Final.ハイレベルな戦い ※

 ティコレット・エスコフィエ——。


 ユトリの説明によれば、国内ではカスタニエ家と勢力を二分するほどの名門、エスコフィエ家の次女ということだった。


 貴族の家柄であっても、継嗣けいし以外の男児は家長の側近や補佐役となるか、それ以外は家を出て事業などで身を立てるケースが多いらしい。

 女児も同様に、家に残る者以外は貴族同士で縁談を組み、閨閥けいばつ形成に利用されるというのが一般的なようだ。

 修道院と言うのは、そうした貴族令嬢たちの、いわば花嫁修業の場でもある。


 カスタニエの長女として公務を任されることになったユトリは、二週間ほど在籍したのち洗礼だけを受けて卒院したのだが、その時に知り合ったティコとは家同士がライバル関係でもあるせいか、在籍当時から犬猿の仲だったようだ。


 今でも、事あるごとに顔を合わせてはいがみ合っているらしいのだが……。

 言うほど、お互いのオーラに悪感情は見られない。表向きの態度とは裏腹に、意外と仲が良いのかもしれない。


 ティコとの勝負の話がまとまると、ユトリは再び主祭壇の方へ向き直り、


「そういうことや! ええな、司教さん?」

「は、はあ……お二方がそうせよとおっしゃるのであれば……」


 よく分からん展開を、意外とあっさり承知するエドモン司教。

 ティコが聖女に推薦されたのが、教会の思惑なのか外圧によるものなのかは分からないが、いずれにせよこの二人の意向に背いてまで貫くほどのものでもないようだ。


「どや、ミオちん? そういうことなんやけど、イケる? 腹減っとらん?」

「うん……お腹は、ワイナリーでお昼を出してもらったから平気だけど……」

「自分で直接勝負をせずに代理を立てるなんて、いつもコソコソ隠密家業に勤しんでいるカスタニエらしいですわね」


 ほくそ笑むティコに、ユトリも冷ややかな視線を向けながら、


「ミオちんが聖女候補なんやからあたりまえやろ。それに、まだ十二のウチが勝負で勝っても聖女にはなれへんやん」

「まあ、誰が相手であろうと、これはわたくしとユトリさんの面子を賭けた勝負であることを忘れないでほしいですの!」

「望むところや」


——そんな勝負だったっけ?


「で、ユトりん? 勝負って、なにするの?」

「せやなあ……とりあえず、模擬刀を使つこうた模擬戦ってのは、どや?」 


 ユトリが答えると、


「望むところですわ!」


 すかさず二つ返事で乗ってきたのはティコの方だ。

 やはり、腕力勝負にはかなり自信があるらしい。


「でも、そんな小柄で細腰さいようの方に、剣術勝負なんて務まりますの?」

「せやなぁ……ティコ相手やと厳しいとは思うけど、気張るしかないやろなぁ……」


 と、悪そうな笑みを浮かべるユトリ。言葉とは裏腹に、澪緒の勝ちを確信しているのだろう。

 しかし、そこへ待ったをかけたのは神授認定官でもあるジョゼフ神父だった。


「お待ち下さい。聖女候補を賭けた試験と言うことであれば、正式な段取りにのっとって、まずは座学考査から受けてもらわなければなりません」

「まあ、推薦すんのは教会やから方式は任せるけど……でも、どうすんねん? 試験の準備なんてすぐには出来ひんやろ?」

「まあ、候補は二人だけですし、私が立会人となって今年行う予定だった試験問題からいくつか出題するというのはどうでしょう?」

「……まあ、ええけど」

「望むところですの! 全座学平均9.8を叩き出したわたくしの頭脳を見せつけてあげますの!」


——9.8!?


「お、おい! ユトリ! ちょっとこっち来い!」

「なんやねん! いったいなぁ、腕つかまんといて」

「それより話が違うじゃねぇか! 脳筋シスターつってたのに、平均9.8って——」

「全然違っておらへんやん。……百点満点やで?」

「……え?」


 十点満点じゃないの?

 百点満点で9.8って……あの縦ロール、何の頭脳を見せつけようとしてんだ!?


「おい、澪緒。あいつ、おまえより馬鹿かも知れないぞ……」

「失礼だなぁ、それじゃあ澪緒までバカみたいじゃない!」

「では最初は、算術の試験にしましょう」


 どこからか持ってきた数枚の白い紙に視線を落としながら、神父が告げる。


——あそこに試験問題でも記されているのだろうか?


「さんじゅつ? って、なぁに?」

「数学のことだろ……って、おい? 澪緒? まぶたが閉じてるぞ?」

「う、うん……ミオ、急に眠くなってきちゃった……」

「急すぎるだろ!?」

「これが高速催眠現象はいうぇい・ひぷのーしすってやつなんだね……」

「ちげぇ——よっ!」


 澪緒とティコが左右に別れ、身廊を挟んで並べられている信徒席ピュウに腰掛ける。前の座席の背もたれに机が付いていて、そこに紙とペンが置かれた。


「それでは、これより聖女推薦枠の選定試験を始めます」


 神父の宣言とともに、さっそく試験がスタート。


「計算問題、第一問目! 四十八足す、九十四は?」


 どんな問題が出されるのかとヒヤヒヤしていたが、小二レベルの簡単な和算だ。

 これなら、うちの脳筋妹でもなんとかなるだろう……と思って見ていると、机の上で筆算を始める澪緒。


——暗算でいいだろ!


 しかし、今度は反対側から、ぶつぶつと呪文のような声が聞こえてくる。


「四十八、四十九、五十、五十一、五十二、五十三…………」


 見れば、両手を机の上に乗せ、ぶつぶつと指折り数を数えているティコ。


 もしかしてあいつ、順番に数を数えてる?

 四十八から数えたら一個少なくなるけど、大丈夫か?


——つか、せめて九十五から数えろよ!


 結果は当然——、


「でけた! 百四十二!」

「正解! 第一問目は、ミオ様の勝ちです!」

「えへへ~♪ ……お兄ちゃんお兄ちゃん!」

「ん?」

「ティコちゃん、私より馬鹿かも知れない!」

「…………せやな」


 一方、反対側の信徒席ピュウでは、指を数本折った状態で固まったまま、呆然と澪緒の方を眺めているティコの姿が……。


「は、早すぎますわ……。わたくしはまだ、七十までしか数えておりませんでしたのに……。一体、どんな奇跡を使ったんですの!?」

「奇跡なんて使ってないよ。ミオ、計算は昔から得意だったから!」


 と、小学二年生の問題をやり終えた澪緒が得意満面でえる。


「くっ……。どうやら、ハイレベルな戦いになりそうですの! 久々に本気を出せそうですの!」


 ある意味、ハイレベルな戦いの幕が切って落とされた。




※補足

【高速催眠現象(ハイウェイ・ヒプノーシス)】

高速道路を走り続けている運転手が、単調な運転が原因で眠気を催したり注意力が低下する現象。

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