第二話 転送女神
01.脳の十パーセント神話
『一番線、閉まりま~す、駆け込み乗車はお止めくださ~い、ドアが閉まりま~す』
アナウンスと発車ベルが鳴り響く渋谷駅構内。
山手線内回りの十一両目、つまり、最後尾の車両に駆け込んだ直後、背後でドアの閉まる音がした。
「……ふう! 間に合った!」
閉まったばかりのドアに背中を預ける俺に、
「だから、真ん中らへんの車両に適当に乗ればよかったんだよぉ」
藍色のまつ毛の奥から星を散りばめたような
三年前、事故で両親を亡くした俺を引き取ってくれた叔母さんの娘——つまり、続柄は俺の
「真ん中は混んでるだろ」
「今日は休日だし、そうでもないよ」
「甘いな。休日でも昼間は結構混むんだって」
「なら、先頭の方でもよかったじゃない。そっちの方がずっと近かったでしょ?」
「分かってないな。先頭車両が空いているのは外回り。逆に内回り線は最後尾の方が空いているんだよ」
「ふぅ~ん?」
「な、何だよ……?」
幼げな輪郭を縁取る、黒いショートボブ。目元まで伸ばした前髪の間から覗く、悪戯っぽい上目遣いに、微かに胸が高鳴るのを感じた。
客観的に見ればまあまあ……いや、すこぶる可愛らしい部類に入るのは認めよう。
現に、中学時代はかなりの男子生徒から交際を申し込まれていたらしい。俺に取り次ぎを頼んでくるような連中も一人や二人ではなかった。
昔から、澪緒が俺を呼ぶときは〝お兄ちゃん〟だし、面倒なので対外的にも兄妹と言うことにしているが、一つ屋根の下で暮らしていて自制心を失いそうになったことがないと言えば、嘘になる。
こいつの可愛さが
「まあ、お兄ちゃんは軽そうな紙袋一つだしいいだろうけどね~」
「軽くたって超貴重品なんだよ。おまえだって大した荷物ないじゃん」
「お兄ちゃんの荷物よりは重いよ? お兄ちゃんには持てないかも」
そう言いながら、スポーツ店のロゴが入った巾着型の
形を見る限り、何か球状の物が入っているようだが……。
「可愛いのが買えたから、早く使いたくてウキウキだよ♪」
「何これ? バレーボールか何かか? いくらなんでも持てないわけ……って、どぅわっ!!」
受け取った瞬間、反射的に袋の紐を持った右腕を伸ばして下げる。
肩が、ヤバい! ……という
直後、ガァン!と、けたたましい音を響かせてバッグが電車の床に衝突し、スマホをいじっていた乗客たちが一斉に顔を上げる。
「何すんのよ、お兄ちゃん!」
「そりゃこっちのセリフだ! 肩が、肩が、アイタタタタ……。腱板損傷……いや、腱板断裂の可能性も!?」
「大げさだなぁ。すごく可愛いのに」
唇をツンと立てながら、落ちたバッグをヒョイッと持ち上げて肩にかける澪緒。
そういやこいつ、ゴツい物はなんでも可愛いって形容する癖があったな。
あんなもんを持ちながら、ホームを
「いったい、何が入ってんだ、それ!?」
「ケトルベルだよ」
「けとるべる?」
「行きつけの筋トレショップがさ、店内改装で展示品を安く譲ってくれるって言うから、取りにいってきたの」
ケトルベル——確か、体幹やインナーマッスルなど、全身を鍛えるために使うダンベルの一種だ。
形状がヤカンのように見えることから付いた名前だったと思うが……。
そもそも、行きつけの筋トレショップってワードもJKとしておかしいだろ。
「いったい何キロあるんだ?」
「これは三十キロのやつ」
——さっ、さんっ!?
「なんてもん持ち歩いてんだよ! 下手したら銃刀法違反だぞ!?」
「そんなわけないじゃん。お兄ちゃんが非力過ぎるんだよぉ」
「おまえがおかしいんだよ! 三十キロのダンベルを片手で持ち運ぶ女子高生がいてたまるか! マジで、何か病気かもしんないぞおまえ?」
「だからそれはぁ、普段はちょっとしか使われていない人間の脳をフルに使ってるから、力が出るんだよきっと」
「少年漫画じゃあるまいし……。あのな、それは〝脳の十パーセント神話〟って都市伝説だ」
「神話? すごいじゃん」
「都市伝説って部分に反応しろ! 脳機能マッピングを用いた最新の生理学では、行動の種類によって脳も使う場所を変えていることが分かってるんだよ」
「まっぴんぐ? ゲームじゃあるまいし、変なの」
「変なのはおまえの筋肉だ! 簡単に言えば、脳のすべての領域には機能があって、未使用の潜在能力なんてない、ってこと」
突然背後から、くっくっくっ、と笑いを堪えるようなくぐもり声が聞こえてきた。
振り返ると、ロングシートの端に腰掛けた少女——と言っても、俺と同年代くらいだろうか?——が、顔を伏せ、肩を震わせている。
「……?」
「ふふふふ……。なぁ~んか理屈っぽいのがいるなぁ、と思ったら……おまえ、セツメイじゃん」
——誰だこいつ? 俺のこと知ってんのか?
「説明ってか、正確な情報を提供してただけで……」
「セツメイってのはあだ名のことだよ。おまえ、中学の頃、セツメイって呼ばれてなかった?」
——た、確かに……!!
「なんでそれを? もしかして、
「やっぱそうか。……三年で一緒のクラスだった
「ユズリハ、ユズリハ……って、あの
「ヤンキー言うな!」
楪がシートに座ったまま繰り出した蹴りが、俺の持っていた紙袋にクリーンヒットすると、中からグシャリと嫌な音が聞こえた。
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