Final.スクラップアンドビルド

「何をされているのですか?」


 頭の上で揺れる大きなリボン。

 近づいて来たのは、サトリだった。


「わ、わりい。入り口が開いていたから、つい……」

「それは構いませんが……お部屋とは反対方向なので、もしかしたら迷われたのではないかと」

「は、はは……実は、そうなんだ……」

「やはりそうでしたか。広いお屋敷なので迷われる方も多いのです。お部屋までご案内致しましょうか?」

「うん、助かるよ。もう、浴場の警護はいいの?」

「はい。ユトリ様たちもお上がりになられましたので、私も次の仕事へ向かうところでした」

「そっか、お疲れさま」


 そう言って、もう一度机の上に視線を落とすと、


「何か、気になることでも?」

「うん……いや、ここに書いてあるキュバトスって、確かヴァプールで討伐予定の魔物だったよなぁ、と思って」

「そうですね。ゼリー様からユトリ様に密命が届いたのが昨日でしたので、昨夜はいろいろ調べ物をされていたようです。キュバトスは珍しい魔物ですので」

「なるほど……。ところで、今日は、五月の何日?」

「五月? 今日は四月二日ですが……それが何か?」

「いや、何でもない。ちょっと気になって……」

「……?」


 やはり、そうか。

 部屋にあった暦を確認したら、最後は十三月になっていた。恐らく今年は閏月うるうづきのある年。つまり、この世界のこよみはグレゴリオ暦ではなく、太陰太陽暦なんだ。

 まあ、スマホの電池もいつまで持つか分からないし、月の満ち欠けでおおよその日付が分かる旧暦の方が、便利と言えば便利かもな。


「今度、ここにある本、借りて読んでもいいかな?」

「はい、構いません。まだご覧になっていかれますか?」

「いや、今はいい。また今度お邪魔するよ」

「では、お部屋までご案内致します」

「お願いします……」


 一旦、来た廊下を戻って別の通路を進むと、すぐに階段が見つかった。

 さらに一分ほど歩くと最初に案内された客室の前に辿り着いたので、そこで礼を言ってサトリとは別れた。



「ふう……それにしても、酷い目に遭ったぜ……」


 部屋に入ると、ドアを閉めながら独りごちる。

 直後——。


「ほんとだよなぁ……」

「ヒィッ!?」


 部屋の中から聞こえてきた声に驚いて、思わず飛び上がりながら振り返る。

 視線の先で、ソファに座って女神端末アニタブを操作していたのは……。


「ユ……ユユか……」

「そうだよ、掵木はばきくん」

「は、掵木くん?」

「掵木燐太郎だろ、名前?」

「そ、そうだけど……ど、どうしたんだよ、勝手に部屋に入ってきて……」

「あれ? ダメだった?」

「いや、ダメってほどでもないけど、まあ、あんまり褒められたことでも……」

「はぁ~あ?」


 ユユがアニタブから視線を外し、ひたりと俺の両目を見据える。


「じゃあ、他人の身体に入ったことをいいことに、女風呂でくんずほぐれつやらかすのは、褒められたことなのかなぁ?」

「いいことに、って……だってあれは、事故……」

「はぁ~あ?」


 ユユの眉尻が、重力に抗うように上へ跳ね上がった。


「たとえ入れ替わりが事故だったとしても、理由つけて自分だけ一旦戻るとか、何かしらやりようはあんだろ、掵木くん?」

「そ、そうしようとは思ったんだぞ? でも、なんか、流れで……」

「流れ? はあ……流れですか? どんな流れになったら私は、あの二人に胸を揉まれることになるんだろうなぁ? ……流れ? 嘘でしょ?」

「ほ、ほんとだってば! すぐ出ようとしたら澪緒に腕を掴まれて、すぐにユトリにも掴まって湯船の中に放り込まれて——」

「エロ河童がっぱはみんなそう言うんだよ」

「うそつけ! ってか……分かった、俺が悪かった!」


 この雰囲気、理屈でどうにかできる感じじゃねぇ。

 とりあえず、謝罪で乗り切るしかない!


「ごめんっ!」


 その場で膝を着いて土下座する。


「いやぁ~、そんなことされても困るんだよねぇ~、別に怒ってるわけでもねぇし」

「ほんと?」と、顔を上げてユユと目が合った直後、また土下座に戻る。


——嘘つけ! 顔が、般若のお面みたいになってるぞ!


「えっと、でも、ほら! 湯気でモワモワだったし、俺もすぐに湯船に浸かったから、ほとんど何も見てねぇし……」

「そっかそっかぁ~。まあ、別に減るもんでもねぇし、ちょっとくらい見られたって構わないんだけどさぁ」

「そ、そっか……それならよかっ——」

「それはそうとさぁ、あたし今、魔法少女にヤル気マックスなんだよね」


——る気マックスにしか聞こえねぇ……。


「で、アニタブでチェックしてたら、また新しい奇跡、ってやつ? 思いついたんだよ。しかも、なんと、直前の記憶が消せる、ってやつ!」

「ま、マジで? そんなタイムリーな奇跡がよく……」


 い、いや、待てよ?

 あれは一度使ってみないと効果が分からない仕様だったはず。

 なのにどうして、ユユのやつ……。

 と思って顔を上げると。


「ユ、ユユ? それ、テーブルの上にあった女神像だろ? なんで掴んでんの?」

「ああ、これ? よく出来てるなぁ、って思って。……かてぇし!」

「う、うん……」

「でさ、早速、新しく思いついた奇跡、試してみてぇんだけど……また、実験台になってくれねぇかな?」

「……え?」

「こいつで思いっきりぶっ叩けば、前後の記憶くらい飛ばせると思うんだけど」

「そ、そんなもん持ちながらこええこと言うなよ……」

「ん? じゃあ、黙ってぶっ叩けと?」

「そっちじゃないです……」


——そもそも、奇跡でもねぇっ!


「よ、よく考えろ、そんなもので頭をぶっ叩いたら、恐らく死——」

「いや、死なねぇぞ。この屋敷には結構有名な、え~っと、ヒーラーって言うのか? あの巻物みてぇに、傷とかちゃんと治せる人がいるらしくてさぁ」

「だからっておま……」

「スクラップアンドビルドってやつ? でも、脳なんかは複雑すぎて、損傷を治す時に記憶が失われることもあるんだってさ。それ聞いて『これだ!』って思ったね!」


——どれだよっ!?

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