04.エンパス

 そして、現在——。


「思い……出した……」


 俺の呟きに「「うんうん」」と同時にうなず澪緒みおとユユ。

 どうやら全員、これまでの記憶を共有できたようだ。


 今から振り返ると夢みたいな出来事だし、我ながらあんな与太話をよく受け入れたもんだと首をかしげてしまうが、実際に今、見知らぬ森でこうしているのは疑いようもない現実。

 まずは、それを受け入れるしかない。


「とにかく、そういうことらしいから……まずは、こいつを開けてみよう」


 ウエストポーチを肩から外し、ユユの方へ左手を差し出す。


「……ん?」

「ん? じゃなくて……鍵だよ鍵。ユユが持ってただろ?」

「ああ、あれね! あれは、捨てたかな」

「はぁぁあ? どうして!?」

「ポイッ、っと……」

「捨て方を訊いてんじゃねぇ! 理由だよ理由!」

「理由って言われても……邪魔だったから?」

「だからって捨てるか普通!? たかが三センチ程度の鍵だろ!」

「私って、ほら、手ぶら派じゃん?」

「おまえの派閥なんて知らねぇよ! こんな状況なんだし、念のため持って歩くだろ普通!? おかしいよおまえ!」


 みるみる、形の良いユユの眉が吊り上る。


「普通普通って、燐太郎の普通は絶対なのか!? 仕方ねーだろ、記憶が無くなってたんだから! ここぞとばかりに済んだことワーワー責めやがって!」

「な、なんだよ、逆ギレかよ……」

「キレてねぇよ! フェアじゃねぇっつってんの!」

「フェアって何だよ!?」


 ったく、どうすんだ?

 スターターキットって言うくらいだから、とりあえず最初に確認しておくべきものが入っているんだろうけど……鍵を、探しに行くか?

 四メートル近くありそうな断崖を見上げて嘆息する。


「捨てた場所、覚えてる?」

「最初にいた場所だからだいたいは分かると思うけど……あたし、多分上れない」

「直接よじ上るのは無理でも、迂回すればなんとか——」

「そうじゃなくて……左足、くじいたみたい」

「なに!?」


 こんなわけの分からない状況での怪我は最も避けたい事の一つだ。


「ちょっと見せてみろ!」


 ユユの左足首を確認しようと、手を伸ばした瞬間。


「きゃっ! なにすんだ馬鹿!」


 座ったまま、腰を捻って繰り出されたユユの右延髄蹴りラウンドハウスキックが、俺の後頸部こうけいぶにクリーンヒットする。


「ってぇぇぇ……。何すんだよ!」

「そりゃこっちのセリフだ、エロ太郎!」と、ミニスカートの前を押さえるユユ。

「別に、掴んで持ち上げようってわけじゃ……って、まさかおまえ……」

「ん?」

「ノーパン!?」

「んなわけねぇだろっ! ぶっ殺すぞ!」


 再び飛んできたユユの右足を、今度は辛うじてガードする。


「いや、ごめ、ってかちがっ……。澪緒みおがノーパンだっつうから、もしかしておまえもかと思って……」

「え? 妹ちゃんが? おまえら二人でなに話してんの!?」


 ユユから視線を向けられた澪緒が、胸の前で両手をパタパタと振る。


「冗談だよ冗談! お兄ちゃんをからかっただけ。ほら!」


 と、エプロンドレスの裾を摘んで上に持ち上げる澪緒。

 綺麗な太股の間にピンクっぽい何かがチラリと見えたところで、俺が慌てて澪緒の手を押さえた。


「ばっ、馬鹿! 見せなくてもいい! アホか!」

「ん? 何赤くなってるの? いまさらパンツくらい……」

「いまさら?」と、ユユの目が鋭くなる。

「だって、お兄ちゃんとは一緒にお風呂も入ってるし」

「ガキの頃の話だろ! ちゃんと過去形で話せ過去形で!」

「……おまえら、ただの従兄妹いとこなんだよな?」


 いぶかしそうに俺と澪緒を交互に見遣るユユに「あたりまえだ!」と言い置いて、再び彼女の左足首を確認する。

 確かに、右足に比べて若干腫れてはいるが、大したことはなさそうだ。もちろん甘くは見られないが、骨折などの重傷ではないと分かって一先ひとまずホッとする。


 ただ、もう一つ……。


ひざも、痛むのか?」


 先ほどから、ユユが両手で膝の辺りを隠すようにしていたのが気になっていた。


「ずっと、左膝を押さえてるから」

「これは、別に……ただの癖って言うか……」

「そんな癖あるか。ちょっと見せてみろ」

「あっ!」


 片手を掴んでどかすと、現れたのは赤黒く変色した膝小僧。


「これって……」


——火傷やけどの痕?


 変色部分は、膝を中心に上下にも広がっていて、範囲は二十センチほど。かなりの大きさだ。皮膚は完全に乾いていて、昨日今日出来たような火傷じゃない。

 そこでふと、俺はあることに思い当たった。


 中学生でも、三年生にもなればスカートの丈を気にする色気づいた女子が増えてくる中、ユユだけは標準丈よりもさらに長い、膝下十センチ以上もあろうかというスカートをいつも穿いていた。

 それを昭和の女番長スケバンみたいだと誰かが言い出して〝ヤンキー〟なんて呼ばれていたのだが……もしかしてあのスカートって、この痕を隠すため?


「気持ち悪いだろ? あんま見んなよ……」と、ユユが眉を曇らせる。

「そんなことないけど……最近の痕じゃないよな? いつから?」

「ガキの頃だよ。四歳か五歳か、そんくらい。昔の親父おやじが何かっつうとすぐに暴力を振るう最低のDV野郎でさ」

「ま、まさか……これも、その父親に?」


 返事の代わりに、ユユが引きつったような笑みを浮かべる。


「原因は忘れたけど、なんだかすげぇ怒らせた時があってさ。しつけだっつって、ポットのお湯をここにぶっかけやがったんだ」

「……ま、マジ!?」

「そん時は母ちゃんもいなくて、少しの間そのまま放置されてさ、これだよ」


——ひ、ひでえ……。


「ああ、でも、そんな深刻な顔すんなって! 昔の話だし、あの虐待が決定打になって離婚できたと考えりゃ、火傷も無意味じゃなかったっつぅか……ははは……」

「…………」

「っておい? 燐太郎? おまえ、泣いてんのか!?」


——えっ?


 気がつけば、自分でもよく分からないうちに視界が曇っていた。

 エンパス——共感力が高く、人の感情に過剰に影響を受けやすい人のことを言うらしいのだが、俺もそう言われる人間の一人らしい。


 そのせいで俺は、他人と深く付き合うこともなるべく避けてきた。何かの拍子に、他人の感情が無意識下に流れ込んでくるからだ。

 しかも、ほとんどの場合が怒りや憎悪、悲しみや苦しみといった負の感情。


 今も、抵抗できないまま熱湯を足にかけられた幼いユユの気持ちにシンクロして、胸が締め付けられるような感覚に陥っていた。

 成すすべもなく、ただ耐えることしかできなかったであろうユユの苦痛が我が事のように感じられ、肺を絶望で握り潰されたような息苦しさを覚える。


「な、泣いてねぇよ……目汗めあせだ、目汗!」

「めあせって、なに?」


 火傷痕にコンプレックスを抱え、長いスカートで我慢せざるを得なかった中学時代の心労だって、相当なものだっただろう。

 それなのに俺は、何も知らずに、みんなと同じように〝ヤンキー〟なんて呼んで、こいつを傷つけてしまっていたのか……。

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