男たちが立ち去った方向を睨み付けるが、すでに彼らの姿はなかった。


 最初は荒事になるかと覚悟していたのだが、近づいてみて、男たちのオーラからは憎悪や嫌悪感よりも、何らかの損失を取り戻したいと言う、もっと事務的な意思を強く感じた。

 少女が盗んだという十万ベアルに、さらに色をつけて立て替えると言ったら、あっさりと引き下がってくれたのは不幸中の幸いだった。


「売色行為が認められているのは十六歳以上ですが、どうやら彼らは、この少女が未成年だと分かっていていながら、娼館で客を取らせていたようですね」


——しょ……娼館!? こんな少女が!?


 ユキの事件の事が連想されて、思わず戻しそうになるのを慌てて堪えたが、そんなことには気付いていないのだろう。構うことなく、サトリが説明を続ける。


「それがバレれば商人ギルドの会員権を剥奪されますから、彼らも大事おおごとにはしたくなかったのでしょう」

「んなことより、どうすんだよこの子! 大丈夫なのか!?」

「胸腔内に漏れ出た空気が、肺や心血管を圧迫しています。このままではショック状態に陥るかもしれません」


 やはりそうか。

 気胸は症状が軽度なら自然治癒もあり得るが、重度の場合は緊急度も高い。


治癒サニターテムの巻物で治せるよな?」

「はい。しかし、時間が経過して致命的な状態になるほど体力消費量は増加しますので、そうなれば傷は治せても多臓器不全で最悪死亡もあり得ます」

「なに? そうなったら、あとは蘇生しか……?」

「蘇生術は高位の聖職者でなければ身につけていません。アングヒルならともかく、二十四時間以内に渡りを付けるのは難しいでしょう。それに……」

「それに……どうした?」

「平民の多くは加護を得ていません。加護のない人間を蘇生することは原則として不可能です」

「なんだって!? だ、だって、ヴァプールの時は、子供たちを殺して蘇生するなんて計画も考えてたんじゃ……」

「ユトリ様の言う蘇生は、普通の蘇生とは違います・・・・・・・・・・・。それにあれは、ユトリ様のお考えではなく憑依していたキュバトスが言わせたこと」


——誰でも蘇生できるというわけではなかったのか!


「とにかく、馬車まで運ぶぞ! そういうことなら一刻も早く治療だ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る