第21話 おじさん失踪事件

「・・・どっ、どうしたんだ?」


 俺は恐る恐る聞いた。


「頭・・・」


「えっ?」


「これ、見てみろよ・・・」


 そう言うと、斉藤は体を起こし、何か手渡してきた。手に置かれたそれは、血ではなく、帽子。泥棒が被っていた、これはどうやらニット帽の様だった。


「おい、これって・・・」


「髪が・・・、髪があるんだ、髪が・・・、髪が・・・」


 ぶつぶつと「髪」を連呼する斉藤。俺は斉藤に馬乗りにされている泥棒の顔を覗き込んだ。そこには、例の禿げ頭のおじさんとは180°違う、フサフサの髪を蓄えた若々しい青年が横たわっていた。


 やはり、あの声の通りの人物だったようだ。マスクも取れていたので顔も丸見えになっている。その顔は・・・、うん、類は友を呼ぶ・・・。いや、俺じゃないよ。今馬乗りにしている方さ。不細工同士でも相手は犯罪者なのだから奴の方が全然マシさ。


 それはさておき、この顔、冗談抜きで斉藤に雰囲気が似ているように思えた。目元なんか特にそっくりだ。斉藤の奴、もしかして商売を間違えたんじゃないのか。インチキ探偵より、不埒なこそ泥の方が性に合っているということだ。って、流石に酷い言い方だったなと思い、俺は小さく反省した。


「これは、一体どういう事だ・・・?」


 目の前の光景を受け入れがたい様子の斉藤。気持ちは分かる。先に気づいた俺だって同じ気持ちだったのだから。


 泥棒は目を瞑り、うんうん唸っていた。とりあえず、不意を突くという反則技とはいえ、この捕り物は斉藤の勝利のようだ。俺はホッと息を吐く。天命はまだまだ先だった様だ・・・。


 しかし、見事召し捕ったというのに、この何とも報わない気持ちは辛い。本来なら、しょうもないおじさん探しなんかより、泥棒を捕まえたという、ずっと立派で素晴らしい功績を上げたというのに、骨折り損な気分にしかなれないなんて・・・。何とも贅沢と言うか、不謹慎と言うか、とにかく複雑な気分にしかなれなかったのだった。


「俺たち、何をやっていたんだ?せっかく、息切らして追いかけたのに・・・。ようやく、おじさんと会えると思ったのに・・・。これでやっと、水原さんに結末を話せるのに」


 そう話す斉藤の声は震えていた。無理もない。俺だって辛い。ここまでやって結局振り出しである。またやり直せばすむことだろうが、これが小説なら、勧められて渋々読み始めたのに、クライマックス直前で突然本を取り上げられ「それ俺が薦めた本じゃない」と言われて、別の本を渡されるようなものだ。アウトドア派の俺は元々そんなに読書をしない。それなのに、ここにきて読み直しなんて辛いに決まっている。


 これが本当に小説なら、取り上げられた時点でもう読むのを止められるがこれは現実。起っている事は非現実的であるけど現実なのだ。だから、違うと分かっていても投げ出すことは出来ない。この見当違いの本も一応最後まで読破しなければならないのだ。それがまた辛い。しかも、危険と隣り合わせときている。全く、不運というには余りにも余りある展開だ・・・。


 俺がそうやって無情に耽っていたその時だった。突然泥棒が目を見開いた。そして俺がビクリとする間もない程の次の瞬間、泥棒は思い切り片足を空中に蹴り上げた。


 何をする気だと思ったが、直後の斉藤のうめき声と、自分の股間を押さえる仕草を見て、泥棒が斉藤の大事なところに強烈なお返しをしたことがすぐに分かった。今度はどうやら本当に断末摩らしい。南無阿弥陀仏・・・。


 泥棒はもがいている斉藤を突飛ばすと、ようやく立ち上がった。飛ばされた斉藤は、地べたに尻餅をつきながらもまだ股間を押さえている。やはり相当なダメージだったらしい。


「誰だお前ら!?」


 息を切らしながら、声を荒げる泥棒。その声はかなり上ずっていた。


 興奮冷めやらぬ泥棒に、事情を説明しなければならないのだが、斉藤は股間のことで今は手一杯な様子。実際、両手は股間に当てられているし。


 なので俺が何か言わなくてはならない状況になってしまったのだが、何をどう言えばいいのか分からない。まさか一から話して人違いでしたとは言えるはずもあるまい。


 俺が言葉に詰まってしどろもどろになっていると、斉藤が股間を大事そうに摩りながら立ち上がった。


「・・・悪い、人違いだったんだ」


「・・・人違い?」


 さすが斉藤、やはりはっきり言うつもりのようだ。やっぱりお前の出番だよ。


 泥棒も斉藤のその言葉で、興奮から困惑に変わった様子。目を丸くして俺たちを交互に見ている。


 まあ、無理もない。あれだけ乱暴にされて人違いでしたで済まされては、いくら泥棒とはいえ理不尽というものだろう。


「ああ、俺たちは頭の禿げた、とあるおじさんを探していたんだよ。それでようやく見つかったと思って喜んでいたら、お前だろ?完全に大失敗の大空振りだよ・・・。」


 力なく答える斉藤。それを未だ落ち着かないであろう心臓を静めるため、肩で息をしながら静かに聞いていた泥棒は、さっきの丸い目を今度は細く鋭く変え、ゆっくりとした口調で言った。


「・・・じゃあ、自分は関係ないんだな?」


「ああ、無関係も無関係さ」


「そうか・・・」


 その言葉と共に、大きなため息をつく泥棒。目の鋭さも消えていた。どうやら落ち着いたらしい。人違いと分かってホッとしたのだろうが、何だかそんな泥棒を見て、さっきまでの自分の緊張が笑えてきてしまった。


 相手もやはり緊張していたのだ。泥棒にシンパシーを感じる必要は無いのだが、年恰好も俺たちと同じだし、妙に親近感を感じるは事実。あっ、顔は俺の方が・・・。


 しかし、そう思ってよくこの泥棒を観察してみると、この黒っぽい服が厚手のダウンジャケットで、真ん中のジッパーが開いた奥からネクタイが見え、スーツの上着が見え隠れしているのに気がついた。どうやらスーツの上からダウンジャケット、そしてニット帽にマスクで、サラリーマンと気付かれないようにしたかったらしい。


 この辺りはオフィス街だし、サラリーマンと分かれば、この近辺の人物だと分かるのは問題だからだろう。


 しかし、そこまでして悪事を働く動機とはなんなのだろうか。この一流企業の巣窟と化している場所で働いているわけだから、この男も当然エリートなのは間違いない。さっき親近感を感じたばかりだが、やはり俺たちとは住む世界が違うのだ。そんな人間が泥棒なんて全く信じられない。


 ・・・さて、これからどうすればよいのだろう。斉藤は一体何を考えているのか。結局、人違いだったわけだけど、まさかこのまま野放しというわけにもいくまい。やはり小説とは違って、最後までやり切らなければならないだろう。


 今、相手は俺たちが泥棒だと思って飛びついたとは思っていないのだから、この隙を狙えば今度は本当にお縄を頂戴することが出来そうである。


 そりゃ最初はこんな展開は予想していたはずが無いのだから、棺桶を恐れてへっぴり腰になっていたのは事実だ。しかし、今ならやれる。俺も今度は手伝うつもりだし、千載一遇のチャンスなのだ。


 それに、もしも最悪おじさん探しに失敗しても、これだけの功績を手土産に持って帰れば、俺たちはきっと社内で英雄扱いだ。今まで仕事が出来ないと見下してきた奴等を見返すことが出来る。特にあの山田の奴には一泡吹かせたい。


 だからといって俺の退職願望は変わらないが、この功績を置き土産に辞めないでと懇願する山田に、後ろ足で砂をかけて去る光景は何物にも変えがたい瞬間だと想像できる。


 斉藤だって本の中の犯罪よりも、実際の犯罪を自分で成敗した話をした方が、水原さんの印象もぐっと良くなると思うのだが・・・。


「本当、悪かったな。じゃあ、俺たち行くよ。行こうぜ・・・」


 そんな皮算用をしている俺に、斉藤は力なくそう言うと、何と泥棒に背を向けて歩きだしてしまった。思わず「えっ?」と漏らした俺。一体こいつは何を考えているのか。まさかこれだけのチャンスをみすみす捨てるつもりだというのか。


「おい、何してんだよ」


 俺はどんどん歩いていく斉藤の肩を掴んで言った。


「何だよ?帰るんだよ。あいつは違ったんだ。なら、もう俺たちがここにいる意味ないだろう・・・」


「意味ないって・・・」


「意味無いだろう?ってか、もうお仕舞いだよ。これで完全に手がかりを失った。後はあのバス停で待ち続けるだけだけど、それも意味があるのか・・・」


「だからって、このまま帰るのか?相手は泥棒だぞ?このまま見過ごすなんて」


「泥棒なんてどうでもいいよ。俺に必要なのはおじさんだけだ・・・」


 聞く耳を持たない斉藤。いくらおじさん探しに御執心とはいえ、目の前の犯罪者を放っておいてまですることなのだろうか。そんことをすれば、俺たちも犯罪になってしまいそうなレベルの行為である。


 しかし、覇気無く答える今の斉藤に、これ以上何を言っても無駄だというのは、今までの経験でよく知っている。


 ここはあまりにも愚かな行為ではあるが、一人で奴を捕まえるわけにもいかないので、せっかくの手柄ではあるが、俺は渋々ながらも斉藤についていくことにしたのだった。


「・・・おい、ちょっと待て」


 すると背中から声が。見ると、泥棒が再びさっきの鋭い目を、いや、それよりも一層鋭くして俺たちを睨んでいた。


「なっ、何・・・?」


 睨む泥棒に恐怖を感じた俺は、恐る恐る聞いてみた。


「・・・今、泥棒って言ったよな?人違いって言ったけどどういうことだ?」


「あっ、いや、さっきこいつが言ったように、俺たちが探していたのは、禿げ頭のおじさんだから・・・」


「はぁ?だけど、自分が泥棒って知ってるよなお前ら」


「いや、だから・・・」


 言葉に詰まっている俺に、斉藤はようやく歩みを止めて、首だけで振り返って言った。


「心配するな。お前が泥棒だからって興味ないから。誰にも言うつもりは無いよ・・・」


 その言い方が、まるで映画の主人公が、倒した敵に情けを送って去っていくシーンに見えて少し格好良かったが、実際は情けをかけていい場面ではない。本当にこのままでいいのだろうか。


「・・・心配するな?それを信用しろっていうのか?冗談じゃない、このまま帰すわけに行くか!」


 どんどん鼻息が荒くなる泥棒。そりゃそうだろう、見ず知らずの男たちをそう簡単に信用できるはずも無い。実際、斉藤にその気が無いなら俺だけでも後で警察に行こうかなと考えていたのだから。


 泥棒は凄い剣幕で、ゆっくりとこちらに近づいてきた。そして、途中で放り投げられていた鞄を拾った。まさかと思い後ずさり。泥棒は鞄を開けると、中から出てきたのはなんとナイフ。それを見た瞬間血の気が引いていく。突然の取っ組み合いで、すっかり忘れてしまっていた事がまさかの現実になってしまった。やはり、ここが天命だったのか・・・。


「おいおい、信用しろよ。俺たちは本当にお前の事、話すつもり無いよ」


 一方、斉藤は顔色一つ変えずそう言った。なんて肝の据わっている奴だ。あのナイフが見えないのか。銀色の折り紙じゃないんだぞ?こいつの行動には驚かされっぱなしだが、まさかここまでとは思わなかった。というか最早、馬鹿としか言いようがない。


「信じられるか!」


 泥棒はそう怒鳴ると、ナイフを両手で掴み、勢いよく突進してきた。やばい、本当にやばい。こっちは丸腰、早く逃げないと!!


 俺が回れ右をして、思い切り地面を蹴り、通りに駆け出そうとしたその時だった。


 なんと斉藤はあろうことか、俺とは正反対の方向へと駆け出していってしまったのだ。それは説明するまでもなく、今にもナイフを突き刺そうとしている泥棒の方。斉藤め、馬鹿を通り越してとうとう狂ってしまったか!


「斉藤!!」


 俺の制止には目もくれず、斉藤は一切の迷いなしに、泥棒に向かって勢いよく突っ込んでいった。そして、まさに泥棒と重なるその瞬間、俺は思わず顔を背けたのだが、それと同時に、鈍い大きな音が俺の耳に入ってきた。


 見るとなんと斉藤は、持っていた鞄を泥棒の脳天に直撃させていた。あれだけの勢いと音だ。泥棒はそのまま後ろに倒れて尻餅ををついてしまった。


「斉藤!」


 俺は斉藤の側に駆け寄った。何て奴だ。狂うにも程がある。


 怖くて逃げたい気持ちで一杯だったが、こいつを置いていくわけにはいかない。尻餅をつかせたとはいえ、まだ奴を完全に倒したわけではないのだ。


「斉藤!早く逃げるんだ!」


 泥棒は尻餅をついたが、ナイフは健在だった。そんな泥棒に対し、斉藤は止めを刺そうと鞄を振り上げた。まだやるつもりか。もういい加減にしないと、今度こそ棺桶だぞ。


 尻餅をついている泥棒に、再び斉藤が天誅を下そうとしたその時だった。何だか聞いた事のあるうめき声が俺の耳に届いたのだ。この声はさっきも聞いた。もしやと思って下を見ると、泥棒の蹴り上げた片足が、またもや見事に斉藤の股間に命中していたのである。南無阿弥陀仏・・・。


 入れ違いに尻餅をつく斉藤。その様子を見た泥棒はニヤリと笑い、ナイフを握りなおした。


 やばい、とうとうやばい!ここは俺が何とかしなくてはいけないのか!?


 しかし、足が動かない。心臓がまるで取り立てにきた借金取りのように、胸のドアを荒っぽくドンドンとノックしてくる。


 これは心臓が「行くな!やられるぞ!」と引き止めているのかもしれない。そりゃそうだ、このまま行けば確実に殺られる。刺すとなれば心臓が一番だ。今、俺の心臓君は全体内の中で、一番身の危険を感じているに違いない。


 しかし、このまま見ているわけにもいかない。逃げるわけにもいかない。


 頑張れ、やるんだ!斉藤だって頑張ったんだ。俺がやらなければ誰がやるんだ。頼む、心臓君、行かせてくれ・・・!!


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