04.アーカイブ

 突然、目の前の光景が切り替わった。

 視界の真ん中に立っているのは服を着たユトリ……い、いや……、


「サトリか!?」


 ここは……廊下?

 恐らく、カスタニエの屋敷内のどこかだろう。


——な、何だ? 今まで、澪緒みおとユトリと三人で風呂に入ってて……。


「どうしてもと仰るなら、実力でお止めするしかありません」

「……へ?」


 サトリが、カチューシャに付いていた蝶結びのリボンを外して振りほどくと、真っ直ぐに伸びて固まったそれが槍のような武器に変わる。

 肩幅よりやや広めに足を開き、わずかに膝を曲げて戦闘姿勢に入るサトリ。

 そしてそれが単なるハッタリでないことは、彼女の纏うオーラから伝わってくる。


「特殊ナノファイバー性のリボンを硬質化したものに高周波振動を発生させ、通常の刃物を遥かに凌ぐ貫通力を実現した〝超音波三節槍ハーモニックアスターム〟です」

「な、何でそんな説明を……」

「当家にも治癒術の使える者がおります。損傷は、ハバキ様の残り体力で修理可能な範囲にとどめておきますので、ご安心下さい」

「ちょ、ちょい待て! 先に状況の整理を——」


 と、そこまで言ってハッと気が付く。

 俺が、ユユの声じゃなく、俺の声で話してるということに。

 視線を落として両手を見ると、間違いなく俺のてのひらだ。

 着ている物も俺の服。

 間違いなく、俺の身体。


——戻ったのか!


 顔を上げると、無表情なサトリの後ろには横道への入り口と〝ᛔᛣᛟᛪᛰᛠᚢᛋビグロータス(※大浴場)〟と書かれたプレートが。


「おとぼけになるおつもりですか? ハバキ様が無理やりここを押し通ろうとするので、致し方なく……」

「お、俺が? な、何で?」

「——?」


 いぶかしげに、サトリの眉根が微動する。

 見落としそうな程の小さな感情のゆらぎだが、相手が機械人形オートマタだと思うと、それだけでも驚くべきテクノロジーだ。


「ハバキ様が、ユズハ様に御用があると……。ユトリ様も一緒にご入浴中なのでお通しできないと申し上げると、それどころではないとなかば狂乱気味に……」

「あぁ——……、はいはいはいはい……」


——なるほど。ユユが、俺の身体に入ったままここまで来たってわけか。


「今、何時か分かる?」

一六三〇ひとろくさんまるですが」


 体内時計でも入っているのか、即答するサトリ。


 午後四時半、ってことは、Permutoペルムトによる入れ替わりスワッピング時間は、約三十分か。

 それくらい長い効果時間なら、奇跡を起こした本人が途中解除できる仕様だとは思うが、ユユのやつ、それを探る前にパニくってここまで来やがったな。


——ということは、今ごろユユは……。


 湯船の中での最後の映像——襲い掛かってきた澪緒とユトリの姿を思い出して、軽い眩暈めまいを覚える。


 サトリの方は、俺から検問突破の意思が消えたと察したのか、周囲から警戒心による緊張感が消えた。

 三節槍をリボンの状態に戻すと、壁に手をついた俺に急ぎ足で近づいてきて、


「どうされました?」

「い、いや、大丈夫だ。なんか、嫌な夢でも見ていたみたいで……眩暈が……」

「治癒の巻物で重傷を治した後ですし、お疲れなのかもしれませんね。ハバキ様も、お風呂に入られてごゆっくりなされては?」

「風呂ならさっきまでたっぷり……」

「……?」

「あっ! うん、そっか、風呂ね! 頂こうかなぁ!」

「すぐにお入りになるなら、大浴場は使用中ですので、小浴場の方にお着替えをご用意させていただきますが」

「わ、分かった。じゃあ、それで……」




 浴場は、小浴場とは言ってもかなりの広さだった。

 本来ならゆっくりとリラックスしたいところだったが、大浴場と隣り合っていたらしく、壁の向こうからは女子連中の賑やかな声も聞こえてきて落ち着かない。


 ユユと鉢合わせになることは避けたかったし、すでにタップリと入浴した気分にもなっていたので、からす行水ぎょうずいモードでサッと済ませてしまった。


 用意されていた着替えは、亜麻布リネン地の下着と、黒のカーゴパンツにブーツ、それに、コットン素材のノースリーブサマーニット。編み目の粗いローゲージタイプで、見た目のよりもかなり涼しい。


 学校制服よりはずっとゲーム世界のキャラっぽくなったが……脱いだ制服はどこに持っていかれたのだろう?

 いや、そんなことより、部屋の場所が分かんねえぞ!?


 そのうち見つかるだろう、と気楽に歩き始めたのだが、どうやら浴場は別棟になっていたらしく、すぐに本棟に繋がる渡り廊下に出くわした。

 正面からでは奥行きまで見えなかったのでよく分からなかったが、


「これで、別邸かよ……」


 思わず口に出してしまうほどの巨大な屋敷だった。

 当たり前だが、日本の住宅事情とはまったく違う。


 こんなことなら、面倒臭がらずにサトリに聞いておけばよかった……。

 そのうち誰か使用人も見つけて、迷ったていで部屋の場所を尋ねよう。


 そう思って歩いていると、大きな両扉が開放されたままになっている部屋の前を通りかかる。入り口の上のプレートには〝ᚠᚥᚬᚻᛣᛨᛊアーカイブ〟の文字が。


——archiveアーカイブ? 書庫?


 立ち止まって覗いてみると、学校の教室が三つ四つは入りそうな大部屋に、分厚い本がびっちりと詰まった書架がずらりと整列していた。

 正面奥には、大きな窓に面して書斎机が置かれていたが、人の姿は見当たらない。


——開けっ放しになっているくらいだし、入っても大丈夫か?


 書斎机に近づいてみると、机上には数冊の本が出しっ放しになっていた。

 開いていた一冊に視線を落とすと、ページの見出しが目に入る。


ᛊᚬᛰᛪᛰᛟᛉ ᛰᛛ ᚬᚢᛔᚠᛠᚢᛋEcology of Cubatus


——Ecologyエコロジー ofオブ Cubatusキュバトス……。キュバトスの、生態?


 相変わらずのメメント文字だが、頭の中でアルファベットに変換すれば、文章自体は普通の英文なので、だいたいの意味は分かる。

 明日討伐予定の魔物がどんな相手なのか気になって、少し読み進めてみた。

 しばらくそうしていると——。


 不意に感じた人の気配に、俺は慌てて振り向いた。

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