Final.地下室

 ワイナリーの一階はテイスティングルームなど来客用の施設で占められており、醸造施設のほとんどは地下一階に作られていた。

 窟内は、一年中気温十六度、湿度八十パーセントに保たれていてワイン作りには最適なのだそうだ。


 もちろんゲームでも触れていた世界ではあるが、そんな細かい設定までは覚えていないし、そもそも用意もされていなかっただろう。

 説明を聞きながら、こんな世界を作り上げた量子コンピューター〝寿限無じゅげむ〟の凄さに、今さらながら感動を禁じ得ない。


 階段を降りてワイン樽が並べられた通路に入ると、空気に混ざったアルコールの匂いが強くなる。クンクンと鼻を鳴らしていると、


「窟内の湿度でアルコールが充満しとるんや。お酒、アカンかった?」

「ああ、いや、匂うくらいなら別に……」


 相変わらず、ユトリは察しがいい。

 澪緒みおとユユの方を見ると、二人も、平気だと言うように小さく頷く。


「俺たちなんかより、ユトリはどうなんだ?」

「ウチか? ウチなら平気や。ここには何度も試飲に来とるし、屋敷でもワインはよう飲んどる。今さら空気中のアルコール程度で酔うたりせえへん」

「飲んでる……っておまえ、年いくつだよ!?」

「ん? 教えてへんかった? 今年で十二やで」


 十二って言えば、元の世界なら小学六年生!?

 日本のメーカーが作ったゲームを基にしてるのに、寿限無のコンプライアンスルールはガバガバだな!

(※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません)


 ワイン樽の置かれたエリアを抜けると、両側にいくつかの扉の並んだ、じめじめとした石壁の通路に出る。

 ティスバルが、通路脇で敬礼をしている見張りの兵士二人に声をかけ、二言三言ふたことみこと言葉を交わして鍵らしき物を受け取ると、


「おまえたちも、ここで待機だ」


 一緒に来た三人のハウンド騎兵に指示を出す。

 その先の倉庫エリアに進むのは、ティスバルを先頭に、ユトリとサトリ、そして俺たち転送組の計六人だけ。

 左右の石壁に五メートルほどの間隔で並ぶ地下室の扉も、通路に充満する陰鬱な空気のせいでまるで地下牢のように感じられた。


 ティスバルが通路の突き当たりのドアの前で立ち止まり、持っていたランタンを壁に掛けてドアの鍵を開ける。

 二重扉になっていて、二つ目の扉を開けると、中から目に刺さるような臭気とともに、淀んだ〝気〟が流れ出てきた。


「「くさっ……」」と、眉間に皺を寄せる澪緒とユユ。

 俺も思わず顔をしかめる。


——確かに、凄い臭いだ……。


 悪臭は、手前の角に置かれた大きなかめから漂っているようだった。

 スカトールやインドール、そして、独特のアンモニア臭……。


——間違いない。排泄物の臭いだ!


 あの瓶に便座のような板を載せて、簡易トイレとして使っているらしい。


 木組みの天井に、四方は石壁に囲まれた大きな部屋だ。明かりは、四隅の壁掛けランプのみ。

 優に百平米へいべいは超えていそうな室内を隅々まで照らし出すには、四個のランプでは不十分だ。


「ここは、昔の熟成室を改装した部屋で、普段は窟内観測の際に兵士の控え室などに使っているんだが……」


 誰に聞かせるでもなく独りちるティスバル。

 いや、ユトリもサトリも当然知っていることだろうし、もしかすると俺たちへの説明のつもりかもしれない。


 部屋の奥、三分の一ほどのスペースに敷かれたござの上には、ぐったりとした様子で横たわる数人の人影が見えた。数えると、ちょうど十人。


——あれが、キュバトスの種子に感染したという若者か……。


 こんな環境で五日も閉じ込められていたら、魔物に取り憑かれてなんていなくても頭が変になりそうだ。


「では、魔測を……」


 ティスバルに促され、ユトリとサトリが部屋の奥へ歩いて行くと、横たわっていた人たちがゆっくりと身体を起こして二人を見上げ、


「ユトリ様……」

「ワインのお姉ちゃん……」

「エロいお姉ちゃん……」

「ウサ耳のお姉ちゃん……」


 口々にユトリに声をかける。


「誰や! 今、エロい姉ちゃんゆーたやつは!? 手ぇ挙げい!」


——あいつ、子供相手に普段なにやってたんだ?


 感染者たちの顔を見ると、男女比は半々くらいだが、みな若い。

 一番年上でも俺たちと同じくらいの年頃……恐らく十五、六歳だろう。大半は、まだ十歳前後の幼げな顔立ちの子供たち。


「みな、ワイナリーで働いとった子供らやな?」


 振り向いて確認するユトリに、ティスバルがうなずき返す。

 この世界では、年端もいかないうちから労働に携わるのは普通のことのようだ。


「恐らく、空気中アルコールの影響を受けやすい子供が犠牲になったのでしょう。脳の活動が低下している状態の方が魔素の影響を受けやすいようなので……」

「ふむ……大人の犠牲者は出ておらんのやな?」

「村人全員の魔素観測を行いましたが、異常が見られたのはこの者たちだけです」

「……どや、サトリ?」


 ユトリに声をかけられ、子供たちの目を順に覗き込んでいたサトリが、ゆっくりと振り仰ぐ。


「全員、脳から脊髄までかなりの範囲に種子の浸潤しんじゅんが進んでいます。個体差はありますが、発芽まで早ければ二、三日、遅くても一週間といったところかと」

「となると、やはり感染したのは半月ほど前っちゅうこっちゃな」


 種子が発芽すれば、寄生された肉体を養分に魔瘴花と呼ばれる花が咲き、大量の瘴気が放出されて辺り一帯が汚染される。

 下手をすれば、村全体が新たな〝境海〟として魔物の巣窟にもなりかねない。


 キュバトス本体さえ始末すれば種子もすべて死ぬのだが、無理な場合は感染者を処分するしかない。


 サトリがすんなりキュバトス本体を特定してくれれば……って、あれ?

 そう言えば、本体を見つけたあとはどうするんだろう?

 たとえ全員を処分せずに済んだとしても、本体の宿主だけは殺す必要があるのでは?

 それとも、一人だけなら蘇生術が使えるということなんだろうか?


 俺がそんなこと考えている間にも、魔測に関するやりとりが進んでいく。


「で……、キュバトスの本体は、どや? 見えるか?」

「判然としませんが……」


 再び、子供たちへ視線を向けるサトリ。


「恐らく、この者たちの中にキュバトスの本体はいないかと」

「ふ~む……せやねんなぁ」


 ユトリの呟きに、ティスバルが怪訝な表情を浮かべる。


「まるで、子供たちの中に本体はいないと予測していたような口ぶりですな?」

「その通りや。初感染から半月も経っとるのに、種子が見つこうたのはワイナリーの子供らだけ。村内でヒトヒト感染が起こった形跡もない。おかしい思わんか?」

「そう……ですかね?」

「村人以外の人間に感染したと仮定すると……」


 ユトリが、ゆっくりとティスバルに視線を向け直す。


「洞窟に潜入しながら、魔測を受けてない連中がおるやろ?」

「まさか、洞窟観測隊のメンバーの中に、キュバトスがいると?」

「下級兵士は、こんなワイナリーで気軽に酒盛りなんてできひんやろ。洞窟観測後もここによう出入りしとった人物については……すでに調べはついとる」


 ユトリがわずかに口角を上げながら右手を上げる。


「キュバトスの宿主はあんたやないの?」


 その人差し指は、真っ直ぐにティスバルへと向けられていた。

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