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2019年11月11日 17:14 編集済
中世が舞台の小説に稚児は欠かせないと思ってしまうほど、稚児好きなので、興味深く拝読しました。おっしゃる通りだと思いました。稚児灌頂とは寺院の稚児を観音の化身として礼拝した儀式なのか?稚児灌頂を授けられた稚児は夜伽相手だったのか?その両方だったのか気になります。真実は中世の天台寺院の闇の中ですね。
作者からの返信
おぼろつきよさん、コメントをありがとうございました。実態はすでに分からなっくなっているのは事実ですが、各寺院に今でも残る観音開帳時の稚児行列はその名残と思います。現代では「お稚児さん」などと親しみを込めて呼ばれますが、当時もそういう面があったかも知れませんよね。ソメヤン先生の授業での法華経の観音経の部分を見ると観音信仰が根拠になったことはほぼ間違いはないと思います。あとは浮世草子、稚児草紙などを穴のあくほど研究するのみと思います。お互い妄想をがんばりませう!
編集済
中世が舞台の小説に稚児は欠かせないと思ってしまうほど、
稚児好きなので、興味深く拝読しました。
おっしゃる通りだと思いました。
稚児灌頂とは寺院の稚児を観音の化身として礼拝した儀式なのか?
稚児灌頂を授けられた稚児は夜伽相手だったのか?
その両方だったのか気になります。
真実は中世の天台寺院の闇の中ですね。
作者からの返信
おぼろつきよさん、コメントをありがとうございました。実態はすでに分からなっくなっているのは事実ですが、各寺院に今でも残る観音開帳時の稚児行列はその名残と思います。現代では「お稚児さん」などと親しみを込めて呼ばれますが、当時もそういう面があったかも知れませんよね。ソメヤン先生の授業での法華経の観音経の部分を見ると観音信仰が根拠になったことはほぼ間違いはないと思います。あとは浮世草子、稚児草紙などを穴のあくほど研究するのみと思います。お互い妄想をがんばりませう!