第6話

バシャ・・・。

冷たいものが顔にかかった。

「うおっと!バーン、すまん」

「!」

びっくりして目を開けると顔が水だらけになっていた。

(夢か。……やっぱり、夢)

聖メサ・ヴェルデ学院の調理準備室。いつもの喧騒の中。臣人は蛇口をシャワーにして食器を洗っていた。食器のぶつかる音と水の音がこだましていた。どうやら、部室となった準備室に持ち込まれたソファの上で眠ってしまったらしい。頭を廊下側に向けて寝ていたところに、洗った食器を運んできた臣人が雫をかけてしまったのだ。

(あんなにリアルな過去の夢を見るのもひさしぶりかもな。夢でもいい。彼女に会えた。彼女と……)

ふいに、涙がこぼれた。自分では泣いている意識はないのに、眼からすっと自然に涙が流れ落ちた。そうこうしているうちに臣人がタオルを持って彼のところへ戻ってきた。

バーンはあわてて、両手で自分の顔を下から上にぬぐっていき、前髪をかき上げるような仕草をしているように見せた。臣人に涙を見られたくなかった。

「ほれ、これでなんとかせい」

臣人はタオルを差し出しながら言った。

「別に平気だよ。このくらい…」

「わいの厚意が受けとれんてか。ならばこうしてやるで」

そういうと同時に、臣人はバーンの顔を無理矢理ゴシゴシとタオルで拭き始めた。

「!?」

タオルは柔らかくて、日なたのにおいがした。

「これでどや?」

バーンの顔が赤くなっていた。臣人は挑発するように仁王立ちになり、両手を腰にあてて満足そうである。そんな臣人の姿を見てもバーンは顔を押さえながら、無反応だった。

「……」

「ん? やっぱ変やで」

「……」

「また、つらい夢、見たんか?」

「ここにこうしていることも夢かもしれないな」

ぽつっとバーンが言った。それを聞いた臣人は怒った口振りで言った。

「何、いっとんねん。ここが現実や」

「夢と現実の区別ができなくなりそうだったんだ。いろんな夢を見て」

「じゃあ、わいが信じさせたる」

臣人はバーンに左手を差し出した。バーンは差し出された臣人の手をじっと見た。節のあるいかつい手だった。彼も左手を差し出して、臣人の手首を握った。手と手、腕と腕がひとつにつながった。

(そうか、そういうことか……)

突然バーンは心の中で悟った。臣人はバーンを力強く引き起こした。

(俺ひとりって訳じゃなかったな。ラティ)

くすっとバーンは笑った。大切なことを思い出したのだ。臣人がいる『ここ』が『現実』だと。

「今度はにやにやして。気持ち悪ぅ。ホントおかしいで」

サングラスの上に見える眉毛がはの字になっていた。

「なんでもないよ…」

「?」

「それで?」

「ほな、遠慮なく」

にっこり笑って、臣人は右手を握ると、バーンの腹部にいきなり一発見舞った。もちろん思いっきり腰が入った一撃ではなく、あいさつ程度の威力で。

「信じたか?」

腹筋のガードが間に合わなかった。臣人の拳はきれいにバーンのみぞおちちょっと下に入った。体が硬直し、数秒後に脳が自分に起きたことを理解した。呼吸が一瞬止まり、体がくの字になり、臣人の方へ寄りかかるような形になった。

「ってぇな」

腹部を押さえながらバーンが顔を上げた。けれど、二人とも左手は離さなかった。さらに力を入れて握っていた。

「へへん」

臣人は鼻の下を得意げにこすりながら言った。

「臣人、盆に円照寺に帰ってから変わったんじゃないか?」

バーンが臣人を見た。

「お前こそ、“回峰行”してる間に変わったとちゃうか!?」

臣人もバーンを見た。そして、二人は何事もなかったように手を離した。

夏休み終了まであと2日と迫った日のこと。残暑厳しい夏の終わり。午後のひとこま。



すべてはルーンの導きのままに…

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