03.愛憎劇 ※

「こ、これはシリル様。お見えになっておられたのですか。お出迎えもせず申し訳ございませんでした」


 真っ先に、エドモン司教が主祭壇から声をかけて一礼すると、ジョゼフ神父もすぐにそれにならう。さらに、


「シリル、兄様……」と呟いたのはティコだ。どうやら、シリルと呼ばれたこの金髪の男は、彼女の兄らしい。


「いえいえ、お気遣いなく司教殿。本日はたまたま近くの所用ついでに立ち寄らせていただいたまで。お約束していたわけでもありませんので、お気になさらなず」

「恐れ入ります」

「愚妹を今年の聖女枠に選定して頂いたと聞き及んでおりましたので、その後の様子でもおうかがいしようと立ち寄らせていただいたのですが……」

「ティコレット様のことは先代のエディ様からもしなにと仰せつかっていたのですが、実は今、そのことで少々込み入ったことになっておりまして」

「そのようですね。面白そうなことをしておりましたので、あちらから少し様子を見させていただいておりました」


 そう言うと、シリルはアームレスリング台の方へ視線を戻し、


「もしかしてこれが、選定の最終試験というわけですか?」

「は、はあ……ティコレット様のご意向もあり、このような流れに……」

「ご心配には及びません。司教殿を責めるつもりはありませんよ。むしろ、家柄におもねることなく厳正な試験を行っていただいていること、ありがたく存じます」


 ……とは言え、と、言葉を繋げながら冷笑を引っ込めると、今度は真顔でティコを見据えるシリル。


「これ以上は必要あるまい。座学で恥を晒した上に、自慢の腕力でもこのありさま。これ以上、エスコフィエの家名に泥を塗ることは許さんぞ、ティコレット」

「そ、それは……わ、わたくし、これから本気を出しま——」

「何が本気だ、出来損ないが! 先代の意向もあって優遇されていたことも分からんのか? 私の代になったからには、そのような曲事きょくじは許さん」

「ち、違いますわ! わたくしは実力で——」

「見苦しい! これ以上家名に傷を付ける前に、聖女推薦などさっさと辞退しろ」


 シリルの背から立ち昇る、明らかに侮蔑や嫌悪を含んだオーラ。

 向こうにやっかいな援軍が現れたと思っていたのだが、どうやら予想とは風向きが違うようだ。


「そ、それでは、委領地の件は……どうなりますの?」

「身の丈をわきまえろ。妾腹しょうふくのおまえがヴィリヨンの一部を委領すること自体、厚かましいとは思わぬのか?」

「ヴィリヨンはもともとお母様の故郷ですの! わたくしが成人すれば返還して頂ける約束でしたの!」

「先代との口約束など私は知らん。聖女にでも選ばれれば、外聞もあるし検討もできたであろうが、候補にすらなれぬのであれば話にならんな。サノワを与えられただけでもありがたいと思え」


 なるほど、見えてきたわ……と独りちるユトリ。


「なにがだ?」

「ティコちんは、エスコフィエ家の令嬢ではあるけど、正妻やのうて先代の側妻の子やねん」


 ウチも詳しいことは知らんけど……と前置きをした上で、ユトリが説明してくれた愛憎劇に想像も加えつつまとめると——。


 ティコの母親エリザベートは、もともとはこの国ベアトリクスの北西部に位置するヴィリヨン地方を治めていた領主、ジャック・ボナリーの一人娘であったらしい。

 だが、ジャック——つまりティコの祖父が、鉱山開発への多額の投資に失敗してボナリー家は没落。

 その借金を肩代わりしたのが、当時中部の商業組合をまとめ上げて財を成していたエディ・エスコフィエだった。


「……親切な人じゃん」

「もちろん、無条件やあらへん」


 エディが対価に求めたのはヴィリヨン地方の委領権と、領内ではその人に恋をしない者はいないとまで謳われた深窓の令嬢、エリザベートを側妻に迎えることだった。


 エリザベートがエスコフィエ家にやってきてから、エディが彼女の香気の虜となるまでにそう時間はかからなかった。

 また、心優しく気立ての良いエリザベートもエディによく尽くし、二人の間にはすぐにティコレットも生まれ、夫婦仲はまさに比翼連理ひよくれんりであったと言う。


 一方、そうなると自ずとないがしろにされていったのは正妻のアミラだ。

 彼女のエリザベートに対する妬心としんはやがて憎悪に変わり、エリザベートのみならず、夫のエディにまで向けられる暗い視線を見ながら育ったのが、目の前にいるシリルというわけだ。

 ちなみに、彼の二つ下にはマノンという妹もいるらしい。


「エディさんは数年前にうなって、エスコフィエ家の当代はあのシリルに引き継がれとるはずや」

「だからあの二人、あんなに険悪な雰囲気なのか」

「せやな。どうやら、ティコちんにヴィリヨンの委領権を返還するゆー先代エディさんの遺志を、シリルが反故ほごにしようとしとるみたいやね」

「そんな簡単に反故にできるもんなのか? 遺言状みたいなもんはねぇの?」

「口約束ゆーとったやん。もっとも、たとえ文書があってもティコちんの立場上、強くは出られへんちゃうかな。ヴィリヨン返還は聖女になることを条件にされとったみたいやし……」


 俺の記憶によれば、ヴィリヨンは肥沃な穀倉地帯という設定だったはずだが、どうやらシリルは、ティコが聖女になることを望んではいないらしい。豊かな直轄領を手放したくはないのだろう。

 しかし、ティコに向けられるいびつで暗いオーラを見る限り、それだけが理由ではなさそうだ。


「で、そちらのお嬢さんは? 見たところ、修道女には見えんが……」


 澪緒みおのことを、つま先から頭に向かってゆっくりとめつけてゆくシリルに、ジョゼフ神父が近づいて説明する。


「実は、かくかくしかじかで——」

「なるほど、カスタニエの……それはそれは、どうも失礼致しました」


 澪緒に謝罪の言葉と目礼を返すと、今度はユトリの方へ向き直るシリル。


「ご無沙汰しておりました、ユトリ殿。珍しい格好をされておりましたので、気付かずご挨拶が遅れ——」

「またまた、冗談を。このウサ耳で一目瞭然やん?」

「うさみみ? おお、そう言えば貴女のトレードマークでしたな」

「まあええわ。ウチも堅苦しいのは嫌いやし、今、神父さんがゆーた通りやから、口出しせんと黙っとき」

「ふふふ……。それならご心配なく」


 シリルはニヤリと口の端を上げ、さらに続ける。


「お聞きになっていたとは存じますが、当家としてはティコレットの聖女認定は辞退させていただきますので」

「ふ~ん……ええんか、ほんまに? ティコちんは納得しとらんようだけど?」

「あれでは恥を晒すだけですからね。それと、来年以降の選定もティコレットのことは外していただいて構いません。いえ、是非そうしてください、エドモン司教」

「そ、そんな! ひどいですの!」


 と、顔を上げたティコに続いてエドモン司教も、


「そ、それでは先代エディ様のご遺志が……」

「家名を守る以上に大切な遺志などございません。故人の推算すいさんが現実にそぐわなくなった時には、それを正すのも生きている者の努めです」




※補足

比翼連理ひよくれんり

男女や夫婦の仲の睦まじいこと。

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