02.アンダードッグ ※

「かりにも聖女候補を選定しようって勝負で、最終的に腕相撲で決めるって、どうなんだよ?」

「こないにようティコちんに決まっとるくらいやし、最初からまともな選考なんてしてへんのやろ、知らんけど」


 選定に家柄や寄付金が考慮されるのは珍しいことではない。恐らく今年の選定はティコありきで進められたのだろう、と言うのがユトリの見解だ。


「教会側も、今さら別の人間を再選出して波風を立てるより、このままティコちんを推挙する方が楽ゆ―空気は感じられるな」

「それなのによく、再選考なんて了承したな」

「ミオちんの後援がウチらカスタニエ家であることと、なによりティコちんも勝負を了承したことが大きかったんやろ」


 再選考ではなく、勝負という形でティコを煽ったのも、ユトリの計算だったというわけか。


「教会側も、ティコちんの脳ミソがあそこまでポンコツなんは計算外やったんやろ」

「それを言うならおまえも、澪緒みおの知力を見誤ってただろ?」

「……せやな」

「それにしても、最終的に聖女を腕相撲で決めるって、そんなんでいいのかよ?」

「べつに、聖女候補に選出されたからゆ―て必ず聖女になれるわけやあらへん。紛れが少のうてアホ二人が納得しとる勝負やったら、なんでもええねん」


——アホ二人……。ついに澪緒までアホ認定されてしまったか。


 改めて、アームレスリング台を挟んで対峙した脳筋少女たちに目を向け直す。

 身長百五十センチ台後半の澪緒と比べて、ティコの方がこぶし一つ分ほど高い。

 澪緒も、引き締まった身体つきではあるものの標準的な体格だし、あいつの化け物じみたパワーを知らない人間から見れば、勝利はティコで順当に見えるだろう。


 ティコが右ひじをエルボーパッドに乗せ、左手でグリップバーを掴むと、澪緒も前腕鎧バンブレス鋼籠手ガントレットを外してそれにならう。


「さあ、泣いても笑ってもこれで決まりますの。一発勝負ですの。心の準備はよろしいですの?」

「うん、大丈夫だよ」

「やけに冷静ですのね? でも、すぐにぎゃふんと言わせてあげますの!」


 ニュートラルポジションで握り合った二人の右手に、ジョゼフ神父も手を添える。


「それでは……ファイッ!」

「ふおおおおお——っ!」


 神父が手を離すと同時に、思いっきり体重を乗せて左側へ身体を傾けるティコ。

 が、しかし——。


「ぎゃふぅ——んっ!?」


 身体とは反対側に倒されたティコの右手甲が、タッチパッドに轟沈。

 分かってはいたが、澪緒の圧勝だ。


「はぎゃぁぁぁ——っ! あいたたたたたぁ——!」


 堪らず、右肩を抑えてその場で転げ回るティコ。


「痛い痛い痛いっ! 肩がっ……肩がっ……外れましたのあああ!」

「ティコレット様! だ、大丈夫ですか!?」


 慌てて駆け寄った神父が、ティコの右肩に手をかざすと、山吹色の淡い光が患部を包み込み、同時にティコの表情も和らいでゆく。

 さすがは聖職者、治癒系の加護はしっかり身に付けているらしい。


「ハァ……ハァ……だ、大丈夫ですの……お世話を、お掛けしましたの……」


 施術が終わると、呼吸を整えながらゆっくり立ち上がり、再びエルボーパッドに右ひじを乗せるティコ。


「さ、さあ……ハァ、ハァ……本番、いきますの」

「え? さっき、一発勝負って……」

「さっきのは、練習ですの……。練習は、ノーカウントですの……ハァ、ハァ……思わず力を入れすぎて、肩が外れてしまいましたの……」

「じゃあ……もう一回ね」

「こ、今度は、一撃で沈めて差し上げますの!」


 互いの右手を握り合う二人。神父の合図と共に、再び、


「ふおおおおお——っ!」


 左へ身体を傾けるティコ。

 しかし、澪緒の右腕は一フレームも動かない。


「じゃあ、いくよ? えい!」

「はぎゃぁぁぁ——っ!?!?」


 澪緒が腕を倒すと同時に、その動きに身体を合わせるように床を蹴るティコ。

 自ら右側へ跳ぶことで脱臼を回避したようだが、今度は空中で半回転して背中から床へ落下してしまった。


「ぎゃふんっ!」

「ティコレット様! だ、大丈夫ですか!?」

「し、心配いりませんの……。次は、本気で、いきますの……」


 再び駆け寄ろうとした神父を手で制して、ティコがゆっくりと立ち上がる。

 澪緒も心配そうに見つめながら、


「今のリアクション、すごい体張ってたね!」

「リアクションを取ってるわけではありませんの!」

「大丈夫? なんかボロボロだけど……」

「ミオさんと、おっしゃったかしら? 心配には、及びませんの。次こそ一撃で沈めて差し上げますの!」


——一撃とは……。


 再度、ニュートラルポジションで互いの右手を握り合う二人。


「おい、いいのかよ? 勝負になってねえぞ、あれ?」

「気の済むまでやらせればええんちゃう? ティコちん、昔からああやねん。一度始めると勝つまで止めへんねん。せやから面倒臭がって誰も近付かなくなってん」

「んなこと言ってたら、永遠に終わんないだろあれ……」


 必死で頑張ってるやつを見るとついつい応援したくなる。

 アンダードッグ効果じゃないが、たとえ澪緒の相手でも、ここまで力の差が歴然だと気の毒になってくるのは自然な感情だろう。


 さすがにわざと負けろと言うわけにもいかないが、澪緒も人一倍空気が読めないし、少しは手心を加えるように伝えた方がいいか?


 ……とも思ったが、澪緒の中に、闘争心やきょうがる感情だけではなく、尊敬の念にも似たオーラを見止めて思い止まった。

 真剣に向かってくる相手に対して、あいつはあいつなりに誠意を持って相対あいたいしているようだ。ノータリン同士、何か心に通うものがあるのかもしれない。ここで、俺みたいな常識人が水を差すのも野暮と言うものだ。


 そう思っていたのだが——。


「もう、その辺にしておけ、ティコレット」


 澄んだリリックテノールが聖堂内に響く。

 声がした方向——先ほど、ティコも歩いてきた東の袖廊しゅろうへ視線を向けると、いつから立っていたのだろうか? 奥に人影が見える。


 歳の頃は、二十代半ば。黒いビロードの上衣ダブリットを身に纏った長身の男性だ。

 彫りの深い端正な顔立ちに、ティコの金髪にも見劣りしないあでやかなブロンドを颯爽さっそうなびかせて近づいてくる。


 肩から立ちのぼっているのは、俺でも即座に分かるほどの貴族然とした高貴なオーラ。どこぞのじゃりン子貴族・・・・・・・とは大違いだ。


 男は、俺たちから少し離れた場所で立ち止まると、ティコを見据えながら再び口を開いた。


売女ばいたの娘とはいえ、今のところはおまえもエスコフィエの人間だ。これ以上、家名に泥を塗ることは許さん」




※補足

【アンダードッグ効果】

弱い者や不利な立場にある人を応援したくなる心理。負け犬効果とも。

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