04.かまちょ

 シリルが立ち去った後も、ティコはアームレスリング台のかたわらで体育座りになったまま、両膝に顔をうずめていた。

 そんな彼女を横目に、エドモン司教と話を進めるユトリ。


「ほんなら司教さん、そうゆーことやから、今年の推薦枠はうちのミオちんってことでええな?」

「それはそのぉ~、えぇ~っと……」

「また礼拝にも来るから、細かい話はまたそん時でええやろ?」

「は、はあ……」


 うずくまるティコが気になるのか、司教も神父も歯切れが悪い。

 しかし、エスコフィエ家の当主であるシリルが決めたことだ。澪緒みおの適正は脇に置いておいても、ティコの辞退は決定事項と見ていいだろう。


「もう……わたくしは、聖女になれないなら生きていても仕方ないですの……」

「さよか。……ほな、行こか?」


 ブツブツと床に話しかけるティコを横目で見下ろしながら立ち去ろうとするユトリを、俺は慌ててこちらへ向け直す。


「お、おい、いいのかユトリ? あいつのこと放っておいて?」

「ティコちんのこと? かまへんかまへん。あの子は相手にすると面倒やから」

「いや、でも、さすがにこのまま放っておくわけにも……」


 ユトリの話を聞く限りではなかなかハードな生い立ちでもあるようだし、原因を作ったのは俺たちだ。このまま何も声をかけずに、というのはさすがに後ろ髪が引かれる。

 対立が終われば相手の気持ちや立場も考える……日本人はおもんぱかりの民族なのだ。


「じゃあ、勝負で心を通わせた者同士、ミオが慰めてみるよ」

「おまえが? 大丈夫かよ……」

「任せて!」


 そう言ってティコの方へ駆け寄った澪緒が、彼女の肩に手を載せて、


「えっと……ティコリーヌ?」

「ティコレットですの」


 のっけから、最悪じゃねえか。


「えっとね、陰気臭い人がいると周り全体が陰気臭くなるんだけど……落ち込むなら別の場所で……いたたっ! な、なんでお兄ちゃん、チョップしたし!?」


 両手で頭頂部をさすりながら、澪緒が振り返る。


「バカかおまえは!」

「ばっ、バカッて言う方がバカなんですよ、バァ——カ!」

「どいてろバカ」


 澪緒と代わって、今度は俺が声をかけてみる。


「え~っと……今年はダメでも、また来年も挑戦できるんだろ、聖女試験?」

「シリルは、ずっと受けさせないって言ってましたの……」

「それはほら、今はそう思ってても、これからまた努力している姿を見せれば、あいつの気持ちだって動くかもしれないし」

「得意な腕力勝負にまでおくれを取ったとあっては、もう挽回は難しいですの」

「澪緒はかなり特別だから……あいつには普通の男だってかなわな——」

「同情など要りませんの! 今は一人にしてほしいですの!」


 ずっと、両膝に顔を埋めたまま目を合わせようともしない。

 やっぱり、ユトリの言う通り落ち着くまでそっとしておく方がいいのか?


「まあ、何かあったら声かけてくれ。澪緒とかユユとか、同年代の女子もいるし……気晴らしくらいにはなるんじゃないか? しばらくはユトリのとこにいると思うし」


 そう言い置いて澪緒と一緒に立ち去ろうとすると、再び後ろからティコの声が追いかけてくる。


「それは、無理かもしれませんの。一人になったら、死ぬかもしれませんの……」

「え? ちょっと待て……早まるなよ!?」

「あなたには、関係のないことですの……そっとしておいてほしいですの……」


——こ、こいつ……めんどくせぇっ!


「だから言ったやん……。ただのかまちょ・・・やねん」


 ハァ、と大きなため息をつきながら、ユトリが近づいてくる。


「ティコちん……なんでそんなに聖女にこだわっとるん? 以前はそんなこと、なんもゆーとらんかったやん? 委領地の件となんか関係あるん?」

「…………」

「言いたくないんやったらええけど……そろそろサトリも来そうやし、ウチは昼から携行糧食レーションしか食うてへんからええかげん腹も減ったし、もう行くで?」

「…………」


 立ち去りかけて、もう一度思い直したようにユトリが振り返り、


「なんやったら、ティコちんも一緒に来る?」

「……え?」


 ようやくおもてを上げるティコ。


「前にも一度、ウチがここにいる時に遊びに来たことあったやん? 久しぶりにどやろなぁ思て」

「べっ、べつに、遊びに行ったわけではありませんの! ベアトリクス中西部で、エスコフィエと並び立つ名家の暮らしぶりがいかほどのものか偵察に——」

ぃひんなら別にかまわんけど」

「そうは言ってない!」


 ガバッと立ち上がり、ユトリの両肩をガシッと掴むティコ。


「行くっ! 行って差し上げますの!」

「なんでいちいち上からやねん……」

「そうと決まれば、さっそく外泊届けを書いてきますの! 少々お待ち下さいですの!」


 ティコはそう言い置くと、足取りも軽く東袖廊しゅろうへと姿を消した。




 それからほどなくしてサトリが到着すると、俺たち四人にティコを加えた五人で馬車に乗り、そのままタスカニエの屋敷へ向かう。


 いくら転移先が大聖堂カテドラルだと分かっていたとは言え、この広い施設内で迷わず俺たちを探し当てたサトリを不思議に思って尋ねてみると——。

 どうやら、ユトリのウサ耳とサトリの大リボン、二つのカチューシャは共鳴し合っていて、常に互いの位置を使用者に認識させる役割を果たしているらしい。


 ユトリが、モンクスドレスに着替えてもウサ耳カチュだけは外さなかったのはそう言うわけだったのか。


 屋敷に着いて、先に全員で入浴を済ませてサッパリしてから早めの晩餐。


「な~んや、この部屋も手狭になってきよったなぁ」

「いや、俺一人で使うだけなら十分な広さだろ? なんでわざわざ、この部屋に集まって食ってんの?」

「ほんまやな。リンタロの部屋だけ、もうちょい広い部屋に替えよか」

「そっちかい!」



 ビン底を繋ぎ合わせたようなロンデル窓の向こうで、空が薄暮から宵闇に変わる。

 早めの晩餐が終わると、サトリが燭台のロウソクを消して換気窓を開け、ランプに火を入れてゆく。

 ロウソクはかなり高級品らしく、食事の時以外には使用を控えているらしい。


 因みにこの世界で普及している燃料は〝魚油ぎょゆ〟のようで、ランプがともると独特の匂いと煙が漂い始める。確かにこれでは、食事時にランプを使うのはキツいだろう。


「ところでティコちん、大聖堂でも訊いたことやけど……」

「なんですの?」

「なんで、いきなり聖女なんかに拘り始めたんや?」

「別に、急にというわけではありませんの。お父さまが亡くなってから、ずっと考えていたことですの」

「おとんがいなくても、エスコフィエのご令嬢やったら普通に一竿風月いっかんふうげつの生活を送らせてもらえるやろ」

「そんな単純な話ではありませんの!」

「シリルがゆーとった委領地の件と、関係あるんやね?」


 頬に人差し指を当てて少しだけ考えてから、再びティコが口を開く。


「実は——」

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