第30話 指輪。

「高野さ~ん。」

 

 駅から出てきた博美が、高野の姿をみて、手を振りながら駆け寄ってきた。

 

「博美さん、すみません、遅くなって。」

 

「ほんとよ。あんまり遅いから、悪いとは思ったけど、電話してしまったじゃない。」

 

「ごめん。いろいろとあったもんで。言い訳するわけではないけど、忘れてたわけではないんだよ。タイミングがなかなかね。博美さんに電話してもらってよかった。ほんとにごめん。」

 

 博美は、あたふたしている高野を見てクスッと笑った。

 

「もう、仕方がないわね。駅まで迎えにきてもらったし、許してあげる。でも高野さんが焦ってるの初めて見たわ。」

 

 そう言うと、博美は、日が傾いてきた薄い日差しの中に、何かに気が付き立ち止まった。

 

 

「あれ?フルール、なんか雰囲気が違うような気がする。店の前、何もないじゃない。とうとう閉めちゃったの?駅前なのにお客いなかったもんね。あのマスターじゃね。」

 

「あぁ、マスターはね、今、一緒にいるよ。店は閉めたのかな。何も言ってなかったけど。」

 

「うそ、一緒にいるって、なんで?。」

 

「自分も驚いたよ。実は、マスターは、浜本賢先生のお兄さんで、浜本慎さんっていうんだけど、美香先生の研究の補助してたみたい。元々精神科医で、医者が性に合わないとかで、マスターしながら、マジックとか、催眠術とかやってたみたい。」

 

「そうだったんだ。あの不敵な笑みは、みんな私たちの事知ってたってことなのね。なんか、嫌な気分。」

 

「あ、そうだね、でも、悪い人じゃないみたい。」

 

「高野さん、人が良いから。ね、電話だと、あの電車があった場所に、研究所があるって言ってたけど。みんな、そこにいるって事?」

 

「そう、そうなんだ。向こうでまた話すよ。言葉での説明が難しいから。」

 

 高野は、以前より幅広く踏みしめられた草むらの中の小径を、後ろの博美に話しかけながら歩いた。

 

「わかったわ。ねっ、奈美さんは?電話では美香先生との対決するって言ってたけど。」

 

「ん?あ、奈美さんね。今、眠ってる状態だけど、ちょっとトラブルがあって、まだ始まってないんだ。」

 

「そうだったの…。奈美さん苦しいかな。大丈夫かな。」

 

「赤野さんが頑張ってくれているよ。」

 

「赤野さん?赤野さんて、あの診療所の赤野さん?」

 

「そうそう、美香に専属でついてる看護師さんでもあるんだ。すごいんだよ、赤野さんって。」

 

 高野は、歩を進めつつ、時折、博美の方に身体を向けながら、研究所で見たことをすべて話をした。

 

「なんか、自分には理解できない世界だわ。あの、高野さん、どうしたの?さっきから、なんだかソワソワしてるけど。」

 

 高野は急に立ち止まり、振り返った。

 

「あ、あの、ごめん…。指輪、久住が指輪持ってたんだ。」

 

「うそ、直哉が持ってた指輪?ほんとに?それ、早く言ってよ。」

 

「ごめん、どう切り出せばいいのか分かんなくて。」

 

「もう、若い子じゃあるまいし。」

 

「いやいや、とっても大事なことだから、そう簡単には扱えないよ。直哉さんの気持ち考えると。」

 

「あ、ごめん、ほんとだね。高野さんがこんな風に思っててくれてるのに。ごめんなさい。」

 

 高野は、上着の内ポケットから、リングケースを取り出した。

 

「これだよ。」

 

「これ…直哉なのね。やっと、やっと逢えたんだ…。」

 

 博美はリングケースに、優しく頬を当てた。

 

「中、確認してごらん。」

 

「やだ、ドキドキする。手が震えるわ。どうしよう。」

 

「大丈夫。大丈夫。」

 

 高野はそう言いながら、博美の肩を擦った。

 

 博美は、リングケースを真っすぐ見つめながら、息を深く吸って吐いたあと、蓋をゆっくりと開けた。

 

「きれい…。二つ。直哉の分も…。」

 

「直哉と私の名前…。ありがとう、直哉…。」

 

 リングの内側を何度も確かめて、そうつぶやいた博美は、その場で泣き崩れた。

 

「はめて見たら?」

 

「あの、高野さん、はめてくれる?」

 

 博美は、潤んだ目で、高野を見上げた。

 

「いやいや、そういうわけにはいかないよ。」

 

「直哉、高野さんならいいって言ってくれるわ、きっと。自分ではめるのは虚しすぎる…あ、でも、ごめん、やっぱり失礼だよね、こんな事。」

 

 博美は、腕を組み頭をかしげた高野を見て、慌てて訂正した。

 

「ねぇ、博美さん、直哉さんの写真っ持ってる?」

 

「えぇ、あるわよ。」

 

 博美はそう言って、膝に付いた草を払いながら立ち上がり、バックの中から取り出した写真を高野に渡した。

 

「この写真の直哉さんを、そうだな、ネクタイピンで、私の胸あたりで止めて、これでどうかな。直哉さんが、私の手を借りて、指輪をはめる。ってのはどうかな。」

 

「ありがとう。高野さんって、なんていい人なの。この場面、奈美さんにも見てほしかった。」

 

 博美は、そう言いながら、鼻を赤くし、しゃくりあげるように泣いた。

 

「そんなに泣かないで。プログラムに入る前に、奈美さんが自分に言ったんだ。指輪、博美さんに渡してねって。」

 

「そうだったの…。ありがとう、奈美さん。」

 

「さぁ、顔拭いて。きれいな顔が台無しだ。」

 

 高野はそう言って、博美にハンカチを差し出した。

 

 西陽に照らされた木々が囲み、柔らかな光に包まれていた二人の姿は、影絵のようなシルエットを映し出していた。

 

「この演出。いいね。直哉さんも笑ってるように見える。」

 

「ほんと、笑ってる。」

 

 博美の頬に、また一筋の涙が伝った。

 

「では、直哉さん、失礼するよ。」

 

 高野は、目を閉じ、そう言ったあと、ゆっくりと目を開け、そっと博美の左薬指にはめた。

 

「すごい、ピッタリだ。」

 

「ありがとう。」

 

 博美は、指輪をはめた白く細い指を、西陽にかざした。

 

「やっと、直哉さんと一緒になれたね。」

 

「うん、高野さん、ありがとう。ほんとうに直哉が見えたわ。」

 

「それがいいね。良かった。さ、研究室へ急ごう。」

 

 高野は、見つめてくる博美の目を逸らすように、足を速めた。

 

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