第26話 久住宗一郎が語った事。

 久住宗一郎って…。


 奈美は、拳を握りしめ、暗がりの中に現れた人物をじっと見つめて言った。


「浜本先生、これ、どういう事ですか?説明して下さい。」


「そう、目の前にいるのは、あなたたちが探していた久住宗一郎だ。黙っていて、すまなかった。君たちに久住先生の事を言えば、正気ではいられなくなる。」


「当たり前でしょ。この人がしたことを許せるわけないじゃない。博美さんも、高野さんも、これまで、どんな思いで生きてきたか。」


 奈美は、声を震わせ、頬を紅潮させ、自分を必死に抑えていた。


「奈美さん、分かってる。分かっているよ。ただ、むやみにこの人を責めたところで、憎しみが増すだけだ。美香が、この灯しや診療所を作ったのは、人が自分を見失ったり生きづらくなったりした時、自己を見直しどう生きていくかを見出していくことを目的としたものだった。たとえ犯罪者でもな。被害者は、犯罪者に対して、怒りや憎しみや、極端なことを言えば殺意をも抱いてしまう事がある。それは、正常な感情だ。そのことを否定はしない。ただ、犯罪者が、その感情を浴びせられても、自己を理解できてなければ、何にも響かない。返って、双方の感情の上塗り合いになってしまうのが落ちだ。だから、罪を犯した者の心理を探求し、自己を理解するための手段が必要だ。そういった催眠プログラムを作り上げる為に、久住先生に研究の協力者として声を掛けた。それで、時々、こうやって覚醒させて、被験者の評価をしていたんだ。」


 高野が、浜本の声を遮った。


「ちょっと待って。きれいな言葉ならべてるけど、それって、ただ単に犯罪者に罪を償わせないで、自分の研究を優先させてることにならないか。その上でどんな立派なことしても、納得はいかないよ。」


「そうだな。高野さんの言うとおりだ。美香は、久住先生を、警察へ突き出さない代わりに、研究の被験者となる事を依頼した。取引したということだ。」


「そんな取引を、浜本先生は、黙認していたってことよね。」


「そうだな。この研究には、自分たちの夢でもあったから。美香のやっている事に目を瞑った自分たちにも責任はある。」


「研究なんて、私たちには、どうでもいいわ。この人も美香も、私たちにしてきたことを謝って罪を認めて償ってほしい。それだけ。美香なんて、私の小さい頃の記憶を操作してるのよ。それも犯罪じゃない。私の人生も変えてるの。そうでしょ、加藤さん。」


 奈美の口調は強くなっていった。


「まあ、そうなるね。でも立件は難しいだろうな。記憶の操作なんてどう証明するんだ。」


「先生、美香先生のレートちょっと上がってきてます。どうしますか?」


 若い女性の声がした。


「えっ、どこから声?他に誰かいるの?」


「波形問題なければ、経過見ていてくれ。」


「了解です。」


 どこからか聞こえる声がそう答えた。


「看護師だ。美香のケアと、別の部屋でデーター管理をしてくれている。看護師の中で唯一、治療機器の管理操作が出来る看護師なんだ。」


「美香がやってる事や、この人の事を知ってるの?」


「どこまで知ってるかは分からないが、ある程度知らないと、美香の研究の補助は困難だろうな。久住先生が倒れていた時に、彼女が救急車を呼んで同乗してきたと言うのもあるな。」



「施設も人材もすごいわね。でも、私がここに来たのは、そんな事を知るためじゃない。美香に聞きたい事がたくさんあるのよ。でも、美香が眠っていたら、何も出来ないんじゃないの。なんで、眠らせたのよ。」


「美香は自己をコントロールできなくなってきていたんだ。博美さんの記憶を操作しようとしていたように、君たちに何をしでかすか。奈美さんの記憶を消してしまうかもしれない。」


「その方が、この人たちにとっては都合良かったんじゃないの?」


 話そうとした浜本を、久住が手を挙げ遮った。


「そうだな。その方が都合良かった。私の記憶も消して、何も無かったことにすれば、それはそれで、楽で良かったのかもしれない。ま、現実で起こった過去は変えられないがな。」


 奈美は、久住のゆっくりとしたペースに、組んだ腕に指先をトントンと立てながら苛立ちを見せた。



「催眠と覚醒の繰り返しで、体力も低下していて、思考が緩慢というか、時間がかかるんだよ。」


 浜本が、久住の状況を説明した。


「そうなの。でも、美香の事は分かるわよね。美香とはどういう関係なのよ。」


「長くなるが…。」


「いいから、話してよ。」


「わかった…。私は、臥床してることが多くてね、頸部の筋力が落ちてしまって、頭をさげたままで失礼するよ。明かりも辛くて、暗い中だが、すまない。」


 久住宗一郎は、重い頭を項垂れたまま話を始めた。



「自分は、富山の久住産婦人科の父の元で育った。父は厳格で、私のやりたい事をすべて否定するような人だった。小学生の頃に、友達から道具を借りて釣りをしていた事があったんだ。その友達が新しいのを買ってもらったからって、釣り道具をくれたんだが、次に日は、その友達に返されたよ。そんな父でも、世間的には医師として名をあげてたから、田舎ではヒーローだったよ。その息子だから、ちやほやされたもんだ。」


 浜本慎が話を入れた。


「そう、そう、地元では有名だったね。うちの親からよく聞かされたものだ。出産時の痛みを和らげるための催眠療法を取り入れてたんだ。麻酔をかけるわけではなく、いきみも出来る。ただ痛みを和らげるという画期的なものだった。」


 賢も久住の父を褒め称えた。


「自分たちの先生は、久住先生のお父さんの久住白三郎だ。あの時代に、世界的にも注目された技術だった。他にも似たような事をしていた研究者はいたが、日本では、黒魔術とか、怪しいと宗教とかを言って、認めるものも少なかった。でも、そこを認めさせたのが、白三郎先生だったんだ。」


「父は、すごかったよ。毎日のように、何かしらの業者が、菓子折りを持っては来ていた記憶がある。自分も跡を継ぐのが当たり前と思われてた。否応なく東京の大学の医学部に入った。自分なりに頑張ったつもりだが、嫌々な学生生活だったからストレスもあったよ。」


「そんな、自慢話聞きたくないわ。私は、美香との関係を知りたいの。」


「もう少し…聞いてくれ。」


 久住は、車いすを少し進めた。


「声、聴こえるかね。話を続けよう。」


「私は、ストレスから逃げるように、何に使ったかも覚えてないくらい遊んだ。好きなだけ釣りもできる。そうしてるうちに親からのお金だけでは賄えなくなった。消費者金融からの借金も嵩んでいったんだ。それでも何とか医師免許をとって、研修医として大学病院に勤務した。親からの仕送りはそこでストップだ。医者と言っても、最初の給料なんて安いもんさ。だから他の医者は、診療所とか小規模の病院に出張に行くんだ。外の方が給料はいいからね。自分はと言うと、元々、医師になる気はなかったから、そこまでして医者なんてやってられなかったよ。でも借金返すのに仕事はしなけれなならない。飲み屋とかのバイトなんてしてたよ。ある時、釣り仲間が漁師が足りないと言ってたのを聞いて、迷わず雇ってほしいとお願いした。そしたら快く雇ってくれたんだ。借金の話もしたら、そんな金利の高いところだとダメだと言って、ちゃんとしたところに借り換えをしたんだ。その親父さんが保証人になってくれて。ほんと嬉しかった。自分はこれで、生まれ変われるって。でも、しばらくして、富山の父親が亡くなったって、勤務していた大学病院の同僚から聞いたんだ。親には、すべてを内緒にしてたから、もし、家から何か届いたら連絡してくれって頼んだあった。それで、富山に戻れという事だった。まだ、父親の呪縛からは解き放たれて無かったんだな。実家に電話をしたとき、母の声を聴いたら、富山に戻らなければと…。」


 我慢をして聞いていた高野の声が飛んだ。


「親父は…親父はお前の借金返すために、時化でも漁に出て、45歳で死んでしまったんだ。何故だ、なんで戻らなかった!医者やってたら借金返せただろ!」


「…。そうだったのか。そんな若くに…。すまない。自分が弱かったんだ。親や親戚にいい顔しようと、漁師になりたいなんて言えなかった。すまない。」


「高野さんのお父さんのお墓の前で謝りなさいよ。お母さんだって、どれだけ苦労したか。」


 奈美は泣き声になっていた。


「それで、その富山で何があったのよ。私が花香だってわかってるんでしょ。」


「確かに、君は花香だ。母親は里香。何故、奈美として君が育ったかも知っている。」


 久住の告白に、浜本兄弟も、加藤も息を呑んだ。


「久住先生、私も、美香からは詳しくは聞いていない。話してくれる気になったんだ。」


「今までは、美香との約束で、口外しない事にしていたんだが、皮肉にも灯しや診療所の効果だよ。このままではいけないと思うようになった。催眠を掛けながらも、自分の意識をコントロールできるようになってた。美香に悟られないように、すべてを話す機会を狙ってたんだ。」

 

「だったら、早く話してよ。」


 久住は、しばらくの沈黙のあと語りだした。


「私が…里香の恋人を、私が轢いてしまったんだよ。すべては、そこから始まったんだ。」

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