第8話
「へえ、またすごいもの書いたね」
「うんうん、百合子には才能を感じるよ」
体操着姿の由美と制服姿のまりあが、手を叩いて百合子の書いた文章を褒めた。
由美とまりあに本日の成果を披露することが出来たのは、学校が一日の活動を終え、学生たちを校外へ吐き出す作業に躍起になっている部活終了後のちょっとした時間だった。
百合子と由美が、窓から斜陽が差し込む教室に戻ってきたのは、放課後の部活動を終えて着替えをするためだったが、そこでばったりまりあと出くわしたのだ。
教室には三人のほかに人がいなかったから、秘密のリレー小説についても声高らかに語り合うことが出来た。百合子、由美、そしてまりあの三人は帰り支度も半ばに膝を寄せ合って一冊のキャンパスノートを見つめた。
百合子が本日の授業中のほとんどを費やして執筆したエピソードは、二人におおむね好評だった。現実ではうだつの上がらない「インテリ系根暗ボッチ」田中義久を中心にしたタイムスリップ系エピソードは、リレー小説の新たな可能性を予感させた。
しかし、ふと由美が難しい顔をした。
「でもまさか、百合子が田中を登場させるなんて思わなかった」
「え、そう?」
百合子は鳩に豆鉄砲という顔で首を傾げた。
「そうそう」とまりあも由美に同調した。「それに、この田中くん、ちょっと美化されすぎてない?」
「まりあってたまに毒舌だよね。まあ、田中は確かに、もっと暗い奴って気もするけど」
「やだなあ私は田中くんのこと、暗いなんて思ってないよ? ただちょっと、いつも一人でいるし、いつも難しそうな本読んでるし、話しかけづらいなっていうね、そういうイメージ」
「それを「根暗」っていうんでしょ」
由美がぴしゃりと言った。
百合子としては、由美にしろまりあにしろ言っていることは大いに正しいと思ったし、とりあえず田中には今日のうちに前髪を切ってこいと言いたかったが、そもそも田中を勝手にリレー小説に登場させたのは百合子なのだから、少し罪悪感が胸をよぎった。
田中の名誉のためにフォローに入らなければと思った百合子は、小さな声で「そんなことないよ」と言った。
もしも友人たちが百合子の声を聞き逃していたら、心の中で田中に謝罪したのち由美と一緒になって田中の根暗さを肴におしゃべりに興じるつもりだったが、友人たちはどちらも耳ざとく、百合子の小声を聞き逃さなかった。
「え?」
「ん?」
そう言って石膏のように固まった由美とまりあ。
耳鳴りがするような沈黙が突然訪れた。
あ、まずい、間違えた。
そう思ったところで遅かった。もはや二人は、動こうとしないこと日曜朝のサラリーマンのごとし。百合子は仕方なく、乾いた唇を舐めて言葉を紡いだ。
「いや、その、ね。田中もそんなに悪くないと思うよ。うん、確かに暗いのは暗いけど、よく言えばうるさくないし、それに割と人の話も聞くし」
そう言って百合子がおずおずと顔を上げて石像のように固まっていた二人の友人の顔を見比べると、二人とも頬のあたりをひくひくと痙攣させていた。
「ななな」と由美が言う。
「まさか」とまりあが言う。
「田中のこと――」
「好きなの――」
興奮抑えきれぬという様子で詰め寄る由美とまりあは、まるで立候補五回にして初当選を果たしたことを伝えられた代議士のようだったが、一方の百合子は事態について行けていなかった。
「え、何? え、え?」
田中のことを好き?
なぜそんな話に。
それから由美とまりあは、ベテラン記者もかくやと言った感じで様々な質問を矢継ぎ早に百合子に浴びせた。
女は恋愛話を糧にして生きていると言ってよいほどコイバナには耳ざといことを忘れていた百合子は、女子中学生二人の熱量に圧倒さて自分が老いたことを人知れず感じ、少し疲れた。
ようやく、由美とまりあが落ち着きを取り戻し、晴れて誤解が解けたのは、十五分にもわたる百合子の冷静で論理的な説得の成果であったが、この時の説教話にもやはり年齢がにじみ出ているのを自覚し、百合子は非常に疲れた。
はあ、と百合子が息をつくと、ほう、と由美が胸をなでおろし、まりあがにこやかに笑った。
「まあでも、そう、そうだよね。百合子が田中くんなわけないよね。百合子は朝倉くんだし」
「だよねー。うん、そんなわけないと思ったけど、ああ、びっくりした」
まりあに「朝倉君」と言われ、百合子は古傷に爪を立てられたような気がしたが、微笑の仮面を被ってごまかし、ようやく恋愛話に一区切りついた。
そして、百合子たちは気を取り直して、放課後の教室で黒板を使ってしばらく遊んだ。
人気のない教室で絵しりとりに興じ、時に下品な下ネタやブラックジョークを挟み、その度に百合子は腹を抱えて笑った。
そして、思い出した。
昔はこういうのがすごく好きだったのにな。
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